これがトシというものなのか。はたまた、単なる寝不足の影響か。昼夜逆転で五輪にかぶりつきながら、壊滅的なまでに抵抗力をなくしてしまった自分の涙腺に驚かされている。

 

 水泳。感動した。柔道。感動した。重量挙げ。三宅選手のバーベルへのキスに激しく感動した。体操も、女子バスケットも、卓球も、バドミントンも、とにかく、猛烈に胸を打ってくれる。ギリシャをあと一歩のところまで追い詰めた水球の奮闘も忘れられない。結果だけでなく、内容でも気持ちを揺さぶってくる競技のなんと多いことか。

 

 これ、わたしだけの話だろうか。

 

 Jリーグが発足して大ブームが巻き起こっていたころ、野球界が本気で懸念していたことがある。「運動能力の高い少年が野球ではなくサッカーに流れてしまうのではないか」という懸念である。現状の野球とサッカーを比較してみると、果たしてその懸念は正しかったのか、杞憂だったのか迷うところではあるが、とにかく、野球界が猛烈な危機感を抱いていたのは事実である。

 

 わたしが子供だったころ、周囲にいた運動能力の高い友人たちの中で、卓球を志した者は皆無だった。バドミントンを目指した者も、重量挙げに取り組む者も、見たことがなかった。というより、よほど特殊な理由がない限り、日本の少年たちには、マイナーとされるスポーツに接する機会そのものがなかった。

 

 だが、これだけ多くの競技がテレビで中継され、その魅力が伝えられるようになってくると、話は変わってくる。卓球の水谷のように、競技のメジャー化をはっきりと意識して戦っている選手もいる。わたしは今回、生まれて初めて男子の卓球に熱狂したし、おそらく、日本中にそうした方が生まれたのではないかと思う。

 

 当然、これからは卓球を志す子供たちも増える。なにしろ、射程の中には「世界一」が入っているのだ。魅力を感じない方がおかしい。

 

 さて、サッカーは大丈夫だろうか。というか、かつて野球界が抱いたような危機感が、サッカーの現場には生まれているのだろうか。

 

 Jリーグの発足は、野球界を刺激した。なでしこの躍進によって、女子バレー、バスケの関係者が強い危機感を抱いたらしいことはあちこちで聞いた。「このままじゃいけない」という思いは、多くの場合、その競技を強くする。

 

 野球少年だった釜本邦茂さんがサッカーを始めたのは、「やれば海外に行けるぞ」と口説かれたのが理由だという。もしわたしがマイナー競技の関係者だとしたら、こんな口説き文句を用意する。

 

「やれば世界一を目指せるぞ」

 

 今回の五輪で、多くの日本人が、多くの競技で日本人が世界の頂点を争う瞬間を見た。いまだ世界一を本気では目指せていない日本サッカー界にとっては、厳しい時代の到来である。

 

<この原稿は16年8月18日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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