Jリーグにやってきた久々の超大物外国人選手、フォルランの公式戦デビューを見ていささか感慨深い思いにとらわれた。
 およそ30分間の出場で、見せ場はほぼゼロ。チャンスを作る云々以前に、ボールに触る機会がほとんどなかった。もし彼のプレーを見るためにスタンドに足を運んだ、あるいはチャンネルを合わせた方がいたとしたら、期待を裏切られたというのが率直なところだろう。
 それが、嬉しかった。
 Jリーグに超大物外国人選手が溢れていた時代、ごくごく一部の例外を除き、彼らは突出した存在感を放っていた。トラップひとつ、シュートひとつとって見ても日本人選手との力量差は歴然で、ゆえに、日本人選手たちは一も二もなく彼らに頼った。あのころの外国人選手は“ガイコクジン様”だったのだ。

 もちろん、W杯南アフリカ大会でMVPを獲得したフォルランの力量には、セレッソの選手たちも相当な敬意を払ってはいるだろう。だが、ひれ伏してはいなかった。すべてのタクトを外国人選手に託し、自分たちは言われるがままだったのが初期のJリーグにおける日本人と外国人のあり方だとしたら、フォルランといえどもチームの一部、というのが現在のあり方だといえようか。

 初期のJリーグで得点王を獲ったある外国人選手は、帰国後、日本サッカーのレベルを冷笑するようなコメントを母国のメディアにしていたことがある。そして、2部リーグに復帰したその選手は、さして得点をあげることができず、得点王になれたのはJのレベルが低かったから、という自らの言葉を証明してしまった。

 だが、ここまでのフォルランの言動からは、日本を見下すような気配は微塵も伝わってこない。もちろん彼の人柄もあるのだろうが、それ以上に、日本サッカーのイメージとレベルがそこまで上がってきたということでもあるのだろう。

 試合翌日のスポーツ紙の中には、「フォルラン不発!」とのタイトルをつけたところもあった。プロ野球の世界では珍しくない、外国人選手に対する厳しい目がようやくサッカーにも行き渡ってきた証のようで、個人的にはこれも嬉しくなってしまった。仮に大物外国人選手が不調だったとしても、それは周囲に原因があるのでは…と考えがちだったのが、あのころの自分でもあったからだ。

 ともあれ、久々にやってきた大物外国人の存在は、誕生から20年以上を経たJリーグの現在地を、改めて教えてくれる。これもまた、フォルラン効果の一つである。

<この原稿は14年2月27日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
◎バックナンバーはこちらから