久し振りに広山望の名前を報道の中に見つけたのは、2010年11月19日のことだった。
 J2のザスパ草津が、広山たち、数人の選手と来年度の契約を更新しないと発表したのだ。
(写真:モンペリエ時代の広山望)
 2010年シーズンで2年契約が終了することは知っていた。残念ながら、日本のクラブは年齢で選手の線引きをすることが多い。広山は33才になっていた。試合には出場していたものの、来季の契約は危ういことは予想できた。

 サッカー選手に限らず、プロフェッショナルなアスリートは不安定な職業である。世界に名が知れ、桁外れの年俸、コマーシャルなどの収入を手にすることができるのは、ごく一部に過ぎない。多くの選手たちは、新たに契約が結んで貰えるかどうか、内心怯えながらシーズン終了を迎えるものだ。契約更新がなかった場合、どんな道に進むのか、考えなければならない。

 キャリアの終盤に向かい、不安でないはずはない。ぼくは広山に励ましの電話を掛けようかと、携帯電話をとった。
 しかし――。
 ぼくが連絡を入れても、気休めにもならないだろう。彼は弱みを見せるのが嫌いだというのも分かっていた。報道によると、広山は現役続行を希望しているという。次のクラブとの契約がまとまってから、連絡を入れようと思い直して、携帯電話を閉じた。

 正直なところ、ぼくはしばらく広山の名前を忘れていた。
 というのも、ぼくはひょんなことから、安田忠夫というプロレスラーの引退興行を引き受けることになったからだ。
 ぼくは物書きであり、興行の経験はない。そんなぼくが格闘技の聖地である、後楽園ホールを借り切ることになった。選手の手配、切符やポスターの印刷など、分からないことばかりだった。仲間の手を借りて、翌年2月4日の興行を無事に迎えようと必死だった。
 そんな中、12月14日に大阪の長居陸上競技場で行われたJリーグトライアウトに、広山が参加したという報道があった。しかし、彼の契約が決まったという話は聞かなかった。

 広山を主人公とした『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』という本を、ぼくは2003年に上梓している。
 広山とぼくの付き合いについては、この連載のバックナンバー(>>第3回「広山望という生き方(前編)」)にも書いた。

 77年生まれの広山は、習志野高校を卒業後、ジェフユナイテッド市原(現千葉)とプロ契約を結んだ。2001年にパラグアイのセロ・ポルテーニョにレンタル移籍、ブラジルのスポルチ・レシフェを経て、2002年W杯後、ポルトガルのスポルティング・ブラガへ移籍。03−04シーズンは、フランスのモンペリエHSCでプレーした。
 その後、帰国し東京ヴェルディに加入。2009年シーズンから草津に移っていた。

 日本に帰国後も、ヴェルディのクラブハウスに近い住居探しを手伝ったりと、付き合いは続いていた。
 物事を冷静に見ることのできる広山は、頭に血が上りがちなぼくと正反対で、話していると面白かった。

 2008年1月、彼が結婚した時、結婚パーティでスピーチを頼まれた。
 その時、ぼくは広山のことをこう評した。
「いつも背筋が伸びている男という印象がある。弱音を吐いたり、人の悪口を言うのを聞いたことがない。非常に公平な男だと思う」
 当時、所属していたヴェルディの監督、選手を一人も式に呼んでいなかった。不思議に思って理由を尋ねると、
「全員を呼ぶことができないので、誰も呼ばなかったんです」
 と答えた。
 いかにも広山らしかった。
(写真:広山の結婚式には、フランスのモンペリエからも友人が駆けつけた。)

 2011年の年が明けても、所属先は決まらなかった。プロレス興行の直前、思い切って広山に電話することにした。
 すると――。
「日本のチームから話をもらっていて、今検討しているところです。他にインドネシアやアメリカのチームも探して貰っています」
 アメリカ――そういえば、いずれプレーしてみたいと口にしていたことがあったなと思い出した。

 広山にとって最初の海外移籍となったセロ・ポルテーニョとのレンタル契約は、金銭的に恵まれたものではなかった。それでも彼が国外に行きたいと思ったのは、自分の知らない国のサッカー文化を実際に肌で感じたかったからだ。
 あれから10年――彼の姿勢は変わっていなかった。

(つづく)

田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクション作家。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に勤務。2000年より退社して、文筆業に入る。『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『W杯に群がる男達−巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)など著書多数。最新刊は、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社 2011年12月2日発売)。早稲田大学講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 招聘研究員。携帯サイト『二宮清純.com』にて「65億人のフットボール」を好評連載中(毎月5日更新)。
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