日本サッカー界にとって、2014年最初のビッグニュースは、本田圭佑のACミラン入団だったのではないでしょうか。しかも背番号は10番。「日本人が、最高峰のセリエAの名門クラブで10番をつける時代が来たのか」と日本サッカーの進歩を改めて実感しました。インテルの長友佑都も含めて、日本人がビッグクラブでプレーできることは、それだけ世界に日本サッカーが認められてきたということ。子供たちにも夢が生まれます。
 本田のストロングポイントは、力強さです。相手のプレッシャーを受けながらもボールをキープしてタメをつくれます。そこからスルーパスを通したり、個人で局面を打開できるのです。早速、試合では味方からのパスをよく受けていますし、結果も出始めています。今後、イタリアのサッカーに順応すれば、実力がさらに発揮されるでしょう。

 また、本田のミラン移籍で注目されたのが、彼の小学校時代に書いた文集です。「セリエAに入団します」という目標が書かれ、達成するためには「世界一練習しないとダメ」とあります。夢を叶えたいというだけではなく、叶えるためにどうするか。本田は目標達成までのビジョンをしっかりと描けていたのではないでしょうか。

 夢は願えばすべて叶う、という簡単なものではありません。本田のような“覚悟”がないと掴みとれないものもあります。ですから、子供たちには夢を持ち、それを叶えるためにどうするかを考えていってほしいと思います。また私たち指導者は「夢は何になりたいの? じゃあ、こういう練習を頑張ってやっていこう」などと助言してあげることも必要でしょう。本田には、今後も夢を叶えた“先輩”として、子供たちの憧れであり続けてもらいたいですね。

 大迫、ドイツでもゴール量産を

 鹿島アントラーズからも、FW大迫勇也がドイツの1860ミュンヘンに移籍しました。高校を卒業してから5シーズン、昨季はリーグ戦で19ゴールを挙げ、日本代表でも結果を出しました。ようやく素質が花開いてきたところだけに、鹿島にとっては残念な部分もあると思います。しかし、大迫のステップアップは、日本代表にとってもプラスになるはずです。そう考えると、今回の移籍は喜ばしいことではないでしょうか。鹿島のファン・サポーターには、これからも彼の応援をお願いしたいですね。

 大迫は鹿島に入団した頃から身長が高く、伸びる要素を持っていると感じました。しかし、体の線が細いので、屈強なJリーグの先輩たちにつぶされてしまうシーンが多く見受けられました。伸びそうで伸びきれず、本人も歯がゆい時間を過ごしてきたことでしょう。

 しかし、徐々にプロ選手としての体づくりが進み、力強さが身についてきました。特に変わったのは、下半身ではないでしょうか。太もも周りががっちりしてきて、相手DFと競り合っても踏ん張れる場面が増えたように映ります。大迫の得点パターンであるゴール前からの思い切りのいいシュートは、しっかりとした土台ができたからこそのプレーです。

 まだ相手を背負った状態では、なかなかシュートにまで持ち込めていませんが、彼は足元の技術に優れています。ドイツでも、体格で勝る相手DFに対し、細かくボールタッチしながらシュートコースを探せるかどうかが生命線になってくるでしょう。そして、相手を背負いながら反転してシュートしたり、味方にパスを落として裏へ抜け出すといった武器をモノにすれば、ドイツでもゴールを量産できるはずです。

 小柄なルーキーは嫌がられる選手に

 大迫のような別れもあれば、出会いもあります。20日には鹿島の新加入選手の発表がありました。今年の新人選手の第一印象は、そこまで体格の大きくない選手が多いということ。FW赤崎秀平は174センチ、MF杉本太郎は162センチと小柄です。サイズの小さな選手がプロで生き残っていくには、自分の体でやれることを自ら見出す必要があります。

 たとえば、ゴール前の混戦で体を入れて、こぼれ球を狙う。小回りの利くドリブル技術を身に付ける。こういったプレーは小柄ならではのものです。大きな選手とまともに当たっても勝てませんから、多少のずる賢さも求められます。

 私が現役時代に苦しめられた選手が、武田修宏です。彼もそこまで身長が高くなく、相手の懐にスッと入り込むうまさがありました。そして、ターンした際に、こちらの体がぶつかってしまうと、倒れてファールを稼ごうとするのです。だから、ゴールに近い位置で武田とマッチアップする時は特に気をつかいましたね。鹿島の新人選手にも、武田のような、相手に嫌がられるプレーを身に付けることが、レギュラーへの近道となるのではないでしょうか。

 鹿島は昨季、7季ぶりの無冠に終わりました。今年はチームの真価が問われるシーズンです。14年のチームスローガンは「SPECTACLE 戦」。チームがひとつとなって、まずはリーグタイトルを奪還する。今年こそ強い鹿島を見せてほしいと願っています。

●大野俊三(おおの・しゅんぞう)<PROFILE>
 元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。1992年鹿島アントラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍したのち96年末に現役引退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザ(http://kashima-hsp.com/)の総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年Jリーグベストイレブン、元日本代表。

*ZAGUEIRO(ザゲイロ)…ポルトガル語でディフェンダーの意。このコラムでは現役時代、センターバックとして最終ラインに強固な壁を作った大野氏が独自の視点でサッカー界の森羅万象について語ります。
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