冬の装いを強める南アフリカのなかで、ダーバンは今なお夏のようだった。
 太陽のように眩しいオレンジ色の服をまとったオランダのサポーターたちがスタジアムの8割近くを占めていた。南アフリカはオランダからの入植が1652年に始まった歴史があり、いまだに両者の結びつきは強い。準ホームのような雰囲気で戦うオランダに対し、日本は完全なアウェーで戦うことになった。

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 試合開始のホイッスルが鳴るとピッチの大部分が日陰に隠れるなか、日本の左サイド側は強い日差しにさらされていた。スポットライトを浴びるかのように、初戦のエトー封じに続いてオランダの右に張り出したカイトと真っ向勝負したのが長友佑都であった。

「守備だけでなく、オランダ戦では攻撃でも持ち味を出せればいい」
 その言葉どおり、この日の長友はカイトの動きを注視する一方で、勝負どころでは思い切って前に上がっていった。
 日本に最初のチャンスをもたらしたのは、長友のオーバーラップだった。
 前半12分、松井大輔がキープしてタメをつくると同時に上がっていき、松井とのワンツーで抜け出してペナルティーエリアの前に侵入。シュートはゴール右に流れてしまったが、積極的な攻撃姿勢がチームにも波及する。基本的には引いてブロックをつくる守備的な戦術なのだが、カメルーン戦に比べればチームはアグレッシブに戦ったと言える。
 長友は自信を深めて、このオランダ戦に臨んでいた。初戦でサミュエル・エトーに仕事をさせなかったことが大きかった。
「(エトーに)やられる気はしなかったんです。最初に1対1の間合いを取ったときから、やれるなという自信がありましたから」
 守備では後半途中からオランダの切り札である快足FWのエライロ・エリアが日本の右サイドに入ってくると、長友は右サイドバックに入ってエリアを抑えている。スピード勝負で負けなかったために、エリアに決定的な仕事をさせなかった。
 右でも思い切ったオーバーラップを見せ、相手のサイドを押し返すことができた。地味な働きではあるが、岡田ジャパンがW杯で健闘していることと長友の活躍を切り離すことはできないだろう。

 あれほど警戒していたヴェズレイ・スナイデルにミドルシュートをぶち込まれ、結局は0−1で終えてしまった。勝ち点を奪えなかったことは残念だし、1点を取ってからのオランダがペースダウンしたことも惜敗の理由ではある。しかしながら、ベルト・ファンマルバイク監督が「日本という強いチームに勝てたことはうれしい」と真顔で話したように、オランダにとって決して簡単な相手でなかったことは事実だ。
 長友は試合後に、こう言った。
「(オランダ相手にも)やっていて全然手応えがあったし、だからこそ凄く悔しい。
 チャンスで決めるか決めないか、少ないチャンスで決めるかどうかで、勝負は決まってくるということ。世界レベルをスナイデルのシュートに感じました」
 そう悔しそうに話しながらも、世界を体感したことには前向きにとらえていた。

 長友はここ数試合で急激な成長を見せている。
 5月のイングランド戦でアシュリー・コールとのマッチアップで互角に渡り合ったことが経験値を上げ、エトー封じにつながっていく。
「イングランド戦、そしてコートジボワール戦で目の前の相手としっかり闘えたことが自分自身大きかった。世界のスピード感を体験していたのでエトーも怖くはなかった」
 長友にとって何より大きいのは周囲の支えだ。それを自分の力に変えている。カメルーン戦では試合前に控え組に回った中村俊輔から声をかけてもらったことを心の励みにした。
「俊さんからは『思い切ってやってこい。ガンバレよ』と声をかけられました。簡単な言葉かもしれないですけど、僕のなかではすごく重くて、励みになる言葉でした。ハーフタイムのときも『ナイス、ナイス』ってね。本当にありがたかったです」
 中村だけではなく、チームキャプテンの川口能活にはことあるごとに声をかけてもらっているという。
 そして、長友に欠かせないのが本田圭佑の存在である。同じ北京五輪組であり、プレー中も何度も大声で連係を確認しているし、ランニングでは2人並んで走る姿をよく見かける。本田のカメルーン戦のゴールにはかなり刺激を受けた様子で、「次はホットラインを見せますよ」と本田との連係に意欲をのぞかせていた。
 オランダ戦では不発に終わっただけに、決勝トーナメント進出の懸かるデンマーク戦で2人の好連係を見たいものである。

 デンマーク戦での長友の対面は、これまた快足のデニス・ロンメダール。サイドを封じ込めれば、高さで迫ってくるデンマークの攻撃力を削ぐことができる。ここ2戦と同じ、守備的な働きがまずは必要となってくるが、果敢な攻撃参加も求められてくる。
 効果的に上がっていかなければ、デンマークに押し込まれてしまうだけ。長友が左サイドを制して、攻撃でもスイッチを入れることができれば日本のグループリーグ突破が近づいてくるだろう。

(このコラムは不定期で更新します)

二宮寿朗(にのみや・としお)
 1972年愛媛県生まれ。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。格闘技、ボクシング、ラグビー、サッカーなどを担当し、サッカーでは日本代表の試合を数多く取材。06年に退社し「スポーツグラフィック・ナンバー」編集部を経て独立。携帯サイト『二宮清純.com』にて「日本代表特捜レポート」を好評連載中。