nakamura11 新春の風物詩、「第92回東京箱根間往復大学駅伝競走」の号砲まで、あと1週間を切った。早稲田大学競走部の中村信一郎にとっては、大学最後のレースとなる。「(箱根駅伝は)4年間で1回走れればいい」と、敢えて強豪校に飛び込んだ中村。憧れだった舞台には既に2度立った。だが、いずれも満足のいく走りはできなかった。最後の箱根路に懸ける思いは強い。

「結局、三大駅伝優勝という目標を掲げて、1つも獲れずに最後の箱根駅伝になりました。大学で最後の試合ですし、恩返しがしたい。あとは全員で笑って終わりたいのもありますね。僕はいつも駅伝が終わったら泣いているので、笑顔で終わりたい思いは強いです」

 

 中村が3年時の箱根駅伝は総合5位だった。勝って渡辺康幸監督を送れなかったことに自責の念にかられている。

「箱根を5番で終わった時に渡辺さんが泣いているのを見て、責任を感じました。選手以上に思うことがあったのかなと。ちょっとショックでしたね」

 

 その頃から中村はもがいていた。練習では思い通りに走れていても、試合ではなかなか発揮することができなかった。自分の思い描くレースプランに辿り着けない。いわば“ブルペンエース”だった。

 

 当時はコーチだった早大の相楽豊監督はこう証言する。

「­ある練習では­大迫(傑)よりもいい記録で­走るほど­ポテンシャルが­高い選手­だった。期待して渡辺さんも­僕も送り出す。ただ本番では、それがなかなか出てこなくて­悔しい思いを­何度も繰り返していました」

 

 駒野亮太コーチには一時期、「エースになる」期待さえあったという。「3年生の練習が抜群に強くて、周囲と『信一郎どうなっちゃうんだろうね』と話をしていたのですが、意外と突き抜けなかった。練習の結果だけみれば、頭ひとつ抜けていた存在でした。夏合宿の結果はすごかったので期待していたんですが、フタを開けてみたら……。彼自身も試合に対して苦手意識というか、練習と同じ心持ちで臨めないジレンマがあったんじゃないかなとは思いましたね」

 

 羽はあるはずなのに飛べない。そんなもどかしさが中村にはあった。それは最終学年になっても払しょくできずにいた。飛躍の時まで時間を要した。

 

 向き合った心の弱さ

 

nakamura13 中村の苦悩の時期を、相楽監督はこう振り返った。

「特に3年生の­終盤から4­年生の前半にかけては、レースの途中でも­苦しいところで­離れて終わってしまう。最後競り勝つ­とか、­走り切るレースが­見られなかったので­、それを­厳しく­本人にも言いました」

 

 6月のことだった。「全日本大学駅伝対校選手権大会」予選会を早大は4位で突破した。トップ通過を目標としていた同大からすれば、到底納得のできる成績ではない。主力してチームを引っ張る走りを期待された中村も第3組22位と振るわなかった。相楽監督はレース直前に中村から「調子が良い」と聞いていた。しかし、レースが­終わると「実は体が重たかった」という言い訳めいた言葉が口をついた。それが相楽監督は許せなかった。「2、3回目だったので、“ちょっと違うだろう”と。­自分では『­調子が良くていける』と­言っていたのに、­負けたから『­調子が悪かった』というのはね」

 

 中村は“なぜ走れないのか”と考えた時に、「調子が悪い」「走っていて足が重くなった」と言い訳をしていた。だが練習の場面では調子が悪かろうが、途中で足が重くなろうが、離されたことはそうなかった。そこでやっと自分の精神力が弱いだけだと気付かされた。中村が相楽監督に相談すると、相楽の友人であるメンタルトレーナーを紹介してもらうこととなった。

 

 メンタルトレーニングで中村は、心の弱さと向き合うことで、自らの殻を破りつつあった。今年の「第84回日本学生陸上競技対校選手権大会」(全日本インカレ)の1万メートルに出場した。走る距離は全日本大学駅伝の予選と同じ。留学生が先攻するレースで中村は、「8位に入れればいい」と10、11番手でレースを進めいていた。前半飛ばした選手たちが、中盤から後半ペースを落としていくと中村はしり上がりに順位を上げていく。最後のスパートで日本人トップを狙ったが、惜しくも届かなかった。それでも5位入賞を果たし、タイムも自己ベストの28分52秒80を叩き出した。

 

 確かな手応えを掴み、秋を迎えた。駒野コーチもその“違い”を感じ取っていた。「それまでの中村にはアスリートとして頼りないというか、“大丈夫かな”という不安感があった。今年の夏合宿に入る前にメンタルトレーニングを受けたことで、試合に対しての持っていき方が上手になったなと思います。試合前も自信がみなぎっている。試合前の顔つきを見て、いけそうかなと判断できるようになってきましたね」

 

 涙の檄。会心の走り

 

 しかし、「出雲全日本大学選抜駅伝」は6位に終わった。3区を任された中村自身も区間7位と振るわなかった。

「インカレは自信にもなったんですが、今思うと、自信をどこか履き違えていたような気はします」

 

nakamura14 早大は2010年度に3冠を達成して以来、駅伝の優勝がない。中村ら4年生は一度も優勝の味を知らぬままだった。“変わらないといけない”。その想いがこみ上げてきた。一方で、チームに対しては緊張感に欠ける後輩が目に付いた。

「僕らの学年は駅伝三冠という目標を掲げてやってきて、初戦の出雲駅伝が6番という形になった。走った選手も走らなかった選手も、変わらないといけないというふうは感じていたんです。でも練習と私生活のメリハリがまだ付いていないような気がしました。チームを奮起させる必要があると思ったので、練習後のミーティングで檄を飛ばしました。何より僕自身が変わらないといけないと思っていたから」

 

 一部のメンバーがグラウンドに集まってミーティングを行った。そこで中村は「4年生は本気です。ついてきてほしい」と涙を流しながら下級生に訴えた。4年の柳利幸は「よく言えば仲良し集団。それだけにとどまっていた部分も若干ありました。でも練習の時にそういう雰囲気でやっていては勝てない。信一郎が空気を引き締めてくれた」と語れば、同学年の前野陽光も「前半期になかなか思ったより結果が出ていないということもあって、一時期4年生の信頼が薄れた時期もありました。信一郎の言葉はすごく効果的だったと思います」と述べた。

 

 下級生にも想いは届いた。次期キャプテンで、1学年下の平和真は胸に響いたという。

「それはものすごく大きな転機になりました。今年の4年生は最後の年ですごく優勝したくて、真剣にやっていた。下級生の少しだらしがないところとか、楽しそうにやっている感じが目に入ってしまったんです。4年生の本気度を3年生以下が感じられたことはとても大きかったですし、あそこでみんなスイッチが入ったと思います」

 

 11月の全日本大学駅伝、「言ったからにはやらないといけないという思いもありました」と責任を背負って走った。1区を秒差なしの3位で襷を渡す活躍を見せる。「本当に力を出し切れた」と自らも納得できる快走。早大も4位とまずまずの成績を収め、2カ月後の箱根駅伝に弾みをつけたのだった。

 

「往路のキーマン」

 

nakamura12 徐々に近づきつつある箱根駅伝。早大の相楽監督はエース不在、“全員駅伝”をキャッチフレーズに総力戦で勝負する。エントリーメンバーの中村は往路起用が有力視されている。「往路の1、2、3区はチームに勢いを付けないといけない大事な区間。そこは最上級生としてチームの流れをつくる仕事がしたいと思っています。それが4年生の責任だと思っていますし、チームの主力である以上は頭に置いて練習をしていかないといけないと思います」。自身は火付け役を希望する。

 

 駅伝主将を務める高田康暉は「努力家で、天から地まで経験している選手。地道に力をつけて、頼れる存在になっているので、僕としても安心できる。一緒にチーム引っ張れる存在ですね」と大きな信頼を寄せている。前回の箱根は中村が1区で、高田が2区だった。

 

 駒野コーチも中村に対する期待値は大きい。

「監督はエース不在だと言っていますが、今のチームの中でポイントを走らせて一番強いのは、中村信一郎です。そういった意味ではエース的な役割を果たしてくれると期待しています。チームを勢いづけさせてくれる区間で、それ相応の近い順位で走ってくれるはず。往路のキーマンは彼だと思います」

 

 全日本大学駅伝で快走した中村には、多くの期待が集まっている。眠っていた才能が花開きつつあるランナー。最後の箱根路でどんな走りを見せるのか。「笑顔で僕らの代は終わらせたいし、全ての監督、コーチ、選手に笑顔で終わってほしい」。彼が望むのは有終の美ならぬ“有笑”の美である。

 

(おわり)

 

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中村信一郎(なかむら・しんいちろう)プロフィール>

nakamura161993年4月14日、香川県高松市生まれ。小学1年時から陸上を始め、6年時には全国小学生陸上競技交流大会の走り幅跳びで9位に入った。龍雲中、高松工芸高時代はいずれも中距離で全国大会出場。11年、早稲田大学に入学すると、2年時に出雲駅伝で学生駅伝デビューを果たす。14年の箱根駅伝に10区を任され、15年は1区を走った。今シーズンは全日本インカレの1万メートルで日本人2位の5位入賞。出雲駅伝では区間7位と振るわなかったが、全日本大学駅伝では1区を3位で襷を渡し、チームの4位入賞に貢献した。身長174センチ。体重57キロ。

 

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(文・写真/杉浦泰介)

 


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