大迫が生んだ勝利だった。オランダ戦における彼のゴールがなければ、チームは完全に自信を喪失していただろうし、監督の更迭以外に再生の道はなくなっていた。壊れかけたチームを踏みとどまらせた薩摩隼人の一撃があったがゆえの、この日、ベルギー戦での勝利だった。多くの選手、ファンは、再び世界への希望を見いだしたことだろう。
 だが、まだ本物ではない。まったくもって、本物ではない。

 結果よりも内容を重んじていたはずの監督は、2点差のリードで迎えた終盤、露骨な守備固めに入った。総攻撃に出てくるであろうホームチームと真っ向から打ち合えば、当然、被弾のリスクは高まる。けれども、その果てにつかんだ勝利がもたらすものは、ガードを固めてかろうじて逃げ込んだ勝利よりもはるかに大きなものとなっていた。

 なぜ日本はベルギーからリードを奪うことができたのか。馬鹿げているとしかいいようのないミスから失点したにもかかわらず、逆転することができたのか。たとえ過程の段階でミスが出ようとも、徹底してポゼッションにこだわるサッカーをやったから、だった。勇気をもって敵陣に踏み込んでいくサッカーをやったから、だった。

 だが、監督が動いたことで、それまでのサッカーは消えた。あれほど圧倒していた相手に、あれほど押しまくられてしまった残り15分――。残念、としか言いようがない。メキシコにも負けないぐらいポゼッションに対するこだわりをみせたこの日の日本は、最後の最後で、メキシコならば絶対にやらないことをした。クリアで逃げるサッカーである。自らフィフティー・フィフティーの状況を作り出してしまうサッカーである。

 日本にとってのポゼッションは、まだ哲学ではない。信念でもない。苦しくなれば投げ出してしまえる程度のものでしかない。

 まだ、本物ではない。

 監督が本物を目指しているのかどうかもわからない。

 この試合は、今年最後の試合であると同時に、W杯前最後の真剣勝負でもあった。そこでああいう逃げきり方に走ってしまった以上、来るべき本番でも日本は同じことをやらざるをえない。他の逃げきり方……というか勝ちきり方を経験しないまま、しようとしないまま、終わってしまったからだ。

 オランダを圧倒し、ベルギーに勝ったことは高く評価できる。危機的状況が回避されたのも間違いない。だが、一度は世界一を目指すと選手が公言し、それを信じたファンもいた国ならば、ベルギー戦の残り15分に怒らなければならない。あの時間の戦いぶりを黙殺し、「勝ったからよかった」と浮かれる国からは、W杯で世界を驚かせるチームは出てこない。

<この原稿は13年11月21日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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