(写真:愛知製鋼の内田隆幸コーチから「基礎を教わった」という2人の金メダリスト<左か山西、鈴木>)

 8日、日本陸上競技連盟は都内ホテルで、カタール・ドーハで行われた世界陸上競技選手権大会における日本代表選手のメダリスト帰国会見を開催した。活動拠点であるアメリカに直接向かったサニブラウン・アブデル・ハキーム(フロリダ大学)を除く男子4×100mリレーのメンバー3人と、競歩の金メダリスト2人が会見に出席。男子50kmの鈴木雄介(富士通)は「ミストサウナの中で歩いているような感じ。最も過酷なレースだった」とレースを振り返った。

 

 灼熱のドーハからメダリストたちが凱旋した。競歩2種目を制覇、4×100mリレーは銅メダルを手に入れた。近年、躍進が目立つ“お家芸”と言える競技だ。
 
 中でも進境著しいのが競歩である。2014年のアジア競技大会から50kmは毎年国際大会でメダルを獲得してきた。今回は初の世界陸上金メダル、しかも20kmと合わせて2冠だ。
 
 20kmを制した山西は「先輩たちが積み上げてきたものが形になった。たまたま僕が金メダルを獲っただけ」と日本競歩界の積み重ねを強調する。50kmの鈴木も競歩チーム全体での成長を認める。
「チーム全体の力が備わってきた。いい信頼関係とライバル意識で結果が出始めてきた」
 
 今大会は暑さを考慮し、深夜のスタートという異例のレースだったが、それでも気温30度を超え、湿度は70%以上だった。暑熱対策について一定の効果があったとはいえ、山西は「どの国内レースより身体のダメージが大きい」と口にする。鈴木は「ミストサウナの中で歩いているようなもの。今までで最も過酷なレースだった」と語った。
 
 過酷なレースを制したことで、東京オリンピックまで調整を絞れるメリットを獲得した。それでも2人は歩みを止めるつもりはない。
「のんびりしてる暇はない。選考会に出場し、必死になる選手はこれから伸びてくる。今まで以上に淡々と進めていきたい」(山西)
「時間があるとは思わない。不変が大切。ひとつひとつの大会に向けてひとつひとつクリアしていきたい」(鈴木)
 
 また20kmの世界記録保持者でもある鈴木は、20kmとの2種目出場も視野に入れていたが「50kmで気持ちは固まっている」と東京では50km一本で挑む意向を示した。ただこの種目の肉体的ダメージは大きく、「恐怖心はかなりある。これは一生拭えない」とも本音を明かした。
 
 東京では20kmが7月31日、50kmが8月8日と真夏のレースとなる。早朝スタートとはいえ、レース中の日射しが選手たちを苦しめることが予想される。山西も鈴木も「日射しを遮っていただきたい」と選手目線での要望を挙げた。
 
(文・写真/杉浦泰介)