日本ハムが来季のヘッドコーチとして高校野球の監督を招聘したというニュースが大きく伝えられた。元プロ野球選手とはいえ、いきなりそんな大役を任せて大丈夫なのか。彼を慕って入学した生徒たちの今後はどうなるのか――等々、今後、様々な意見が出てくるのは間違いない。ただ、個人的には、日本ハムという球団が下した今回の決断には、最大級の賛辞を贈りたいと思う。
「名選手必ずしも名監督ならず」という言葉はどの国、どのスポーツの世界でもいわれることだが、元名選手という実績が、監督、コーチを目指す上で少なからずアドバンテージとなることも事実である。少なくとも、彼らの前に開けている道は、なんの実績も名声もない、けれどもプロでの指導者を目指す者のそれよりははるかに太い。

 名選手であれば、名監督に師事した経験を持つ場合が多い。名選手であったがゆえに、選手たちに伝える言葉に説得力を持たせることができる――名選手が監督、コーチになるケースが多い理由はひとつではないが、その中に、「それがいままでの常識、習慣だから」というものはなかったか。

 日本ハムの決断は、従来の常識にしばられていては絶対に導き出せない類のものである。加えて、今回のケースが成功するようであれば、高校野球の指導者も、日本の頂点で指揮を執るという夢を見ることができるようになる。むろん、高校野球そのものに人生のすべて捧げる、という指導者も数多くいようが、メジャーに憧れる高校球児同様、自らも夢へのステップを思い描く指導者がいてもいい。

 80年代、革新的な新戦術“ゾーン・プレス”で世界中を席巻したアリーゴ・サッキには、プロサッカー選手としてのキャリアが一切ない。それでいながら、くつのセールスマンをしながら少年チームのコーチ、下部リーグの監督と少しずつステップアップしていき、最終的にはACミラン、イタリア代表の監督にまで上り詰めた。自分の経歴について聞かれた彼が「騎手になるために馬に生まれる必要はない」と答えたのは、有名なエピソードである。

 名選手には、監督としてやっていくためのアドバンテージがある。だが、まるで名選手でなかった者、プロ選手ですらなかった者には、野球の世界しか、サッカーの世界しか知らずに生きてきた人間が絶対にもちえていない引き出しがある。

 いまの日本のサッカー界にも、現役時代にメディアに取り上げられたことなど一度もなく、けれども頂点を目指している指導者のタマゴたちはたくさんいる。日本ハム的な発想を持つJのフロントが出てくれば、日本のサッカーはもっと面白くなる。

<この原稿は12年11月22日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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