日本人以外のノーベル賞受賞者について知っている日本人は、いったいどれだけいるだろう。だが、サッカーの世界最優秀選手であれば、かなりの数の日本人が知っている。これは、日本人に限ったことではない。世界中ほぼすべての地域で、リオネル・メッシの名前を知っている人は存在しているはずだ。
 沢穂希が受賞したのは、そんな賞なのである。
 11日付のスポニチで野田朱美さんが指摘していたように、男子に比べればまだ受賞対象者の層が薄いのは事実としても、いずれは男子にも負けないほどの価値を持つようになることは間違いない。アジアから初の受賞という栄誉は、今後、歴史を重ねるにつれ輝きを増していくことだろう。

 世界で勝つというのはそれだけで大変なことだが、この賞を受賞するためには、単に勝つだけでなく、国籍や民族を超えて認知され、愛され、尊敬されなければならない。すでにありとあらゆるメディアがありとあらゆる賛辞を送っているが、そのすべてを合わせたとしても、彼女が成し遂げた偉業を称えるにはとても足りない気がする。

 加えて思うのは、称賛されるのは沢本人だけでいいのだろうか、ということである。
 今回の栄誉が、彼女の才能や努力に起因することは間違いない。とはいえ、沢が一人だけでいまの沢になったわけでもない。彼女はそのことを十二分に理解しているし、ゆえに超多忙の中嫌な顔一つ見せず女子サッカーの伝道師役を務めているのだろう。だが、日本サッカー界が、あるいは日本人が、もし第二、第三の沢の出現を望むのであれば、沢を生み出した土壌に対する評価と感謝も必要になってくる。

 FIFAは、W杯に出場する選手が所属していたクラブに対し、報奨金を支払っている。それは、素晴らしい選手を育て、維持したクラブに対する彼らなりの感謝の表れでもあろう。選手を育てる土壌を疎かにすれば、W杯という大樹でさえ枯れてしまうことをFIFAは知っている。

 日本はどうか。わたしは、沢が受賞したのはノーベル賞をも超える栄誉だと思うが、彼女を発掘し、育てたクラブは、スタッフは、それに見合った称賛なり報奨なりを受けることができているだろうか。

 盾や賞状でもいい。日本代表戦への招待でも、レプリカ・ユニホームの贈呈でもいい。沢のような存在を育てた人たちが、自己満足ではなく、日本サッカー協会からの称賛を受けることができる環境を整えなければならない。これは、なでしこに限らず、男子についても言えることである。

<この原稿は12年1月12日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
◎バックナンバーはこちらから