素朴な疑問だった。
「女子はあんなに頑張ってるのに、なぜ男子は勝てないんだ?」
 大学を卒業して配属されたテニス雑誌の編集部。サッカーしかやったことのなかった人間にはわからなかった。巷の大学生は男女問わずテニスに熱中しているというのに、なぜ国際舞台で活躍しているのは女子だけなのか。なぜ女子には伊達がいて沢松がいて……次から次へと才能がわき出ているのに、男子は松岡修造だけしかいないのか。

 明確な理由があったことを、いまのわたしは知っている。だが、知らなかった当時のわたしがたどりついたのは、なんとも安直な考えだった。

「日本のオトコが情けないから」

 たぶん、女性から同じことを言われたら猛烈にカチンときたのだろうが、オトコが自分で、自嘲気味に口にする分には実に便利で、かついささか乱暴な理由付けだった。

 たまったものではないのは、勝手に含まれてしまった日本の男子テニス選手である。「俺たちは情けなくない!」などと力めば、かえって情けないこと甚だしい。いわば、反論の許されない理由付け。実際、松岡修造さんなどは、自分が「情けない日本のオトコ」を象徴する存在のように思えてしまい、ずいぶんと悩まれたこともあったという。

 W杯、五輪、W杯と3大会続けて世界大会の決勝進出を果たしたことで、なでしこたちは世界の女子サッカー界における確固たる地位を築いたといえる。彼女たちの置かれた環境が劇的に良くなったわけではないのが残念なところだが、その認知度は飛躍的に高まった。かくして、言われるようになってきたのが、四半世紀前に新人テニス雑誌編集者が抱いたのと同じ疑問である。

 当時のテニス選手はともかく、近年のサッカーに限っていうならば、女子が素晴らしく頑張っているのは事実である。わたし自身、北京五輪の際に「女子には澤がいたが男子にはいなかった」と書いて以来、けなげにさえ見える女子に比べ、男子代表に物足りなさを感じることは多かった。

 ただ、身も蓋もない言い方をしてしまえば、なでしこに比べて男子の成績が振るわない最大の理由は、「層の厚さ」にある。サッカーで成功して人生を変えようと考える男性は星の数ほどいるが、女子の場合はまだそれほどでもない。そして、これはかつてのテニスについても当てはまる理由である。

 おそらく今後、男子代表が苦戦を強いられるたび、したり顔で「女子に比べて」という人は増えることだろう。だが、これは必ずしも悪いことではない。「情けない男子」という風評を一身に背負った松岡修造さんは、その悔しさを糧とし、錦織圭へとつなげた。男子と女子を同列に論じることは、理不尽であると同時に、有益な一面も持っている。

<この原稿は15年7月16日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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