え、また黙祷?
 欧州サッカーの中継に携わるようになった初期のころ、驚かされたことの一つに黙祷の多さ、があった。
 たとえばバルセロナの場合、クラブのOBに不幸があった場合はもちろん、チームスタッフに何かがあった時もすぐに黙祷を捧げる。不謹慎ながら「このチームは2週間に一度黙祷しているのではないかな」などと思ったこともあるぐらい、不幸に対するセンサーは敏感だった。
 ただ、彼らのセンサーが敏感なのは身内の不幸に対してだけではない。
 覚えている方もいらっしゃるだろう。日本が未曾有の大震災に襲われた時、数えきれないほどたくさんの欧州のクラブが日本のために祈りを捧げてくれた。バルセロナはもちろん日本に縁もゆかりもないちっぽけなクラブまでもが、試合前に黙祷を行ってくれた。

 たかが黙祷。たかが祈り。けれども、わたしは震えた。直接的な被害を被っていない立場の人間だからなのかもしれないが、世界中が祈ってくれていることに、たまらない温かさを覚えた。

 祈ってくれたのは欧州のサッカー関係者だけではない。アメリカ大陸のあちこちでも、さまざまなスポーツシーンで日本のための黙祷が捧げられたと聞く。日本のメディアは感謝の念とともにその事実を報道し、多くの日本人もそのことを知るようになった……はずである。

 昨年秋、フィリピンが台風30号による甚大な被害を被った時も欧州のサッカーは黙祷を捧げた。欧州のほとんどの国にとって、フィリピンは決して身近な国ではない。わたしの知る限り、欧州でプレーするフィリピンの選手もいない。それでも、欧州のサッカー関係者はすぐにフィリピンのためにアクションを起こした。

 フィリピンとは、アフリカの国だっただろうか。

 あの時期、Jリーグは終盤戦を迎えようとしていた。だが、わたしの知る限り、フィリピンのためにどこかのクラブが黙祷を捧げた、という話はなかった。サッカーだけではない。祈りの意味、強さを痛感したはずのこの国で、スポーツ界から同じ温かさをフィリピンに届けようとする動きは起こらなかった。とことんエゴイスティックなのか、それとも社会と、世界と関わっているという意識の低さなのか――。

 先週末、韓国で悲劇が起きた。いまのところJリーグが黙祷を捧げたという話は聞かないが、それはあくまでも事故が現在進行中だから、だと信じたい。「え、また黙殺?」と驚かされるのはごめんである。

<この原稿は14年4月24日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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