10月22日から3日間にわたって、山口県で全国障害者スポーツ大会(全スポ)が開催されました。毎年国民体育大会(国体)の1カ月後に同じ会場で開かれているこの大会は、2001年に従来別々に行なわれてきた「全国身体障害者スポーツ大会」と「全国知的障害者スポーツ大会」を統合したものです。今回の話題は その全スポについてです。
<全国障害者スポーツ大会は、1965年から身体障害のある人々を対象に行われてきた「全国身体障害者スポーツ大会」と、1992年から知的障害のある人々を対象に行われてきた「全国知的障害者スポーツ大会」を統合した大会として、2001年から国民体育大会終了後に、同じ開催地で行われている。大会の目的は、パラリンピックなどの競技スポーツとは異なり、障害のある人々の社会参加の推進や、国民の障害のある人々に対する理解を深めることにある。>

 上記の文は、日本障害者スポーツ協会のHPから抜粋したものです。ここでは全スポが競技大会ではないということが明文化されています 。つまり、全スポは勝敗うんぬんではなく、あくまでも障害者がスポーツを通して社会参加する大会という位置づけなのです。ところが、新聞報道においては「県勢○個の金メダル獲得」「陸上100メートルで大会新」などという見出しが躍ります。そして、報道における市長や知事の表敬訪問は、そのほとんどがメダリストです。片や主催者側は「あくまでも社会参加の推進のための大会」と言い、片や報道では競技大会のように扱っている。このことに、私は違和感をもたずにはいられません。

 選考基準にも矛盾は生じています。出場選手の選考は以下のようになっています。
<各都道府県・指定都市における、出場選手の選考に当たっては、各都道府県・指定都市障害者団体、障害者スポーツ関係者等からなる選手選考委員会により選考し、決定するものとする。>
 つまり、選考基準は各都道府県・指定都市に一任されているのです。そのため、予選会で競い、上位の選手が出場権を獲得するというところもあれば、「社会参加の推進が目的なのだから」とできるだけ多くの人の参加を促すべく、一生に一度の出場と決めているところや 、独占して出場することをよしとせず、連続出場の回数制限を設けたりするところもあるのです。そうなると、当然のように参加する選手たちの思いも異なります。予選会を突破して出場する選手や団体は優勝やメダルを狙おうと意気込んで乗り込んでくるわけですが、もう一方では「勝負に来たわけではない。思い出づくりに来た」 という選手もいる。どちらがいい悪いではなく、このような全く目的の違う選手や団体同士が、同じ土俵に立つというのは、ナンセンスです。

 認識すべき障害者スポーツの二分化

 こうした中で、2009年にはこんなことが起こりました。福岡県が予算の不足を理由に、団体競技の出場チームを4種目から2種目にすることを決めたのです。これ自体はいたしかたのないことでしょう。しかし、出場辞退となった2チームはいずれも地区大会で優勝しており、過去に全スポにも出場経験がありました。全スポを競技大会として考えれば、その2チームこそが出場すべきだと考えるのが一般的でしょう。しかし、当時の知事は「強いチームが出場することがいいとは思わない。それよりもまだ出場したことのないチームにこそ、出場の機会を与えるべきだ」と発言したのです。これが波紋を広げ、メディアにも取り上げられたのです。

 前述したように、全スポは障害者の社会参加推進のための大会ですから、この知事の考え方は決して間違ってはいません。むしろ、大会理念そのものということが言えます。しかし、選手はもちろん、世間はそうは取らなかった。「スポーツなのだから、強いチームが出場するのが当然ではないか」。そう考えたのです。これは大会運営側とメディア、そして選手を含めた世間とで、今や全スポの位置づけに齟齬をきたしている という何よりの証です。これでは大会理念のひとつである「国民の障害のある人々に対する理解を深める」という点においても、理解が深まるどころか迷走している感さえあります。

 ところが、この矛盾を問題視し、議題にあげるということはなされていません。それは「障害者スポーツだから」という理由で流されてしまっているからです。 つまり「障害者の大会だから、まぁ、どっちでもいいんじゃないの?」とみんなで放置している。ここが最大の問題点です。 全スポは競技大会なのか、社会参加の促進なのか、大会の性格が一本化されていません。そのことを運営側もメディアも、そして選手自身も気づいているはずなのに、そのことには触れずにいるのです。度々、国体においては、その大会の位置づけについて問題提起されています。しかし、同じ会場で行なわれている全スポについては語られることはありません。ここに一般スポーツと障害者スポーツとの違いが、はっきりと表れているのです。

 世界ではオリンピック同様、パラリンピックが超エリートスポーツの大会と位置づけられるようになり、国内でも競技のレベルアップとともに障害者スポーツがスポーツであるという認識が広まりつつあります。今年6月には「スポーツ基本法」が制定されました。そこには障害者スポーツの推進についても明記されています。また、創設が検討されているスポーツ振興を担う「スポーツ庁」には障害者スポーツを専門とする担当者を配置することが求められています。こうした動きの中で、全スポも変化すべき時が来ているのです。障害者スポーツはこれまでのように「社会参加のツール」としてだけではなく、競技としての性格も持ち始めた。そして、その2つは全く異なるものであることを運営側もメディアも選手も、しっかりと認識したうえで、今後、全スポはどういう大会にしていくのか、奥が深いこの課題に、覚悟を決めて、真摯に真正面から向き合うべき時を迎えています。

伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>
新潟県出身。障害者スポーツをスポーツとして捉えるサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。1991年に車椅子陸上を観戦したことがきっかけとなり、障害者スポーツに携わるようになる。現在は国や地域、年齢、性別、障害、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション活動」を行なっている。その一環として障害者スポーツ事業を展開。コミュニティサイト「アスリート・ビレッジ」やインターネットライブ中継「モバチュウ」を運営している。2010年3月より障害者スポーツサイト「挑戦者たち」を開設。11年8月からスタートした「The Road to LONDON」ではロンドンパラリンピックに挑戦するアスリートたちを追っている。障害者スポーツのスポーツとしての魅力を伝えることを目指している。