アームレスリングは競技台を挟んで2人の選手が対峙し、互いに腕1本のみで勝負をつける。究極の力比べともいえるだろう。そんなアームレスリング界で、最強への道をひた走るのが山本祐揮だ。その柔和な笑顔とは少々不釣り合いな身長183センチ、体重97キロの体躯を誇る。今年6月9日に行われた全日本選手権ではA−1(レベルカテゴリーの種類。同大会ではこの下にA−2も設けられている)レフトハンド100キロ級を制し、3階級制覇(10年80キロ級、11年90キロ級。ともにレフトハンド)を成し遂げた。

 まず、アームレスリングのルールを説明しておこう。公式戦はレベルカテゴリー、腕の左右、階級別に行われる。試合は主審と副審の計2名が裁き、主審の合図で開始する。競技台には試合を行わない手で握る「グリップバー」、ヒジを置く「エルボーパット」、そしてレンガ大の「タッチパット」が設置されている。タッチパットに競技者どちらかの手の甲がつく、もしくはタッチパットより下に下がれば決着だ(他に2ファールによる反則負け、レフリーの判断による優勢勝ちもある)。

 アームレスリングはロシアを始めとする東欧諸国やアメリカで盛んな競技だ。なかでもロシアやウクライナでは山本いわく「アームレスリングだけで生計を立てられる選手もいる」という。そんなアームレスリングに山本はどのようにして出合ったのか。そのきっかけを語るには、高校時代にまで遡る必要がある。

 腕相撲からアームレスリングへ

「高校1年生の時、友人から“腕相撲やってみない?”と誘われたんです。そこで対戦した友人たちに全勝しました」
 その後、同学年の生徒に連戦連勝。“腕相撲の強いヤツがいるぞ”という噂が校内に広まり、2年生や3年生どころか体育の教師にも勝負を挑まれた。そして、山本はそのすべてに勝利し、高校1年の時点で校内敵なしの状態だったという。そんな武勇伝は高校卒業後も続いた。2006年、知人から「藤枝市で飲食店を経営しないか」と打診された。父親が静岡市で韓国料理店を営んでいたこともあり、山本は父を誘って焼き肉店を藤枝市に開いた。

 しかし、「駅前だが、通りから少し奥に入った場所」だったという店の経営はなかなか軌道に乗らなかった。山本と父親は「何かいい対策はないものか……」と頭を悩ませた末に、1つのアイデアを思いついた。店前には「腕相撲に勝てば、全額無料」という看板が立てられた。

「集客アップのイベントとして考えました。高校時代から友人と腕相撲をやっても負けたことがありませんでしたし、自信があったんです」
2年間で約400人が、山本に挑戦してきたという。中には一度に15人の自衛隊員が訪れ、立て続けに15人連続で勝負したこともあった。それでも、山本が負けることはなかった。

 そんなイベントを始めて3年が経とうとしていた08年のある日、閉店間際に料理も頼まずに「腕相撲お願いします」と勝負を挑んできた人物が現れた。
「明らかに腕の太さが一般の人とは違いました。また、いつものようにテーブルの上で手を握ったんですが、それまで見たことがない独特の構えでした。これは何か違うなと感じ、『何かやっていますか?』と聞いたら、『アームレスリングをやっている』と。その時に、アームレスリングという競技があることを知りました」
 勝負は山本が勝った。そして、山本は挑戦してきた人物に所属チームへ誘われた。アームレスラーとしての素質を見抜かれたのだろう。競技に興味を持った山本は、その誘いを受け、アームレスリングの世界に足を踏み入れた。

 アームレスリングに感じた魅力

 アームレスリングの練習を始めて、山本は腕相撲にはなかった魅力を感じた。
「アームレスリングには“一瞬の美”があるんです。腕相撲はどちらかというと持久戦が多かった。しかし、アームレスリングは審判から『レディー、ゴー』と合図がかかった瞬間に全力で勝負をかけにいきます。そのために組手争いや腕を倒す方向など、さまざまな要素を一瞬で見極めないといけません。その意味で、腕相撲とはまったく違う競技だと思いましたね」

「もともと腕っぷしが強かった」という山本は、持ち前のパワーを前面に押し出すスタイルで、すぐに頭角を現した。競技を始めてわずか半年で出場した08年全日本選手権では、A−2レフトハンド90キロ級で優勝した。その勢いで翌年のA−1クラスの90キロ級タイトルを狙ったが、甘くはなかった。
「結果は表彰台にも上れない惨敗でした。当時のチーム内練習では私がパワーがあることを生かして、相手が力を入れてくるのを耐えてあげてから倒し返す練習ばかりやっていた。それで受け癖がつき、全日本選手権では対戦相手に押し込まれて、そのまま負けるかたちが多かったんです」

 アームレスリングを始めて1年半、山本が味わった初めての挫折だった。勝つためには何が必要なのか。ベテラン選手は相手の力を逃がすなどさまざまなテクニックを持っている。山本も「一通りのテクニックは身に付けた」という。ただ、試行錯誤の末に達した結論は「パワー」だった。

「相手のテクニックをパワーで殺して勝つ、というスタイルですね」
山本は筋力アップに重点的に取り組んだ。上半身だけでなく、体を支える下半身もバランスよく鍛え、瞬間的に全身のパワーを発揮できる体を目指した。また、試合開始の合図の瞬間に手首を巻き込むことにも注力した。これは、力を分散されないことに加え、わざと組手を離そうとする相手を逃げさせないためである。そうしたトレーニングが実を結び、練習試合や地方の大会で連勝を重ねた。

 実戦を積み重ねる中で、山本はアームレスリングのもうひとつの魅力を実感した。
「試合をやればやるほど友人が増えていったんです」
 焼き肉店のイベントで行っていた腕相撲でも多くの人と対戦したが、あくまで「料金無料」を賭けたその場限りの勝負だった。アームレスリングでは、試合前後に対戦相手同士が握手を交わす。そして、競技台から降りれば、同じ競技を愛する“仲間”として話し込む光景が見られる。一緒にアームレスリング界を盛り上げていこう――選手間で絆が生まれ、交流が深まる競技の特性に、山本はますます引き込まれていった。

 そして迎えた10年の全日本選手権で、山本はA−1レフトハンド80キロ級に出場し、優勝。悔しい惨敗の経験を糧に、日本一の座を手にした。山本の快進撃はここから始まった。彼は全日本選手権優勝で出場権を得た同年の世界選手権も制するのである。

(後編につづく)


<山本祐揮(やまもと・ゆうき)プロフィール>
1983年11月2日、愛知県生まれ。静岡を拠点に活動。中学、高校では柔道部に所属。08年からアームレスリングの練習を始める。10年に全日本選手権A−1レフトハンド80キロ級で優勝。同年の世界選手権レフトハンド86キロ級も制した。11年に全日本選手権A−1同90キロ級、今年6月に同100キロ級で優勝して3級制覇を達成。現在は世界のプロトーナメントの出場を目指しながら、自宅で「山本道場」を開いて競技の指導も行う。12年の第2回「マルハンワールドチャレンジャーズ」では協賛金100万円と二宮清純賞を獲得。身長182センチ、体重97キロ。

>>オフィシャルサイト
>>ブログ

 夢を諦めず挑戦せよ! 『第3回マルハンワールドチャレンジャーズ』開催決定!
 公開オーディション(8月27日、ウェスティンホテル東京)で、世界に挑むアスリートを支援します。現在エントリー受付中。オーディション観戦者も募集(抽選で30名様)。
 詳細は下のバナーをクリック!!


※このコーナーは、2011年より開催されている、世界レベルの実力を持ちながら資金難のために競技の継続が難しいマイナースポーツのアスリートを支援する企画『マルハンワールドチャレンジャーズ』の最終オーディションに出場した選手のその後の活躍を紹介するものです。

(鈴木友多)
◎バックナンバーはこちらから