日本代表のサイドバック戦線が活性化している。

 長友佑都(インテル)と内田篤人(シャルケ)。
 不動の2人が左右でレギュラーをずっと張ってきたのだが、ブラジルW杯後はケガやコンディションの問題もあってコンスタントに代表でプレーしているわけではない。そのタイミングで台頭してきているのが酒井高徳(シュツットガルト)、そしてもう1人、左サイドバックの太田宏介(FC東京)である。

 酒井高はザックジャパン時代から継続的に招集されているが、太田は今年10月、4年9カ月ぶりに代表復帰したことで注目を集めた。横浜FCでキャリアをスタートさせ、清水エスパルス、FC東京と渡って評価を徐々に高めてきた。

 希少な左利きのサイドバックで、精度の高いクロスが彼の最大の持ち味。その武器をジャマイカ戦とブラジル戦で披露し、11月の親善試合2連戦でもメンバーに生き残った。年内最終戦のオーストラリア戦では先発し、同じFC東京の武藤嘉紀と息の合った連係を見せている。武藤の頭を狙ったクロスはオフサイドになってしまったが、ピンポイントで合わせてくる精度はさすがだった。2-1の勝利に貢献したことで、来年1月に開催されるアジアカップのメンバーにも名前を連ねてきそうな勢いだ。

 長友より年齢は1つ下で、内田とは同学年。遅れてきた代表の新星は、地道に左足の精度を磨いてきた。ブラジル戦の後日、太田に話を聞く機会があった。

 横浜FC時代の3年目。監督に就任した“狂気の左サイドバック”都並敏史との出会いがターニングポイントになったという。

「プロ1年目は全然ゲームに絡めなくて、2年目はケガ人が多く出てセンターバックをやったりしましたけど、高木(琢也)さんからジュリオ・レアルさんに監督が代わって試合に出られなくなったりして1年間通してチームに貢献できたわけじゃない。そして3年目に都並さんが来て、サイドバック1本で勝負させてくれたんです。

 都並さんからは、守備のことをずっと言われていて、全体練習が終わってからは付きっきりで守備の指導を受けました。そして『お前のストロングポイントは左足なんだから、とにかく磨け』と。居残りで今度はキックの練習をずっとやったりして、都並さんの指導を受けていくなかで、自分の描くサイドバック像というものが段々と出来上がっていったんです」

 そしてもう1人。チームには同じポジションの大先輩、元日本代表の三浦淳宏もいた。三浦の教えのひとつひとつが太田にとっては勉強になった。

「アツさんは『高い位置で受け取ったら、とにかく勝負しろ』と。前のポジションにいるアツさんはボールをキープしてくれるから、預けて前に行って、ボールをもらったら勝負してクロスを上げるという場面が増えて、得点にかかわれるようになっていきました」

 日本を代表する2人の左サイドバックの薫陶を受け、太田は一本立ちしていく。清水でもFC東京でも、彼らから受けた指導、言葉を忘れないようにしてきた。ストロングポイントである左足のキックのレベルを上げていくことにとにかくこだわってきた。それが彼の成長を呼び込んだと言える。

 ボールを持ったら、常にクロスのタイミングをうかがう。太田のアーリークロスが日本の攻撃に新たな幅をもたらしている。

「アーリークロスというのは、今までの代表の試合を見ていてもあまりなかったので、もっと上げてもいいのかなとは思って見ていましたし、(ブラジル戦は自分に)寄せてこなかったから、それならシンプルにやってみようかなと。練習ではなかなか(クロスを)合わせる機会がなかったけど、こうやって試合のなかで合わせてくれるっていうのは、代表ならではなのかなと感じました。チャンスに自分がかかわれたというのは自信を持ってもいいのかなと思っています。

 ディフェンスラインのバランスを見たうえで、タイミングいいときに上がっていくというのは東京でも言われていることだし、それは代表でも同じ。攻撃参加できたときにいかに、自分の特長を出せるかっていうのを心掛けているつもりです」

 日本が1992年のアジアカップ広島大会で優勝した際、左サイドバックで躍動したのが都並だった。三浦淳も2006年の中国大会優勝メンバー。ベンチからチームを支え、結束をもたらした欠かせない存在だった。

 都並、三浦淳の影響を受けてきた太田に、運命が彼らと同じアジアカップを引き寄せているのかもしれない。

 彼らの思いも詰まった極上のクロス。オーストラリアの地できっと日本のゴールを導いてくれるに違いない。

(このコーナーは第1木曜日に更新します)
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