「最近は、世界チャンピオンという言葉に重みがなくなってしまったなぁ」
 もう既に退社しているが、以前はスポーツ新聞でボクシング取材を担当していた先輩ライターが、私にそう言った。
(写真:昨年の大晦日に2度目の防衛に成功したWBC世界スーパーフェザー級王者の三浦。この日、東京と大阪で3人の日本人チャンピオンが防衛戦に臨んだ)
「昔は……、具志堅用高、渡辺二郎がチャンピオンだった頃は、日本人世界チャンピオンは1人か2人だったじゃない。だから世界タイトルマッチの日は皆、テレビに釘付けだったのに。いまは地上波で放送しないことも少なくない。こんなに大勢チャンピオンがいるとベルトの価値が下がるよ」
 そう言って寂しそうに笑う。

 具志堅、渡辺らが活躍したのは、70年代後半から80年代。当時、ボクシングの世界戦はスポーツ紙の一面で報じられるのが定番だったから、「原稿にも気合いが入った」と彼は言う。

 確かに当時は、ボクシングの世界チャンピオンは日本国民のほとんどに名を知られるヒーローだった。でもいま、日本人世界チャンピオンの名前をすべて言えるのは、余程のボクシングファンだけだろう。そういう意味では、ベルトの価値は下がった。

 だが、悪いことでもない。
 強い日本人ボクサーが増えたのだ。男子だけで8人の世界チャンピオンがいる現在は、日本の「ボクシング黄金期」である。80年代、90年代に日本人世界チャンピオン不在の時期があったことが嘘のようだ。

 なぜ、日本人世界チャンピオンの数が急増したのか?
 もちろん、日本人選手が強くなったわけだが、理由は、それだけではない。現役日本人世界チャンピオンは皆、スーパーフェザー級以下の軽量級だ。このカテゴリーの競技人口が世界的に減少したことが一因だろう。

 軽量級を支えていたのは主にアジアと中南米。だが、かつて、あれだけ盛り上がっていた韓国ボクシング界に熱がない。いまや韓国人世界チャンピオンは1人もいないのだ。タイに目を向けてもボクサーを輩出するムエタイのリングを目指す者が減ってしまった。中南米諸国でも70、80年代に比すれば、人気は下降している。

 そんな中で日本は、ボクシング人気を維持し、競技人口を増やしてきたのである。よって相対的にレベルが上がった。その上で、IBF、WBOに加盟したのだから、さらにチャンピオンの数が増えたのだ。

 観る者としては、日本で多くの世界戦を観られることは喜ばしい。
 ただ、「ボクシング黄金期」のいまだから、考えなくてはいけないことがあると思う。

 それはこの時期だからこそ、ハイレベルな闘いが望めるマッチメイクを心がけることである。世界チャンピオンの数がもっと増えれば盛り上がるというものではない。むしろ、王座は統一されて然るべきだろう。

 このコラムでも再三書いてきたが、同じ階級に日本人世界チャンピオンが2人も3人もいるのは、あまりにも不自然だ。誰が本当のチャンピオンなのかと考えさせられてしまう。

 この際、同じ階級に複数の日本人世界チャンピオンが誕生した場合には王座統一戦を優先させるというルールを定めてみてはどうだろうか?

 そうすればベルトに価値が出る。「価値が下がった」「重みがない」と言われることもない。
 日本のボクシング黄金期が、さらに長く続くか否かは、今年行われる世界戦のマッチメイクの質にかかっている。

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近藤隆夫(こんどう・たかお)
1967年1月26日、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から専門誌の記者となる。タイ・インド他アジア諸国を1年余り放浪した後に格闘技専門誌をはじめスポーツ誌の編集長を歴任。91年から2年間、米国で生活。帰国後にスポーツジャーナリストとして独立。格闘技をはじめ野球、バスケットボール、自転車競技等々、幅広いフィールドで精力的に取材・執筆活動を展開する。テレビ、ラジオ等のスポーツ番組でもコメンテーターとして活躍中。著書には『グレイシー一族の真実〜すべては敬愛するエリオのために〜』(文春文庫PLUS)『情熱のサイドスロー〜小林繁物語〜』(竹書房)『キミはもっと速く走れる!』『ジャッキー・ロビンソン 〜人種差別をのりこえたメジャーリーガー〜』(ともに汐文社)。最新刊は『運動能力アップのコツ』(汐文社)。
連絡先=SLAM JAM(03-3912-8857)
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