すべての人がそうだ、などと言うつもりはない。けれども、「頭を下げることは負けに等しい」と考える外国人が、日本人よりも相当に多いのは事実である。外国人の立場に立ってみると、すぐに頭を下げる日本人の謝罪、懇願は、かなり安っぽいものに思えるらしい。トルシエが沖縄の事務所で「簡単にゴメンナサイって言うな!」と癇癪を起こしていたことを思い出す。
 日本代表のコパ・アメリカ(南米選手権)辞退が正式に決まった。残念だが、仕方がないことだったかなというのが個人的な印象である。
 そもそも、大震災が起きてしまった段階で、大会への参加は一度断念されている。それが翻ったのは、南米側、特にグロンドーナ会長の母国であり、開催国でもあるアルゼンチンの熱意に打たれたからでもあったはずである。
 だが、そこで微妙な認識のズレが生じたのではなかったか。

 参加する日本と招聘する南米連盟。日本が享受することのできるメリットは「強化」であり、南米側のメリットはずばり、カネである。一見、両者の関係はイーブンのように見えるが、実は違う。もともとはトルシエ時代、より一層の強化の場を求めて日本が南米に打診をしたのがきっかけであり、日本は参加させていただく側、南米はさせてあげる側、という図式があった。
 よって、一度は決めた不参加を日本が撤回した段階で、南米側は善行を施した気分ではなかったか。参加したがっていたが、震災でそれが難しくなった日本の背中を押す。そうすれば、一気に事態は動きだすはずだ、と――。

 ところが、本当に事態を動かすためには、欧州のクラブに頭を下げなければならない。当然、日本は下げていたし、南米側も一緒になって下げてくれるものと期待したに違いない。だが、日本人ほど簡単に頭を下げない人たちが、他人でしかない日本のために頭を下げてくれるはずもなかった。きっかけを作れば日本人が頑張るはずだと南米連盟が考えた一方で、日本側は南米も必死になってくれることを期待した。どちらも、少しずつ相手に対する認識がズレていた。

 ただ、幸いなことに、いまはトルシエの時代とは違う。代表に入らなければ世界のトップクラスと戦うことのできなかった日本選手たちは、いまや、多くが週末ごとに経験と研鑽を重ねている。コパ・アメリカでの経験が失われてしまったのは痛いが、欧州でプレーする日本人選手の多くは、昨年3月以来休むことなく戦い続けてきた。彼らに久方ぶりの休暇をプレゼントできると考えれば、出場辞退も惜しくない。今回は。

<この原稿は11年5月19日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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