黒田博樹(広島)の復帰後、公式戦初登板は3月29日の東京ヤクルト戦だった。
 7回を5安打無失点で切り抜け、今季初勝利をあげた。試合後のヒーローインタビューでとびだした、
「広島のマウンドは最高でした」
 という言葉も、名言居士のこの人らしいセリフだった。
 投球内容については、すでに多くの評論家の方々が絶賛しておられるので、詳しくはそちらに譲る。個人的にはやはり、7回2死一塁の場面でカウント3−2から中村悠平に投げた最後の1球が印象深い。内角を意識させておいて、外角低めボールゾーンからストライクに入るツーシーム。見逃し三振! いわゆるメジャー仕込みの投球である(この場合は、バックドアですね)。

 従来のエース像と異なる高橋

 ところで、黒田の公式戦初登板とほぼ同じ時刻に、もうひとりの注目投手が登板していた。
 県岐阜商の高橋純平である。センバツ高校野球の準々決勝、浦和学院戦。この日は終盤、浦学打線につかまって0−5で敗退したのだが、出場選手中、投手としての才能という意味では図抜けていた。近年でいえば、ダルビッシュ有、田中将大、大谷翔平らと並ぶ素質と言っていいのではあるまいか。

 高橋はプレートの一塁側を踏んで投げる。高校生右腕で、彼ほどはっきりと一塁側を踏む投手は少ないだろう。
 これについては、黒田博樹がメジャーに渡って、それまでの日本流の三塁側を踏むスタイルから、一塁側に変えたことが有名だ。彼の著書『クオリティピッチング』(KKベストセラーズ)によると、
<日本には、「右投手はプレートの三塁側を踏む、左投手はプレートの一塁側を踏む」という、子どもの頃から教えられてきた基本があり、それに従っていた>

 しかしながら、メジャーに行って新たに武器にしたツーシーム(彼の表現ではシンカー)をより有効に使うため、一塁側の一番端に右足のかかとがくるようにした。すなわち右打者へボールがくいこんでいく横の角度をより大きくするため、プレートの踏む位置を一塁側へ変えた、というのだ。

 もしかして、高橋は黒田の思想を継承しようとしているのではないか――あえて、そう思ってみると、彼のピッチングは、従来の高校野球のエース像と、やや異なっていることがわかる。

 「きれいな球」信仰からの転換

 力を入れれば150キロは出せるのに、球速にこだわっていない。彼自身が「脱力」をテーマにしているそうで、130キロ台のストレートも平気で投げる。

 たとえば、高校時代の安樂智大や大谷は、相当にスピードガンを意識しているように見えた。17〜18歳の少年が150キロ出せれば、速い球を投げて三振をとりたいと思うのが普通でしょう。むしろ脱力を旨とする高橋のほうが異色と言える。

 少なくとも投球思想として、彼が黒田に連なることを証明するシーンがある。一例をあげれば、2回戦、近江戦の4回裏。1死で迎えた3番打者・杉野翔梧への投球である。ちなみに杉野は第1打席でセンター前ヒットを放っている。高橋としてはどうしても抑えたい。

 で、カウント2−2からの5球目(杉野は左打者)、インハイにストレートを投げて見逃し三振。143キロ。このボールは、インコースのボールゾーンからシュートしてストライクゾーンに入っていった。リリースのとき、明らかに意識してシュートをかけているように見えた(こっちはフロントドアですね)。

 ただし、握りは黒田が駆使するツーシームではなくて、普通のフォーシームのようだ。少なくとも、大半のストレートはフォーシームの握りで投げていた。そこはまだ、子どもの頃からの日本式に従っているのでしょう。どんな投手でも、きれいなストレートを投げたいという欲望はある。

 黒田はその著書『決めて断つ』(KKベストセラーズ、ワニ文庫版の大幅加筆部分が楽しい)で、若い投手たちに向けて、こう書いている。
<きれいなストレートを投げて10勝10敗する投手より、決してきれいとは言えないが動く球を投げて15勝5敗の投手のほうが周りから見たらすごい投手に決まっている。(略)だからこそ、日本の若い投手たちにも「発想を変えて欲しいな」と思っているのだ>

 ここで言う「若い投手」とは、直接にはプロ野球の若手を指しているのだろう。しかし、この考え方が、高校野球に浸透すればおもしろい。その可能性の端緒が、高橋にはある、と言いたい。高橋はたしかに「きれいなストレート」を投げる投手ではあるが、その投球思想は黒田の綺想に連なるのだ、と。

 超スローボールの継承者

 ここで思わず、「綺想」という妙な言葉を使った。調べてみると『日本国語大辞典』にも『広辞苑』にも、各種漢和辞典にもないようだ。つまり、こんな言葉はない。もちろん「奇想」ならある。「普通では思いつかない考え。奇抜な考え」(『広辞苑』第六版)。ちなみに「綺想曲」ならある。カプリチオの訳語ですね(音楽はド素人ですが)。「一定の形式によらない、空想的で技巧に富んだ曲」(『新明解国語辞典』第六版)。

「綺」は漢和辞典によると、「あや。いろいろと曲がった模様を織り出した絹織物」「うつくしい」。で、「奇」に書きかえることがある(『漢字源』改訂第五版)。

 要するに、黒田の発想を、単に「奇抜、普通ではない」とだけ形容したくないのである。新奇ではあるが、綾なす美しさも秘める、一定の形式によらない、という意味を勝手に読み込んで「綺想」と呼びたい。そして、高橋をその「綺想」の系譜に連なる若手と言いたい。

 ところで「綺想」といえば、昨夏の甲子園をわかせた東海大四の西嶋亮太である。高々と真上に放り投げるようなスローボールで見る者のド肝を抜いた。

 今春のセンバツを見ていると、ちゃんとその継承者はいた!
 まずは、先程ふれた県岐阜商−近江。3−0と県岐阜商リードで試合は進み、近江は7回から2番手・有本勇士郎を登板させる。左腕だが、ストレートはせいぜい110キロ台の軟投派。大きなカーブでなんとかしのぐしかない。

 8回表2死。打者・大野陸希への3球目だった。それまで連発していたスローカーブから、一気にエスカレートして真上に向かって山なり超スローカーブを投げた。解説者も思わず、「去年の西嶋君を思い出す」と言っていた。結果は四球でしたが。

 そして本家本元・西嶋の後輩。ご承知のように、東海大四は決勝まで勝ち進んで敦賀気比と対戦する。
 敦賀気比は、準決勝の2連続満塁ホームランで時の人になった松本哲幣が8回裏に2ランを放ち、3−1で優勝した。

 しかし、東海大四のエース大沢志意也は不思議な落ちつきを持ったエースだった。松本に打たれたとき、軽くグラブをたたいて拍手したことが話題になったけれども、打たれても、抑えても、心が臍下丹田に静まっている境地、とでも言うのでしょうか。そのくせ、ボールを放す瞬間、わずかに楽しそうな、あるいは打者をもてあそぶような表情が、一瞬だけよぎる。

 ダルビッシュがもたらせた変容

 で、そのシーンは1−1で迎えた8回裏におとずれた。相手の4番・エース平沼翔太に対して、1球目は95キロのスローカーブ。これでまず驚かせておいて、2球目。ついに出ました。西嶋直伝(かどうかは知らないが、4月2日の朝日新聞によれば、西嶋とは連絡を取り合っていたらしい)、高々と投げ上げて画面から消えていく超スローボール。残念ながら、高くはずれてしまったが……。

 試合は四球で歩いた平沼を塁において、松本にスライダーの失投をホームランされて決した。しかし、あの西嶋の「綺想」を後輩エースも受け継いでいたのがうれしい。

 投手というものは、本来、球が速くて、力投して、三振をバッタバッタとりたいと願う存在であって、いっこうにかまわない。少なくとも、それが野球を始めた少年の態度というものだろう。しかし、「子ども」は、否応なく、大人になっていかなくてならない。問題は、そのときに、人と違う、あるいは日本の常識と違う発想をもてるか、ということだろう。違う発想をおもしろがる柔軟性こそが、ここで言う「綺想」にむすびつく。

 その意味で、ダルビッシュの出現は、日本野球史上の大きな画期だったと言っていい。太田幸司までさかのぼるか、江川卓からたどりなおすか、いずれにせよ、甲子園のヒーローの系譜は、荒木大輔や桑田真澄をへて、松坂大輔でひとつの歴史の頂点を迎える。松坂は、脱力と言うよりは、力投して、三振を奪って、春夏連覇を果たし、プロ野球でも速球を武器に日本代表のエースになった。見る側も、その姿に共感した。

 その日本野球史に、ある種の「ずれ」をもちこんだのがダルビッシュである。彼は、甲子園出場時に「三振よりも、打者のバットの芯をはずして打ち取りたい」という主旨のコメントをしている。

 ただし、この人の魅力は、ここにとどまらない。おもしろいのは後年、その彼がメジャーで奪三振王に輝いたことだ。黒田同様ツーシームも操るけれども、ゴロアウトだけでなく、三振も狙っているという点では、また別のタイプの「綺想」の人だと言えるだろう。

 昨年、アメリカのメディアに向かって、堂々と「(先発投手の)中4日は絶対に短い」と言いきったあたり、まさにその面目躍如である。それだけに、今回の右ひじ靭帯損傷、トミー・ジョン手術というなりゆきはショッキングであった。

 ともあれ、「綺想」が「系譜」となっていくこと、それによって日本野球の文化が新しく変容されていくさまを、これからも楽しみたいものである。


上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
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