スポーツ関係の仕事の多い夫と、大学で教員をしている妻。どちらが来年の五輪開催を望んでいるかといえば、ウチの場合、妻である。
「五輪のために特別なカリキュラムを組んでいたのに、延期で全部パーになった。また同じことが起きるなんて、考えただけで悪夢」
えー端的に言うと「やめたら大変。だからやる」ってことですね。なんとまあ、消極的な理由だこと。
でも、考えてみれば、元首相にしても首相にしても都知事にしても広告代理店にしてもメディアにしても、このご時世に来年の五輪開催を叫んでやまない人たちって、根っこにある動機は同じなのかも。
以前は違った。多少の反対はあったにせよ、ざっくりいえば「やりたい。だからやる」というのが国民の総意だった。やりたいという思いが多数派だったから、「福島はアンダーコントロール」という相当な無理筋も黙認された。
五輪はスポーツの祭典。よく言われる。賛成。W杯至上主義者だったわたしが五輪の魅力にとりつかれたのも、決戦、対決ムードに満ち満ちたW杯とはまた違った、スポーツを楽しむ空気、祭りの空気をシドニーで知ったからだった。
祭りって、「やめたら大変。だからやる」って類いのものだろうか。
そこで考えてみる。五輪が開催国にもたらすメリットについて。経済効果? ま、あるでしょう。でも、何より大きいと思うのは、その国に愛着を持つ人が増えること、ではないかと。
シドニー五輪のおかげで、わたしはオーストラリアが大好きになった。五輪ではないけれど、19年のラグビーW杯では、多くの人が日本の魅力を世界中に発信してくれた。その国を貶めたい勢力からすると、都合の悪い話だろうけれど。
好きになってもらうには、来てもらわなければ。いろんなところに好きなように行って、食べて、出逢って、呑んでもらわなければ。お祭りに熱狂する日本の姿をみてもらわなければ。
半年後、それって可能?
Go Toが中止され、海外からの入国にもストップがかけられたのは、現場でコロナと闘う医療関係者の悲痛な叫びも無関係ではない。では、彼らの中からこんな声が出てきたら?
「やったら大変。だからやめて!」
おそらく、たとえ無観客であっても大会は開催したい、というのがIOCの思惑のはず。日本からすればカネだけかかり、その恩恵はほとんどないということになるが、彼らの知ったことじゃない。
ならば通常通りに開催する? 開催できる?
できない、と判断したのはFIFAだった。予定されていた年代別のW杯は全て中止。この決断を、果たしてIOCは無視できるだろうか。
祭りは、結局のところ、「やりたい。だからやる」でしか盛り上がらないし成功もしない。政府やIOCが何を言おうが、決めるのは民意。国民の声。なので、五輪に携わる偉い方々には、ぜひとも自問していただきたい。
その“会合”とやらは、「やりたい」空気を盛り上げる役に立つんですか? 国民の怒りのトリガーを引くことになりませんか?
それでは皆さま、よいお年を。
<この原稿は20年12月31日付「スポーツニッポン」に掲載されています>
◎バックナンバーはこちらから