二宮: グラスが空きましたから、もう1杯いきましょう。焼酎好きの秋田さんにとっておきの1本を用意しました。長期貯蔵のそば焼酎「那由多(なゆた)の刻(とき)」です。ロックでぜひ。
秋田: これは……焼酎とは思えないですね。

二宮: どのゲストの方も、そうおっしゃいます。
秋田: スッと入ってきて、後味もいい。ロックで飲むとお酒そのものの味が出ますから、善し悪しがはっきりすると思うんです。ロックで飲んでおいしいと感じるのはホンモノですね。

 楽しかった宿敵・磐田との飲み会

二宮: 晩酌は、ほぼ毎日とのことですが、コーチや監督をしているとストレスなどから酒量が増えたりするものでしょうか。
秋田: 僕はいろいろあってもお酒で発散するタイプではないですね。お酒はあくまでも日々、楽しく飲むもの。決してストレスのはけ口ではなく、そっと寄り沿ってくれる友達のような存在だととらえています。1日の中で一息つくための精神安定剤とも言えますね。

二宮: それはいいお酒との付き合い方ですね。現役時代はどうだったのでしょうか。
秋田: さすがに毎日は飲みませんでしたが、試合が終わった後や、休日の前はお酒を楽しんでいましたよ。現役時代の飲み会で印象に残っているのは2001、02年ごろ、アウェーでの試合後に対戦したばかりの磐田の選手と浜松で飲んだこと。磐田側はゴン中山(雅史)さんに服部年宏さん、名波浩さん……。当時、鹿島と磐田は優勝を争うライバル同士でしたから、あまり親交はありませんでした。ただ、それをきっかけにお互いの距離が縮まって、よりよいマッチアップができるようになった気がします。

二宮: 選手同士の飲み会といえば、97年のアジアW杯最終予選中にカザフスタンで加茂周監督が更迭された際、ホテルで全員が集まって飲み明かしたそうですね。それでチームが一致団結したと?
秋田: あの時は、かなり飲みましたね。監督も代わって崖っぷちの状態だったので自然発生的に皆が集まりました。お酒は現地で調達して、お互いに言いたいことを言い合いました。

二宮: 最終予選は初戦のウズベキスタン戦に快勝したものの、アラブ首長国連邦戦にアウェーで引き分け、宿敵・韓国に逆転負けを喫しました。続くカザフスタン戦でもドローに終わり、加茂監督の解任につながるわけですが、今、振り返るとあの状況からよく持ち直しましたね。
秋田: 当時は1度もW杯に出ていないし、海外でプレーしている選手もいませんでした。経験がないから選手もチームもやっていて確信を持てなかったのでしょう。あの苦しい状況を乗り越えて、W杯に出られたからこそ、それが自信となって今につながっていると感じます。

二宮: アジアの第3代表をかけた決定戦はイランとの対決になりました。マレーシアのジョホールバルでの決戦は日本が1点を先制したものの、後半に入ってイランが2点を奪って一時逆転します。2得点ともFWアリ・ダエイが絡んでいました。
秋田: 彼はえげつない選手でしたね。ヘディングシュートを決められた時は僕が競り負けたのですが、当たりは強いし、ポジショニングもうまい。背が高くてジャンプ力もある。こんなFWはアジアはもちろん、世界でもいないんじゃないかとビックリしましたよ。

二宮: 確かに衝撃的でしたね。アジアでは最強のストライカーでした。
秋田: 彼は文字通りの化け物。マッチアップは本当にしびれました。延長戦を終えて勝った後は疲労で体がボロボロでしたよ。今までに味わったことのない疲れを感じました。でも、試合中は楽しい気持ちのほうが上回っていましたね。

二宮: 楽しい? 怖いではなく?
秋田: 楽しかったですよ。グループリーグで2位を確保してイラン戦に臨めたことでチームは波に乗っていましたから。試合に負ける気はしませんでしたね。アリ・ダエイ選手に点を取られても、最終的に勝つのは日本だと信じて疑わなかった。特に延長に入った時には“勝てる”と確信しました。

 97年の鹿島は最強チーム

二宮: 代表ではアリ・ダエイや、クロアチアのダヴォール・シューケル、アルゼンチンのクラウディオ・ロペス、ガブリエル・バティストゥータ……。Jリーグでもラモン・ディアス(元横浜M)にサルヴァトーレ・スキラッチ(元磐田)、パトリック・エムボマ(元G大阪)……。秋田さんは名だたるストライカーとマッチアップしてきました。それで鍛えられた面も多かったのでは?
秋田: もちろんです。今のJリーグでは、外国人で2年連続得点王を獲ったジョシュア・ケネディ選手(名古屋)もいますけど、あのクラスは各クラブにぞろぞろいましたよ。だから毎試合、息が抜けなかった。どの選手もそれぞれ武器を持っているので、それを出させないようにするためにはどうすべきか、研究に研究を重ねる毎日でした。そういう体験を国内でしてきたからこそ、フランスW杯でクロアチアやアルゼンチンを相手にしても落ち着いてプレーできたのでしょう。

二宮: 近年、世界的なストライカーがJリーグには不在でしたが、今回、セレッソ大阪に南アフリカW杯得点王のディエゴ・フォルランがやってきました。彼の加入は日本人DFを強くする上でプラスに働くでしょうね。
秋田: 僕が若い時はJリーグにいても世界を体感できました。それが最近は大物が来なくなって、日本人DF、特にセンターバックの人材を伸ばすことができなくなっていました。フォルラン選手をどう止めるか、各選手が一生懸命考えることがレベルアップにつながるはずです。

二宮: 鹿島のチームメイトにもジーコに、レオナルド、ジョルジーニョとブラジル代表で活躍した選手が続々と加入しました。
秋田: ジーコさんは何といっても“神様”ですからね。最初はパスをもらうのも緊張しましたよ。ジーコさんの推薦でシーズン前のイタリア遠征でサイドバックを任されて、試合に出られるようになりました。ボランチにはサントス選手がいて、随分と助けられましたね。運動量があって、僕のむちゃくちゃなパスも全部トラップして収めてくれる。ピッチ外でも、寮に来て次の試合に向けての準備や対策をいろいろと教えてくれました。僕にとってはプロとしての基礎を教えてくれた“恩師のような存在です。

二宮: Jリーグの歴史も今季で22年目を迎えます。ジョルジーニョとレオナルドがプレーしていた1995、96年頃の鹿島は間違いなく最強チームのひとつと言えるのでは?
秋田: 個人的にはジョルジーニョ選手とビスマルク選手がいた97年が一番強いと思っています。どちらも献身的に守備をするし、プレーに波がない。長いシーズンには思い通りいかないこともあるんですけど、そこで我慢して、彼らが少ないチャンスをモノにしてくれる。リーグ戦こそ磐田にチャンピオンシップで敗れましたが、ファーストステージと、ナビスコ杯、天皇杯を制して、ほぼ3冠でしたから。

二宮: 磐田もブラジル代表のドゥンガがいて完成度の高いチームでした。
秋田: それでもトータル的には鹿島のほうが強かったと思いますよ。最後のチャンピオンシップに負けた悔しさで、翌年は“打倒ジュビロ”に燃えました。それが98年の優勝につながったと感じます。

二宮: 強い鹿島を牽引する存在だったにもかかわらず、03年のオフに戦力外通告を受けます。世代交代を進めたいクラブ事情があったとはいえ、忸怩たる思いがあったのでは?
秋田: 全く納得できなかったですよ。最初はコーチとして残ってほしいという打診だったのですが、僕はまだ現役を続けたかった。ただ、鹿島にはここまで育ててもらった感謝の思いもありました。コーチのポジションまで用意していただいたのもありがたい話。クラブを去る際には「お世話になりました」「ありがとうございました」と素直に挨拶できましたね。

二宮: その後、名古屋、京都でプレーします。複数のクラブを渡り歩いたからこそ発見したこともあるでしょう。
秋田: 鹿島を離れて、その良さに改めて気づいた点はありますね。鹿島では当たり前だったことが、他ではそうではない。もちろん、他のクラブにも良いところがあって、地元の名古屋でプレーできたこともうれしかったですし、京都に行ってコーチ、監督も経験できた。監督なんてやりたくてもなかなかできるものではありません。結果はどうであれ、僕の人生にとっては間違いなくプラスになっていると信じています。

二宮: ということは、また機会があれば監督をやってみたいと?
秋田: もちろんです。監督はおもしろいですよ。いろいろ大変なこともあって、髪の毛も抜けちゃいますが(笑)、ものすごくやりがいを感じます。

 日本人CBは海外でもチャンスあり

二宮: 指揮を執るにあたって目指すサッカーは?
秋田: 勝利を一番の目標に置き、そこから逆算してサッカーを組み立てていく。これが理想です。勝つためにボールをつないだほうが良ければポゼッションを高めるし、しっかり守ったほうが良ければ、カウンターを狙う。相手の守りがなかなか崩れないならセットプレーで点を取る。いろんな引き出しを持って戦える強いチームをつくりたいですね。

二宮: 最近は“おもしろいサッカー”“観ていてワクワクするサッカー”を標榜する指導者もいますが、秋田さんのコンセプトは“強い”ということですね?
秋田: 「ボールが動くサッカーはおもしろい」とよく言われます。でも、最終的にはやる側も観る側も本当にサッカーがおもしろいと思ってもらえるには勝たないとダメです。勝って、なおかつ内容が良いのがベスト。僕はプロとして勝利が最優先であるべきだと考えます。

二宮: 私も同感です。プロである以上、まずは勝利を優先させるべきでしょう。
秋田: まさに強い頃の鹿島がそうでした。「勝っているけどおもしろくない」と僕たちも批判されましたよ。だけど、当時の鹿島に対しては相手が守りを固めてくることが多かった。その中で勝つ手段を考えたら、セットプレーを確実にモノにするサッカーを選択するしかない。いくらボールを回してもゴールが奪えず、カウンターをやられて負けました、では許されないんです。僕は鹿島でずっと勝つためのサッカーを教え込まれ、実践してきました。人それぞれ意見はあると思いますが、今後も、この考え方は変わらないでしょう。

二宮: 今度、秋田さんがどこかの監督になったら、「つまらないけど勝つサッカー」をスローガンに掲げてみるといいかもしれません(笑)。
秋田: そうかもしれませんね(笑)。僕は現役時代から、1対1のしびれる真剣勝負の中で戦ってきました。そこで勝つことに選手としての真のおもしろさがあり、喜びがあるんです。

二宮: 近年は本田圭佑選手(ミラン)、香川真司選手(マンチェスターU)、長友佑都選手(インテル)と海外のトップリーグで活躍する日本人選手が増えてきました。ただ、センターバックで活躍しているのは吉田麻也選手(サウサンプトン)くらいです。秋田さんには、世界と戦ってきた経験を元に海外で通用するセンターバックも、ぜひ育ててもらいたいものです。
秋田: 世界の現状をみると、日本人センターバックはチャンスだとみています。海外サッカーを見ていても、センターバックに誰でも名前を知っているようなスターがいない。世界の潮流が攻撃重視になっている影響が大きいのでしょう。ただ、日本にも吉田選手に続くような若い人材がJリーグに少ないのも事実です。強いてあげるとすれば、森重真人選手(FC東京)、鈴木大輔選手(柏)くらい。2人とも対人に強いし、ラインコントロールができますから、彼らのような選手がどんどん海外にチャレンジして力を伸ばしてほしいですね。

二宮: 話し込んでいるうちに「那由多(なゆた)の刻(とき)」もグラスが空きましたね。また、一杯やりながら語り合いましょう!
秋田: 本当に、そば焼酎「雲海」のSoba&Sodaも、「那由多(なゆた)の刻(とき)」もおいしかったです。ボトルを持って帰って家でも晩酌でゆっくり楽しみたいと思います。

(おわり)
 
<秋田豊(あきた・ゆたか)プロフィール>
1970年8月6日、愛知県出身。愛知高、愛知学院大を経て、93年に鹿島入り。空中戦と対人の強さを武器に不動のセンターバックとして活躍。鹿島の9つのタイトル獲得に貢献する。日本代表にも95年から選ばれ、W杯にも98年のフランス大会と02年の日韓大会に出場。98年大会ではグループリーグ全3試合にフル出場する。03年オフに鹿島から戦力外通告を受け、翌年は名古屋に移籍。07年には京都に移籍して引退した。その後、京都のコーチや監督、東京Vのコーチ、町田の監督などを務め、現在は解説者。J1通算391試合、23得点、ベストイレブン4回。日本代表通算44試合、4得点。

★今回の対談で楽しんだお酒★[/color]

長期に渡り、樫樽の中で貯蔵熟成した長期貯蔵の本格そば焼酎「那由多(なゆた)の刻(とき)」。豊かな香りとまろやかなコクの深い味わいが特徴。また、ソーダで割ると樫樽貯蔵ならではの華やかなバニラのような香りとまろやかなコクが楽しめます。国際的な品評会「モンドセレクション」2013年最高金賞(GRAND GOLD QUALITY AWARD)受賞。

提供/雲海酒造株式会社

<対談協力>
和風ダイニングバー〜采〜
東京都渋谷区桜丘町2−9 カスヤビルB1
TEL:03-3477-1431
営業時間:
昼 11:30〜15:00
夜(月〜金) 17:00〜23:30
夜(土・祝) 17:00〜22:30  
日曜定休

☆プレゼント☆
 秋田豊さんの直筆サイン色紙と、対談前編にSoba&Sodaで楽しんだ本格そば焼酎「雲海」(900ml、アルコール度数25度)をセットで読者3名様にプレゼント致します。ご希望の方はより、本文の最初に「秋田豊さんのサイン希望」と明記の上、下記クイズの答え、住所、氏名、年齢、連絡先(電話番号)、このコーナーへの感想や取り上げて欲しいゲストなどがあれば、お書き添えの上、送信してください。応募者多数の場合は抽選とし、当選発表は発送をもってかえさせていただきます。締切は3月13日(木)までです。たくさんのご応募お待ちしております。なお、ご応募は20歳以上の方に限らせていただきます。
◎クイズ◎
 今回、秋田豊さんと楽しんだお酒の名前は?

 お酒は20歳になってから。
 お酒は楽しく適量を。
 飲酒運転は絶対にやめましょう。
 妊娠中や授乳期の飲酒はお控えください。

(構成:石田洋之)
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