ついにこの日が訪れた――。5月18日、記録会に出場した高桑早生が100メートルで13秒98をマークした。自己新には至らなかったものの、実戦のレースで13秒台を出したのは、実に3年ぶり。2011年9月のジャパンパラ以来のことだ。
「11年の時は『出てしまった』という感じだったが、今回は違う。完全に高桑が『出した』13秒台。今後は常に13秒台をマークするようになると思いますよ」
 10年から高桑を指導する高野大樹コーチは、そう自信を口にした。いよいよ、16年リオデジャネイロに向けて、覚醒の兆しが見えてきた――。
(写真:3年ぶりに13秒台を出した高桑。日本選手権では日本新を狙う)
 進化のための試行錯誤の日々

 昨年、高桑は13秒台を出すことができずにシーズンを終えた。練習ではいくら手応えをつかんで実戦に臨んでも、14秒の壁を破ることができない。それは、今シーズンの序盤まで続いたという。そんな高桑に変化をもたらしたひとつのきっかけは義足だった。今年3月、高桑はこれまで使用していた国内メーカーの義足から、オズール社製(アイスランド)の義足に替えた。世界トップの義足ランナーたちが愛用しているのがオズール社製であり、競技用義足では世界トップメーカーである。

 そのオズール社製の義足について、高野コーチはこう感想を述べている。
「やっぱり世界のトップランナーたちを相手に作られているだけあって、走ることに対して研究し尽くされた義足だなと思いましたね。うまく重心を乗せて地面をとらえることができれば、それに応えて反発力が生み出される構造になっているんです。しかも健足に近い感覚で体を弾ませてくれる。それは見ている僕にもわかるんです」
 オズール社製の義足は、ウワサで耳にした通り、「走ることに特化されて作られた義足」だった。

 とはいえ、義足を替えたからといって、速く走れるものではない。特に反発が強ければ強いほど、それに耐え得るだけの筋力が必要であり、身体のバランスを取ることも、また難しくなる。特にオズール社製の義足は、心技体すべてを兼ね備えて初めて使いこなすことのできるものなのだ。そのことを誰よりも感じているのは、もちろん高桑本人だ。彼女は新しい義足についてこう語っている。

「義足のたわみを走力に転換するためには、重心を乗せる位置が非常に重要なんです。その位置がほんの少しでもずれると、義足はまったくたわんでくれない。特にオズール社の義足はとても繊細で、その重心を乗せる位置がピンポイントなんです。そこにきちんと重心を乗せることができれば、爆発的な力を引き出すことができる。でも、少しでもそのポイントを誤ると、逆にヒザが伸びてしまって、お尻からガクンと落ちてしまう。ケガへのリスクもある。だからこそ、きちんとポイントをつかまないといけないんです」
 感覚的なものに頼らざるを得ないこの作業がいかに難しいかは、想像に難くない。

 好バランスを生み出したアクセント走

(写真:バランスを取り戻すために重要視されたアクセント走。義足側のキックに意識を強くもつ)
 高桑は約1カ月後には重心を乗せるポイントを掴み始めた。ところが、走力に転換するたわみが出始めると、今度は違う問題が生じた。ひとつは左右の足のバランスである。
「以前の義足は、意識的に地面に大きな力を加えることによって、反発力を生み出していました。ところが、オズール社の義足はそれほど地面に力を加えなくても、以前と同じくらいの反発力が出るんです。最初の1カ月くらいはすごく動きがよく見えていて、本人もいい感触を得ていたようです。ところが、徐々に走りのバランスが崩れていってしまった。力を入れなくても、反発力が生み出されるものだから、自然と身体が楽をし始めたんでしょうね。義足側に地面をきちんととらえる動きが失われていったんです。そこで健足側とのバランスが崩れてしまいました」(高野コーチ)

 この時に改めて重要視されたトレーニングがある。義足側のキックに意識を強くもたせるアクセント走だ。具体的に説明すると、2歩目、4歩目、6歩目……と2歩をワンサイクルと考えてマーカーを置き、義足側で地面をプッシュする瞬間を強調して走るというものだ。新しい義足の反発力によって失われてしまった「義足でしっかり地面に力を加える」という感覚を再度インプットしようという狙いがあった。

 これまで高野コーチは、左右のバランスを良くするために、両方の足に同じようにアクセントを置くというトレーニングを高桑に課してきた。しかし、それでは思ったより動きが良くならない。「なぜだろう……」。昨年から高野コーチはずっとそのことを考えてきた。そこで導き出したのが「これまでの考えを一度、壊してみた方がいいのではないか」というものだった。

「昨年から『彼女はもっと行けるはずなのに』という思いがずっとあったんです。これまでやってきたことをさらにレベルアップさせていくということも大事だとは思ったのですが、それでは何かもう一歩殻が破れないという思いがありました。それで思い切って違う考え方をしてみようと」

 考えた末に導き出したのが、片方の足にアクセントを置く方法だった。
「改めて自分で走ってみると、左右の足を一瞬で入れ替える中で、一歩一歩、両方の足を意識して走るというのは難しいなと思ったんです。それに、実は周囲の人からも『左右同じようにキックするというのは難しい。ならば、一層のことどちらかの足を強化してみたらどうか?』というアドバイスをもらっていたんです。ただ、果たしてそれがいいのかどうか自信がなかった。でも、リオまでを考えると、新しいことを試すなら今しかないと思って、とにかくやってみようと」

 とはいえ、義足側だけにアクセントをつけた走りをしたのでは、やはり義足側だけが強くなり、健足側とのバランスを保つことはできないのではないか。そう疑問をぶつけると、高野コーチはこう答えた。
「一般の小学生や中学生を教えることもあるのですが、その時に思うのは、誰にでも左右で蹴りやすい方と蹴りにくい方があるんだなということ。それで『蹴りやすい方の足を伸ばしていこう』と考えたんです。というのも、人間というのは自分たちが思っている以上に、バランス感覚に優れていて修正能力が高い。だから、片足だけにアクセントを置くことで、もう一方の足にもいい刺激が生まれるのではないかと思ったんです」

 高桑に蹴りやすい方の足を訊いてみると、義足側と答えたという。そこで、先のようなトレーニングを始めたのが今年2月。義足を替える約1カ月前のことだった。そして、義足を替えてバランスが悪くなった時期に、そのトレーニングをより重視して行なった結果、高桑は見事にバランスを取り戻したのだ。

 再浮上した“上半身のねじれ”問題

 もうひとつの問題は、上半身のねじれだった。新しい義足をたわませ、反発力を得るようになった途端、以前に克服したはずの上半身にねじれが生じ始めたのだという。その理由を、高野コーチはこう推測する。
「おそらく滞空時間が長くなったことによって、本人としては『進んでいる』という心地良さを感じていたはずです。その心地よさが、上半身にねじれを生じさせる“甘え”になったのではないかと思うんです。上半身がねじれると、着地した時には肩が開いた状態ですから、それを戻すためにロスが生じ、次の足の動きが遅くなっていくんです」
(写真:上半身の動きにも修正が加えられ、5月には3年ぶりの13秒台を出した)

 さらに上半身がねじれると、腕の振りも変わってくる。
「上半身がねじれると、あわてて身体を戻すために、腕を抱え込むようにして前に出そうとする。そうすると腕の振りが小さくなるんです。それでは腕の推進力をまったく使うことができませんし、肩が上がってしまいます。実は肩と骨盤は連動していて、肩を下げることによって地面にしっかり力を加えることができるんです。ところが、高桑はねじれた身体を戻そうとする余り、力んで肩が上がっていました。これでは地面にしっかり力を加えることができません」

 そこで身体がねじれて肩が開くことは一度置いておき、まずは腕を引いてから前に戻す時の切り替えしの部分を強く意識し、力まずに大きく振ることを心がけさせたという。それが身体のねじれを改善させた。
 こうしたひとつひとつの細かな修正が、13秒台を叩き出す走りへとつながっていったのだ。

 メンタル面の成長に見る進化

 さて、高桑にとって今シーズン最初の“本番”が近づいてきている。7、8日に長居陸上競技場で行なわれる日本選手権だ。そこで、選手権1週間前の5月31日、高桑が通う慶應大学日吉キャンパスの陸上競技場を訪れた。高桑の走りを見るのは、約1年ぶりとなる。しかも前述したとおり、今年3月から高桑はオズール社製の義足に替えている。オズール社製の義足で走る彼女を今回初めて目にするとあって、自然と期待が膨らんだ。

 ウォーミングアップ後、前述したアクセント走が行なわれた。まずは、先入観を取っ払い、じっくりと観察してみることにした。
「ん……?」
 目の前を走る彼女を見て、頭の中に疑問符がいくつも並んだ。もう一度、頭を空にして見てみた。だが、やはり同じだった。滞空時間が短く、大げさに言えば地面に足がひきずられているように見えたのだ。後方から見ると、不思議にも高桑の足が後ろへと引っ張られているような感覚さえ覚えた。

 そう、高桑は調子を崩していたのだ。1週間前から身体が重く、思うように足が動かないのだという。そのため、前述した重心のポイントをとらえることができず、義足がたわんでいなかったのだ。今後は調子を落とした時に、いかにポイントをおさえた走りをするかが課題となるのだろう。そのためには、やはり義足を使いこなすことが重要である。

(写真:オズール社製の義足。使いこなすには心技体すべてが求められる)
 だが、高桑は「使いこなそうとしすぎてもダメだ」と言う。
「あまりにも義足を使いこなそうという意識が働き過ぎると、以前の義足と同じ動きをするようになると思うんです。それではまとまった動きはできるかもしれませんが、せっかく義足がバージョンアップしたのに、自分自身の走りをレベルアップさせることができない。新しい義足の最大限の力を発揮することができる動きをしてこそ、使いこなすことになるんだと思います」

 なるほど、と思った。と同時に、練習前の高野コーチの言葉を思い出していた。
「彼女にとって今年は、大学最後の年ということもあって、陸上に対する気持ちはこれまで以上にあると感じています。以前は僕に頼るところが大きかったのですが、今は彼女自身で自分の走りを理解しているところが少なくないんです。練習を見ていても、今自分の動きがずれているということに、自ら気づけるようになってきたりしている。だから、徐々に細かいことまで僕が口を出さなくても済むようになってきました。何かテーマを与えた時の反応も違いますね。これまでは1週間経っても、何も動きが変わっていないこともよくあったんです。でも、今は翌日でも変化が見てとれるんですよ。ひとりのアスリートとして、自立してきたなと思いますね」
 13秒台を出した要因は、義足や技術に限ったものではない。メンタル面での成長が多分にあるということだ。

 その日、日本選手権前最後のタイムトライアルが行なわれた。結果は14秒5。日本選手権では日本記録(13秒84)を上回るタイムを狙っている高桑。「果たして、1週間で調子を取り戻すことはできるのか」。思わず、そんな不安がよぎった。だが、高桑自身に不安の色は見えない。それどころか、その表情はどこか落ち着いて見えた。
「身体は動いていないし、前に進んではいないけれど、悪い状態の割には納得した走りができました。展開(加速の切り替えなど)もまずまずかな。あとは身体の重さが抜ければ、大丈夫だと思います」

 そして、高野コーチもこう語る。
「あと1週間ありますから、しっかりと調整さえすれば大丈夫です。調子が悪い原因もはっきりしていますから、それほど心配はしていません」
 さらに、こう続けた。
「でも、1週間前にこれだけ調子を落としていて、日本選手権で日本新を出したら、ある意味、彼女は本当のアスリートになったということでしょうね」
 日本障害者陸上・女子短距離界に新たな歴史の1ページが刻まれる時は、もうすぐそこまできている――。

高桑早生(たかくわ・さき)
1992年5月26日、埼玉県生まれ。小学6年の冬に骨肉腫を発症し、中学1年の6月に左足ヒザ下を切断した。中学時代はソフトテニス部に所属。東京成徳大深谷高校では陸上部に入り、2年時には初の国際大会、アジアパラユースに出場。100メートル、走り幅跳びで金メダルを獲得した。2010年のアジアパラリンピックでは100メートルで銀メダル、走り幅跳びで5位入賞した。11年からは慶應義塾大学体育会競走部に所属。同年9月のジャパンパラリンピックでは100メートルで自身初の13秒台となる13秒96をマークし、日本記録に0.12秒に迫った。12年ロンドンパラリンピックでは100メートル、200メートルともに決勝進出を果たす。

(文・写真/斎藤寿子)