まずはロンドンへの出場権を獲得した選手、スタッフに祝福の言葉を贈ろう。シリアは本当に強かった。バーレーンには危険なカウンターがあり、マレーシアもここ最近では最も魅力的なアタッカーを揃えていた。今回の予選は、勝ち抜くことによって世界で戦う自信を獲得することができるレベルにあった。おそらく、選手たちの顔つきは、予選が始まる前とは確実にどこかが違ってきているはずである。
 敵地でのシリア戦、マレーシア戦でも感じたことだが、今回の五輪代表は、苦しい時間帯、上手くいっていない状況からでもゴールを奪うことができる。この日のバーレーン戦にしても、試合を思い通りに進めていたのはむしろ相手の方だった。そういう中でゴールを重ねたことは、より苦しい戦いが待ち受けるであろう五輪本大会でも間違いなく選手たちの支えとなる。

 ただ、苦しい状況でのゴールが多かったということは、想定していたほどには“いい時間帯”がつくれていないということでもある。

 昨年のなでしこ、U-17、そしてA代表には、ある共通点があった。日本人以外からも愛される、という共通点である。なぜ彼ら、彼女らは愛されたのか。サッカーが美しかったから、だった。なぜ美しかったのか。ボール保持者の選択肢が多く、意外性のある崩しが頻繁に見られたから、だった。
 つまりは、多くの人が、日本人のサッカーにバルセロナに通じるものを見いだしたから、だった。

 今回の五輪代表も、予選序盤は似たような気配を漂わせてはいた。しかし、シリア戦で痛恨の負けを喫してから、選手たちの動きの質は極端に守備方向へと振れた。リスクを冒して飛び出し、ボール保持者の選択肢を増やすのではなく、前線に待ち受ける選手に一発でラストパスを通そうとする選手が増えた。相手からすれば、待ち受けているところに高い確率でパスが入ってくることになり、それが、日本にとって苦しい時間帯が増えてしまった最大の要因だった。

 わたしは、男子サッカーにはロンドンでのメダル獲得の可能性があると本気で考えている。ともすれば無難なプレーを選択しがちな選手の多い日本社会にあって、今回の五輪世代にはリスクを冒してタテにボールを運ぶことのできる選手がそろっているからだ。
 だが、チームづくりがこのままの方向で進むならば、仮に勝利を収めることがあったとしても、それはなでしこの勝利とはまるで違ったものになるだろう。昨年、日本のサッカーに魅力を感じてくれた人の多くは、強い違和感を覚えるに違いない。この日本代表は美しくない、と――。

 時間は、まだある。どんなサッカーを志向するか。それは関塚監督次第である。

<この原稿は12年3月15日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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