二宮清純×原晋×中野ジェームズ修一×弘兼憲史 ~スペシャル鼎談~
正月の風物詩、箱根駅伝は青山学院大が2年ぶり6度目の総合優勝を果たした。往路、復路共に制す完全制覇。合計タイムは大会新記録をマークした。そこで2015、16年に箱根駅伝連覇を達成した後に行なった原晋監督、中野ジェームズ修一トレーナー、漫画家の弘兼憲史氏、当HP編集長・二宮清純との鼎談で、青学大の強さに迫る。
(この原稿は「週刊現代」2016年1月31日号に掲載されたものです)
本番直前の駆け引き
二宮清純: 完全優勝は日体大以来、39年ぶりですか。改めて連覇おめでとうございます。
原晋&中野ジェームズ修一: ありがとうございます。
弘兼憲史: 駅伝ファンにとって、青学の優勝は予想通りといえば予想通り。MVPを受賞した1区・久保田(和真・4年)がぶっちぎって、これで決まったなと。それ以降、危なげなかった。
原: 実は大会5日前、部内では1区は下田(裕太・2年)と発表していたんです。
弘兼: じゃあ、久保田は何区だったんですか。
原: 久保田は4区に使えるか使えないか、もしかしたら外れるか……。調子を落として、走りがバラバラになっていました。
中野: 監督に呼ばれて、彼の身体を触りましたが、足の痛みや筋肉の張りなど、どこかに問題があるわけでもない。ただ、本人は「中野さん、なんかダメかもしれない」と。心理的なものなのでしょうね。
二宮: それで中野さんはなんて答えたんですか?
中野: 不安の理由を探って解決法を考えるんですが、久保田の場合は色々と話した結果、気分転換に趣味の温泉に行くことになりました(笑)。
原: それが奏功してか、レース2日前にこれは間違いなくいけると言うほどに走りが変わったんです。結果、優勝への流れを作ってくれました。
中野: 選手も尻を叩いて欲しい子、とにかく褒めて欲しい子と様々ですから、トレーニングや声掛けの見極めも必要なんです。
弘兼: 私は駅伝ファンの仲間たちと特に1区、5区、6区の出走選手を予想しあいます。青学の1区、5区(神野大地・4年)は順当でしたが、6区に1年生(小野田勇次)を使うあたり、監督は勝負師ですね。
原: 実際、使いたかったのは昨年区間2位で走った村井(駿・4年)でしたが、ケガで使えなかったんです。ただ、小野田は夏以降の練習で故障もなく、1年生ながら上級生と同じメニューをこなしてきた。これはもうどんと来いと。
二宮: 6区には原監督も警戒されていた東洋大の口町(亮・3年)がいましたね。青学が東洋に敗れて2位となった全日本大学駅伝でMVPを受賞した選手です。
弘兼: 口町、いまいちだったですね。
原: 「口町ロケット」の6区起用はまさかでした。勢いがある選手なので、彼が4区に来たら怖いなぁと思っていましたから。東洋は3区の服部弾馬選手(3年)しかり、全体的に調整がうまくいかなかった感じがします。
山を制するメソッドがある
二宮: 青学は5区の神野が本調子じゃなかった。
原: 神野は今出せる力は出してくれました。
中野: 彼は昨年の箱根の後に、疲労骨折が2度あった。そこから復活させるために、もっとも手を掛けた選手なんです。
二宮: 今だから話せるということでいいんですけど、どこが一番問題だったんでしょうか。
中野: もともと彼は体が細い。筋肉の質って持って生まれたものがやっぱりあって、たとえ同じトレーニングをさせても、久保田や2区の一色(恭志・3年)に比べて、神野は筋肉が付くスピードが遅いんです。より時間をかけて出来上がっていくタイプなんですね。復帰戦の全日本は準備期間が足りず、レース後にまた故障してしまいました。
原: 実は神野の出場も赤信号が点いていたんです。
弘兼: かつて山の神と言われたのは今井正人や柏原竜二のような、重戦車タイプ。ドスドスドスと上がっていく選手が有利といわれていましたよね。線の細い神野がちゃんと山登りできた理由はなんでしょうか?
原: それはやはり、中野さんから教わった上り坂のトレーニングがあったからです。
中野: 「神野スペシャル」ですね。
二宮: 山登りのメソッドがあるわけですか。
中野: 普通、ランナーは地面を蹴り上げて、坂を上っていくんです。けれども、彼の場合は、モモの前側の筋肉にグッと体重をのせて、足で運んで進んでいく。その走りを支えるためのトレーニングメニューを作りました。
原: 神野は毎晩9時に一所懸命、町田寮のロビーでそのメニューを黙々とやっていました。それが山の神たる所以です。
弘兼: もしかして、下りにも走りのメソッドがあるんですか。ブレーキをかけるとダメだし、前のめりになると太ももに衝撃が来る。小野田君はスーッと、ほんとに綺麗な下り方でした。
原: 小野田は足のバネを利かさない、傾斜に沿った走りで、天性のものがありますよね。彼は走り終わって、足の裏の皮が全く剥けてないんですよ。普通は剥けるものなんです。太ももが若干張っていましたけど、2~3日経ったら、もうジョグをしているんですよね。
弘兼: これでこの先、3年間も6区は安泰じゃないですか。
原: 安泰ですね(笑)。
弘兼: それにしても、他大が往路に有望選手を起用するところ、青学は復路にもエース級がいる。選手層の厚さは群を抜いていました。
二宮: 青学の選手の走りを見ていると腕の振りもいいですね。これはたぶん中野さんの功績じゃないかなと思います。
中野: 私は14年からフィジカル強化を担当しはじめて、一番に腕の振りに取り組みました。最初の練習で二人一組にしてお互いに肩甲骨を触らせたんです。すると、生徒が「中野さん、肩甲骨って動くんですね」って言う。私たちトレーナーにとっては当たり前でも、動かしたことがない生徒にとっては新鮮だったようです。腕の振りに加えて、身体の軸を安定させるためのトレーニングを入れると、一人一人のタイムが伸びていきました。
弘兼: 体幹はゴルフにも必要ですよね。
中野: はい。ただ、スポーツによってそのトレーニング法は違うんです。
二宮: 陸上だって短距離と長距離があるけど、カール・ルイスとアベベの鍛え方は違う。たとえが古いか(笑)。
中野: 人間は肋骨と骨盤の間に空洞ができていますよね。長距離ではこの空洞部分をより少ない力でどう安定させるかがまず重要なんです。肩甲骨が自在に動き、ここが安定していれば、綺麗に効率よく走れる。そして、その外側の筋力を使って、スピードを上げていく。
「出る杭」であり続ける
二宮: 体幹はともかく、腕振りについて、選手たちは高校時代に教わっているでしょう?
原: 教わってないですね。私は中国電力の陸上部をクビになってから営業マンになり、監督就任まで競技から10年間離れていました。けれども、戻ってきたらまだ同じ練習をやっているんですよ。どうも陸上の指導者は新しいことを学ばず、自分の知識の中で選手を管理してしまう傾向がある。
中野: その点、私が最初にお会いしたときに、監督は「僕は素人だから、中野さん教えてよ」って言ったんです。私が持っていた陸上の監督のイメージとはだいぶ違っていたので、びっくりしました。
二宮: 原監督は10年間のビジネス経験で、組織に新しいものを取り入れないと、イノベーションが起きないと知っていた。
原: いろんな人の知識と協力を得ながら、陸上界の常識にとらわれない今の青学を作り上げました。中野さんのトレーニングは腹筋が6つに割れたりと、見て分かる変化がすぐに表れるものではないし、長距離界にフィジカルトレーナーは無縁の存在だったから効果も未知数。ですが、中野さんの理論には納得できる部分が多く、1年間は信じようと思っていました。
二宮: 私は常々、マラソンの前にする屈伸、あるいはアキレス腱を伸ばせみたいな準備運動が走ることに、どこまでつながっているのかなと思っていましたが……。
中野: その通りです。そもそもアキレス腱は伸びません(笑)。
原: モモ上げ1000回、腕振り1000回、全部無駄なことなんです。
二宮: この商売を30年以上もやっていると、「理不尽も必要なんだ」と言う指導者に会います。僕も原稿破られたりしたことがあるから、世の中そんなものかと思ったりするけれど、「理不尽に耐える時間がもったいない」とピシャッと言ったのが青学だと思うんですよ。
原: 上意下達の指導はもう成り立たないと思うんですよね。もちろん、それが似合う指導者もいますから否定はしません。
弘兼: 実際、原監督の指導は厳しくないのですか。
原: もちろん青学も根幹には規則正しい生活、厳しい練習がありますよ。起床は5時で練習は週6日。門限は夜10時です。ただ、今の選手たちは一度も破っていません。
二宮: 青学は原監督が選手と寮に住んでいるから、箸の上げ下ろしまでは見ないにしても、ちょっとした言動も見逃さない。
原: やはり、学生スポーツですから、監督兼寮監として、選手、主務、マネージャーをいかに教育するかは一つの使命です。ただ、基本的には学生に任せています。
弘兼: 奥さん(美穂さん)も住んでおられますよね。奥さんから「あの子は今日こうだったの」みたいな報告があるわけですか。
原: 不思議なことに、うちのカミさんは練習に出ていないんですけども、「今頃、A君は調子いいんじゃない?」「B君は悪いんじゃない?」というのが分かるんですね。
二宮: 「彼女ができたんじゃない?」とか(笑)。
弘兼: 「フラれて上の空じゃないの?」みたいな。
原: 青学はそういった情報も密に共有しながらやっております(笑)。
二宮: 原監督の話を聞いていて、世の中を変えるのは馬鹿者、よそ者、若者、なんて言葉を思い出しました。監督は馬鹿者じゃないけれど、陸上界の土壌を変えるという意味ではよそ者であったこと、青学が新興勢力の若者だったことで新しい風が吹いたんでしょう。
原: はい。ただし、実績を作るためには来年以降の箱根も勝ち続けるしかないと思います。そのうち、青学で学んだ人間たちが監督、コーチになれば、また違った陸上界になりますよ。
二宮: 釈迦に説法でしょうけど、箱根駅伝は金栗四三が、日本人が五輪のマラソンで勝つためにはどうすればいいかと考えて始めた。しかし、現状、その目的に結びついていないという声も根強い。
弘兼: 日本人がアフリカの選手に勝つ日って来るんでしょうか。
二宮: ラグビーでは、日本が南アフリカに勝てるわけがないだろう、何を寝言言ってんだと言われながら、エディー・ジョーンズはやったわけです。
原: エディー氏は日本のラグビー界そのものを変えてしまいましたね。
二宮: 長距離界も一回ちゃんと見直したら、勝てる日が来るんじゃないかと思ってしまう。箱根で結果を出した原監督と中野さんには、次のステージに挑戦してほしい。東京五輪・パラリンピックは4年後ですから。
原: 公開種目で箱根駅伝があればいいんですけどね(笑)。これからも批判を恐れず陸上界のための「出る杭」になりますよ。
(おわり)