思い出した。

 

 22年前の11月16日。興奮しつつ呆然とし、笑いながら涙したあの日のこと。これで日本サッカーの未来は変わる。きっと変わる、変わってくれると念じたこと。

 

 シンガポールから6時間あまりのフライトを終えて降り立った日本の空気が、数日前とは明らかに違っていたこと――。

 

 それまで一部マニアや熱狂的なファンだけのものだったスポーツが、一夜にして国中の関心事となる。他の国ではまずありえず、もちろん日本でもほとんどありえないことだが、しかし、そういうことが起きた過去があることを日本人は知っている。サッカーファンは特に知っている。

 

 いま、日本のラグビーはあのときと同じとば口に立っている。もちろん、この先のあり方次第で未来はどうにでも変わってしまうが、少なくとも、97年11月16日の日本サッカー界が夢見たのとほぼ同じ可能性を、現時点では秘めている。

 

 考えさせられることは多い。

 

 Jリーグ、あるいは日本代表の試合会場にあるのは応援と歓喜、喧騒と爆発である。だが、19年9月28日のエコパにあったのは、祈りと歓喜、静寂と爆発だった。

 

 どちらが優れ、どちらが劣っているということではない。ただ、わたしは日本のスタジアムでは生まれて初めて、4万を超える観客が固唾をのむ静けさを体験することができた。だからだろうか、あまり熱狂的というイメージのなかったエコパというスタジアムが、未曾有の熱を発したようにも感じられた。バレーも、野球でも、日本の球技は味わったことのない強烈は落差だった。

 

 これはこれで、悪くない。素晴らしく、悪くない。

 

 日の丸をつけて戦うチームに多くの外国人が名を連ねていることには、未だ抵抗を持つ人たちもいるようだ。わからないではない。わたし自身、4年前まではどこか引っかかるところがあった。

 

 だが、リーチ・マイケルはメッシではないし、ピーター・ラブスカフニもクリロナではない。もし、彼らが大会終了後に世界中のラグビー関係者から高い評価を受けるとしたら、それは出自に原因があるのではなく、日本でやってきたことが大きかったのではないか。

 

 つまり、こういうことだ。

 

 いま、日本の中古建設機械が外国人のバイヤーに大人気なのだという。主に発展途上国からやってくる彼らは、メイド・イン・ジャパンであること同時に、ユーズド・イン・ジャパンであることを重視する。日本で使われた重機であれば、メンテナンスもしっかりしており、中古であっても十分に使えるというのだ。

 

 過去、Jに所属しながらW杯に出場した選手は何人もいたが、彼らは、日本に来る前からビッグネームだった。残念ながら、今回のラグビーのようなプレイド・イン・ジャパンが代表選考の理由になった選手は――韓国を除くと、いない。

 

 もしJリーグでプレーしていることが、外国人にとって自国代表に直結する時代になれば――。

 

 できないことだろうか? そうは思わない。もっと難しいことを、いま、日本のラグビー界はなし遂げようとしている。

 

<この原稿は19年10月03日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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