広島
広島に本拠地を置く地方球団ながら、今やマツダスタジアムのみならずビジター球場でさえ、数多くのファンが詰めかけるほどの人気球団となった広島東洋カープ。平成28年から30年にかけて3連覇を成し遂げたチーム力だけではなく、球 […]
RCC(中国放送)の坂上俊次アナウンサーの新刊<「育てて勝つ」はカープの流儀>(株式会社カンゼン/定価:1600円+税)が3月9日に発売された。 坂上アナといえばカープ戦実況歴20年を数える実力派アナウンサ […]
昭和25年1月、広島にカープの誕生が広く伝えられ、広島の町はこの話題で持ち切りだった。その喧騒を横目に初代監督の石本秀一は選手集めに奔走し、その中で白石敏男(後に勝巳)という大スターを巨人から譲り受けることに成功した。 […]
昭和24年の年末のことだ。広島カープ最初のシーズンに入る前にファンに朗報が届いた。巨人軍の主力選手であり、逆シングルの名手・白石敏男(のちに勝巳)がカープに移籍するというのだ。カープ誕生前夜ともいえる結成時に、選手の中 […]
球団創設初年度の開幕に向け、昭和24年オフ、カープ初代監督・石本秀一の熱心な選手集めが続いていた。 自治体からのわずかながらの出資金を獲得資金とし、さらに自身の人脈もフルに活用した。戦前の職業野球時代の剛腕投手・中山正 […]
広島カープの初代監督に就任する石本秀一の生きざまを前回まで10回にわたり綴ってきたが、石本の人生経験が草創期のカープやのちのチーム運営に有形無形の礎となって生きていることは間違いない。とりわけ前回で紹介したが、広島商業 […]
アメリカでの邦人チームとの試合を8勝2敗3分で終え、昭和6年8月22日、サンフランシスコの港を出た広島商業(以下、広商)野球部一行が次に向かったのはハワイである。ハワイへの船旅は7日間に及んだ。石本秀一ら広商一行は総重 […]
広島商業(以下、広商)は昭和4年と5年の夏の甲子園大会で優勝し、さらに昭和6年春も制覇した。そのセンバツ大会優勝の褒賞旅行としてアメリカ遠征が与えられ、遠征中は日本からの移民が多かった西海岸沿いの都市の邦人チームと試合 […]
前回に引き続き、石本秀一監督率いる広島商業(以下、広商)ナインのアメリカ道中の話である。石本と広商一行は昭和6年7月21日から、約1カ月半に渡る北米遠征を行い、試合漬けの日々を送った。明治、大正の時代から大国アメリカに […]
石本は母校・広島商業(以下、広商)野球部の監督を務め、4度の全国優勝を飾り、広商の名声を全国に広め、名実共に日本一の監督となった。この昭和6年春、中等野球選抜大会(甲子園)を制覇した際、広商野球部にある褒章が与えられた […]
石本が野球において神の境地といえるものを感じられるようになり、試合を左右する目に見えない何かを求めるようになったのは、広島商業(以下、広商)の選手時代から監督時代を通じてであった。野球の神様が微笑む瞬間を精神力で引き寄 […]
カープ初代監督の石本秀一、彼の青年期には不遇のときも少なからずあった。石本自身の大きな後ろ盾でタニマチでもあった呉市の財閥、澤原家からのお金目当てに飲み食いする慶應義塾大学野球部に嫌気がさしたことは前回で書いたとおり。 […]
セ・リーグ4連覇を目指す広島カープが、今季も好調だ。序盤こそ黒星が先行していたが、11日から7連勝中。20日現在、首位・巨人にゲーム差0の2位に付けている。カープ人気も好調を持続している。開幕前に公式戦入場券購入に必要 […]
カープ初代監督に就任する石本秀一の人生は、波乱万丈の連続であった。親からの反対を振り切って広島商業に進学したのは前回で述べた。その後の大学進学においても騒動が起きたのだが、これは石本が「野球の神童」と呼ばれるほどの名選 […]
カープ初代監督である石本秀一本人のエピソードに触れるのは、今回で三回目となる。前回は石本個人の経済状態について書いた。いわゆる懐具合だ。プロ野球で監督やコーチをしながら、企業の株式を定期的に買い続けることで、財を蓄えて […]
終戦から4年が経った昭和24年秋、広島にプロ野球チームが誕生した。しかし原爆から復興最中の広島において、球団を抱える余裕のある会社などはなかった。カープ球団は親会社のないまま創設に向かい、広島県民や市民の期待を大きく背 […]
カープのセントラル・リーグ入りが認められ、広島駅に降り立った谷川昇がカープの大計を発表したのは、前号で述べたとおりだ。さあ、いよいよカープ丸が大海原に出ていくのだ--。 カープがこの世に生をみる昭和24年の年の瀬のこと […]
カープ球団は、昭和25年からセントラル・リーグの一員としてペナントに参戦できるようになった。その一番の要因は、前年の昭和24年、プロ野球の生みの親とされた正力松太郎が提唱した2リーグ制に端を発しているのは、過去に述べた […]
昭和24年に正力松太郎が、プロ野球2リーグ制を提唱したことがきっかけでカープ誕生の気運が加速するのは、「カープの考古学」第6回にて述べた。これにより谷川昇らが創立準備委員長となって、広島にプロ野球の球団をとの動きを早め […]
「小さい時からの憧れ、夢が最後の決め手だった」(「日刊スポーツ」12月12日付)と、丸佳浩は自らの巨人移籍について語ったそうだ。子供の頃から、東京ドームに野球を見に行っていたという。それを言われては、どうしようもないです […]
カープ創立準備委員長を務めた谷川昇の父・玉蔵はアメリカで財を成し、その仕送りにより後ろ盾が整い、昇はカープ設立にむけて奔走することが可能となった--。このことは前回に述べたとおりだ。今回は"カープ生みの親・谷川昇"の心 […]
残念でしたね、日本シリーズ。もはや、触れたくもないが、たまたま手にした中国新聞(ご承知の通り、カープ球団創設から関わった地元紙)に、こんな記事がありました。 <大きな壁となった甲斐の強肩に対し、なぜ広島ベンチ […]
3日、日本シリーズ第6戦がマツダスタジアムで行われ、福岡ソフトバンクが広島を2対0で下し、日本一に輝いた。ソフトバンクはこれで2年連続、前身の南海、ダイエー時代を含めて9度目の日本一となった。 ◇第6戦 MV […]
これが見たかった。日本シリーズ第5戦(11月1日)、7回表2死無走者。 マウンドにいるのは、広島のヘロニモ・フランスア。おもむろに左打席に向かうのは、福岡ソフトバンクの柳田悠岐。フランスアは今季中盤からカープに出現した […]
日本シリーズ第5戦が終わった時点で、カープは1勝3敗1分けと福岡ソフトバンクに王手をかけられている。崖っぷちで踏ん張ることはできるのか。 苦戦の理由のひとつにあげられるのが“甲斐キャノン”。カープは6回盗塁 […]