昨年の大晦日、石井慧に2ラウンドKO完勝、IGF(イノキ・ゲノム・フェデレーション)王座初防衛を果たしたミルコ・クロコップ(クロアチア)が、UFCに戦場を移すことを決めたようだ。すでにミルコとUFCの契約は成立している。これにより、ミルコはIGF王座を返上することが濃厚となった。
 1月23日に開かれた記者会見でIGFの宇田川強エクゼクティブディレクターは次のように話している。
「今後、ミルコサイドと話を進めて(IGF)タイトル返上となれば、4月(11日、両国国技館)と8月(29日、両国国技館)に王座決定トーナメントを開催したいと思います。東南アジア、米国、ロシアなど世界各国から選手を16選手を揃えて開催できればと考えています」

 詳細は未定だが、気になるのは、このトーナメントがリアルファイト(総合格闘技)として開かれるのか、それともプロレスとしてのものなのかという点である。

 そもそもIGF王座は、UFCや、かつてのPRIDEのようなリアルファイトのタイトルではなかった。NWA世界ヘビー級王座、AWA世界ヘビー級王座、またはIWGPヘビー級王座などと同様にプロレスのタイトルだったのである。

 このタイトルが誕生したのは2011年8月のこと。この月の27日に両国国技館で開かれた『INOKI GENOME 〜Super Stars Festival 2011〜』で初代王座決定戦、ジョシュ・バーネット(米国)vs.ジェロム・レ・バンナ(フランス)が行われるはずだったが、バーネットが欠場。これにより、不戦勝でジェロムが初代王者となった。
 
 以降、リアルファイトではなく、あらかじめ勝敗を決めて行われるプロレスのスタイルでジェロムが5度、王座を防衛。翌12年7月に藤田和之にベルトは引き継がれている。

 だが、13年の大晦日に異変が起こる。
 この日に両国国技館で行われた大会のメインエベントで、王者・藤田と挑戦者・石井の一戦が組まれた。プロレスではなく、総合格闘技ルールでの闘い。結果は石井の判定勝ち。この時から、IGF王座はプロレスではなく、総合格闘技のタイトルとなったのだ。

 さて、ミルコの王座返上で、IGFのベルトは再びプロレスのタイトルに戻るのであろうか。

 私は、そうなる可能性が高いとみている。IGFが本来、プロレス団体であり、タイトルマッチが興行の基盤であることを考えれば自然の流れだろう。

 注視すべきは、この16選手参加の王座決定トーナメントに石井がエントリーするか否かである。もし、ミルコ戦の敗北で総合格闘家としての限界を石井が感じているならば、トーナメント参戦は、あり得る。だが、そうでなければ、プロレスのリングに上がることを拒むはずである。

 果たして、石井はどちらを選択するのか? 

 2月20日、東京ドームシティホールでの『GENOME32』には、元修斗世界ミドル級王者、元DREAMライト級王者の“バカサバイバー”青木真也が参戦する。リアルファイトの道を突き進んできた彼が、ケンドー・カシンを相手にプロレスのリングに上がるのだ。

 もちろん、青木にプロレスラーに転向するつもりはない。だが、修斗時代には、「エンターテイメントは僕の目指す方向ではない」と語り、PRIDE参戦ですら当初は拒否していたことを考えると、とても妙な展開。

 人間は何かを得れば、その代償として何かを失う。青木はプロレスのリングに上がることで、何を得て、何を失うのだろうか? 青木vs.カシンを観て、石井がどう動くのか? 「IGFワールド」は摩訶不思議で興味深い。

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近藤隆夫(こんどう・たかお)
1967年1月26日、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から専門誌の記者となる。タイ・インド他アジア諸国を1年余り放浪した後に格闘技専門誌をはじめスポーツ誌の編集長を歴任。91年から2年間、米国で生活。帰国後にスポーツジャーナリストとして独立。格闘技をはじめ野球、バスケットボール、自転車競技等々、幅広いフィールドで精力的に取材・執筆活動を展開する。テレビ、ラジオ等のスポーツ番組でもコメンテーターとして活躍中。著書には『グレイシー一族の真実〜すべては敬愛するエリオのために〜』(文春文庫PLUS)『情熱のサイドスロー〜小林繁物語〜』(竹書房)『キミはもっと速く走れる!』『ジャッキー・ロビンソン 〜人種差別をのりこえたメジャーリーガー〜』『キミも速く走れる!―ヒミツの特訓』(いずれも汐文社)ほか多数。最新刊は『忘れ難きボクシング名勝負100 昭和編』(日刊スポーツグラフ)。
連絡先=SLAM JAM(03-3912-8857)


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