第3回を迎えたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は、ドミニカ共和国の初優勝で幕を閉じました。3連覇を目指した日本は、残念ながら準決勝でプエルトリコに敗れ、ベスト4に終わりました。予選から綱渡りの試合が続いていましたが、決勝ラウンドに向けて、それなりにうまく調子を上げることができていたように感じていました。それで負けたのですから、仕方がありません。この4年間で確実に他国・地域、特に中南米の野球のレベルが上がりました。それが結果として表れたのだと思います。
 さて、準決勝のプエルトリコ戦ですが、一番に思い出されるのは8回裏の井端弘和(中日)と内川聖一(福岡ソフトバンク)のダブルスチールという人も少なくないのではないでしょうか。マスコミもこの場面を最大の敗因のように取り上げていたと思います。しかし、私は敗因は他にあったと思っています。このダブルスチールは、単なる結果論でしかありません。

 まず、「4番・阿部慎之助の打順だったのだから、スチールなんかせずに、阿部に託すべきだったのでは」という意見があります。私見を述べさせてもらえば、私もそうしてもらいたかったというのが正直なところです。確かに阿部はそれまで結果を出していませんでした。しかし、山本浩二監督は「今大会は阿部と心中する気持ちで挑む」と語っていたはずです。

 思えば4年前の第2回大会では、チームの大黒柱であったイチロー(ヤンキース)が大スランプに陥っていました。しかし、当時の原辰徳監督はイチローを使い続けた。その結果、あの決勝での決勝タイムリーが生まれたのです。今大会も、山本監督には最後まで阿部を信じきって欲しかったのです。もちろん、阿部に圧し掛かるプレッシャーは相当なものがあったことでしょう。打てば英雄、打てなければ戦犯扱いだったかもしれません。しかし、それも阿部は覚悟していたはずです。そして、選手を信じ切って精一杯戦い、それで力が及ばず負けたのなら、ファンも納得したのではないでしょうか。

 ダブルスチールは“結果論”

 とはいえ、ダブルスチールという戦略が間違っていたとも思っていません。阿部が結果を出していなかったことは事実です。終盤で2点差ということを考えれば、勝負をかけなければいけない場面だったと思います。「走れれば走ってもいい」という「グリーンライト」という作戦もプロではよくあることですから、そういうサインを出したこと自体は問題ではありません。

 二塁走者の井端が止まったのは、スタートが遅れたためであり、その場合に帰塁するのは「グリーンライト」では鉄則ですから、彼にミスはまったくありませんでした。そして、結果的に塁間で挟まれ、アウトとなってしまった内川ですが、確かに前のランナーを見なければいけませんでした。しかし、内川が一心不乱に走ったことも決して単なるお粗末ではありません。

 あの場面で内川は「絶対にアウトになってはいけない」ということを最優先に考えたはずです。本来内川は走塁のスペシャリストではありません。それもメジャーリーグNo.1の呼び声高い強肩のヤディエル・モリーナ(カージナルス)が相手だったのですから、それはもう必死だったことは想像に難くありません。そんな中、内川は最高のスタートを切りました。井端がいいスタートを切って三塁へ走っていたら、おそらくダブルスチールは成功していたことでしょう。私は、逆に内川の走塁に拍手を送りたいと思ったほどです。

 私が考える敗因は、8回のダブルスチールではありません。その前に既に、もう起きていたのです。それは初回にありました。準決勝の試合前、私は何よりも重要なのは先制点だと考えていました。というのも、それまでの日本は追いかける立場からの逆転という展開での試合を続けてきていました。それは、非常に身心ともに堪えたはずです。しかも、プエルトリコは2次ラウンドで米国を倒してきていましたから、勢いに乗っていました。そういう相手に追いかける展開というのは、厳しいと思ったのです。

 残念ながら、初回にプエルトリコに先制点を許し、また追いかける立場となってしまいました。負けたら終わりのトーナメント戦でしたから、「早く追いつかなければ」というプレッシャーが選手にはつきまとっていたことでしょう。それが早打ちや、ボール球に手を出してしまった要因ともなったのだと思います。

 世界に通用した日本の技術

 さて、今大会の一番の楽しみは、メジャーリーガーがいない中で、日本で育ち、日本の野球を学び、技術も思考も生粋の日本人選手がどこまで通用するのかを見ることでした。その中で特に注目していたのが、投手では田中将大(東北楽天)、野手では内川です。結果的には、どちらも十分に通用すると感じました。しかし、実力を発揮したか否かでは、田中と内川とでは明暗は分かれました。

 まずは内川ですが、ダブルスチールでの失敗はあったものの、打者としては遺憾なく力を発揮してくれました。日本人選手の打撃技術の高さを世界に示すことができたと思います。メジャーリーグでは日本人野手での成功例はそう多くはありません。あくまでも私見ですが、その要因のひとつはバッティングがメジャー化してしまうことが挙げられるのではないかと考えています。

 例えばイチローや田口壮のように、長くメジャーで活躍できる選手は、日本でやっていたバッティングを継承しながらメジャーの野球に適応させています。ところが、実力はあるはずなのに、短期間で戦力外になった選手のほとんどが、いつの間にか他のメジャーリーガーのようにパワーをつけ、もっと強い打球を打とうとしたのではないでしょうか。

 しかし、それも無理はありません。メジャー経験者が皆口をそろえて言うのは、メジャーの主力投手のボールはキレも抜群だが、何よりも重いというのです。まるで鉛を打っているかのように、バットに衝撃が走るのだそうです。そのために、「パワーをつけなければ」という方向へ行きがちなのです。しかし、今大会での内川や優秀選手に輝いた井端を見れば、日本でやっているコンパクトなスイングで十分に通用することが証明されたのです。

 戦国武士と重なった田中の投球

 一方、田中はというと、本人としても不甲斐なさを感じた結果に終わったことでしょう。先発を任されたブラジル戦では、初回に先取点を奪われました。その後、彼はリリーフに回されました。しかし、これは決して田中の力が及ばなかったからではありません。それこそ、彼が日本野球に徹していたからにほかなりません。

 日本のプロ野球では、まずはカウントを整え、自分が優位に立って勝負球を投球するのが基本となっています。それをWBCでも田中は忠実に行なおうとしたのです。ところが、相手は打てると思ったボールにはどんどん手を出してきます。田中が「あれ? おかしいな」と思っている間に、先取点を奪われたという感じだったと思うのです。

 そんな田中の姿が、私は戦国時代の武士と重なりました。日本の武士は戦う前に、必ず自分自身を名乗りましたよね。しかし、外国ではそんなことはしません。おそらく、日本の武士がゆっくりと名乗っている間に、外国の軍隊はさっさと攻撃してしまうはずです。同様に田中が日本でやっている通り、ゆっくりとカウントを整えようとしている間に、外国人選手はそんなことはお構いなしに打ってきたのです。まさに田中は“侍ジャパン”そのものだったというわけです。

 しかし、日本スタイルのピッチングが決して悪いわけではありません。例えば、2次ラウンドのオランダ戦での前田健太(広島)ですが、彼も普段通りの組み立てで投げていました。結果は、5回を投げて1安打無失点の快投を披露したのです。では、前田と田中のどこに違いがあったのか。それはカウントを整えるボールが、自分の思い通りのところに投げられたかどうか、それだけです。

 調子が上がりきらなかった田中は、思うようなボールが投げられなかったからこそ、打たれてしまったのです。そうであるならば、田中は最初からどんどん勝負にいってもよかったと思います。それができたのが、リリーフで投げた時でした。もし、決勝で先発をしていたら、どんなピッチングを見せてくれたのか。それまでの経験をいかすことができたのかどうか、とても興味があっただけに、見ることができなかったことは非常に残念でした。

 見直すべきWBCの位置づけ

 さて、今大会を通して印象的だったのは、先述したように他国・地域のレベルが上がってきているということです。中南米はもちろん、台湾に代表されるようにアジアの勢力図も変わりつつあります。その中で日本としては今後、どうすべきなのか。ひとつは、WBCという大会への考え方を見直す時期に来ているのではないでしょうか。

 周知の通り、WBCはメジャーリーグ(MLB)機構とMLB選手会が主催している大会です。そしてMLBは米国のリーグですから、日本人はどうしても「米国に勝つこと」が最大のテーマというふうに考えがちです。それはマスコミも同様です。例えば、今回、米国は決勝ラウンドに進出することさえもできませんでした。その時、「米国不在の決勝ラウンドなんて、つまらない」というような報道も見受けられました。これは間違っています。

 米国がメジャーリーガーを出さず、本気ではないと言われますが、メジャーリーガーの中には今大会決勝進出を果たしたドミニカ共和国やプエルトリコなどの中南米をはじめ、欧州やアジアの選手が数多くいます。それらの国々は、本気で世界一の座を狙っています。ドミニカやプエルトリコのメンバーを見ても一目瞭然です。さらに野球後進国と言われたイタリアが、今大会は2次ラウンド進出を果たしました。実はイタリアチームにはメジャー経験者の指導者がいたのです。

 このように本気で世界を狙う各国・地域に、米国しか見ていない日本が勝てるはずがありません。第4回は4年後の2017年に予定されています。それまでに、日本としてWBCをどう位置付けていくのか。その根底の部分を見直していくことこそが、王座奪還につながるはずです。

佐野 慈紀(さの・しげき) プロフィール
1968年4月30日、愛媛県出身。松山商−近大呉工学部を経て90年、ドラフト3位で近鉄に入団。その後、中日−エルマイラ・パイオニアーズ(米独立)−ロサンジェルス・ドジャース−メキシコシティ(メキシカンリーグ)−エルマイラ・パイオニアーズ−オリックス・ブルーウェーブと、現役13年間で6球団を渡り歩いた。主にセットアッパーとして活躍、通算353試合に登板、41勝31敗21S、防御率3.80。現在は野球解説者。
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