リオパラリンピックを目指すスプリンター高桑早生が今、波に乗っている。8月30日、「ナイター陸上競技大会」に出場するという高桑を見に、東京都江東区にある夢の島陸上競技場へと向かった。高桑のレースを見るのは、昨年4月の「チャレンジ陸上大会」以来。その後、2、3度、練習を観に行くことはあったが、“本番”の走りを目にするのは、実に約1年半ぶりだった。レース前のアップに合わせて競技場入りしたが、やはりアップは見ないことにした。何も見ることなく、聞くことなく、無の状態で高桑の走りを“感じたい”と思ったのだ。果たして、1年半ぶりに見る彼女の走りは――確実に進化していた。フォームの美しさが一段と増していたのだ。だが、これが彼女のベストではないとも思った。「まだ伸びる」。そう感じたレースだった。
(写真:今シーズン、自己ベスト更新し続けている高桑)
 今回、一番注目していたのはスタートだった。今年5月、練習に訪れた際、高桑が「以前のような思い切りのいいスタートができなくなっている」と課題に挙げていたからだ。要因は、今年3月に新しい義足に替えたことにあった。新しい義足は世界のトップランナーたちが愛用している、競技用義足では世界トップメーカーのオズール社製のものだ。うまく重心を乗せて地面をとらえることができれば、大きな反発力を生み出し、健足に近い感覚で体を弾ませてくれるという。

 だが、オズール社製の義足は非常に繊細で、身体のバランスを取ることが難しい。新しい義足に替えて4カ月、高桑は当時こう語っていた。
「義足のたわみを走力に転換するためには、重心を乗せる位置が非常に重要なんです。その位置がほんの少しでもずれると、義足はまったくたわんでくれない。特にオズール社製の義足は、その重心を乗せる位置がピンポイントなんです。そのポイントを少しでも誤ると、ケガにつながる。だからこそ、きちんとポイントをつかまないといけないんです」

 当時、まだ彼女はポイントをつかみきれずにいた。特に義足側から踏み出すスタートに自信を持てずにいたのだ。さらに彼女のブログを見ると、7月5日に行なわれた関東身体障害者陸上競技選手権大会においても、<やっぱりスタートがいまいち上手くいかない。なんか重たいスタートになってしまいました。(中略)アジアに向けてもう一度立て直します。>とあった。そこで、今回はいつものゴール付近ではなく、スタートの位置から見ることにした。

 タイムに表れた進化の跡

 そのスタートは、ベストではないにしろ、私の目にはいいように映った。きれいに素早く、義足の一歩目が踏み出せていたように見えたのだ。実際、本人に訊くと、「最近では一番と言っていいくらい勢いよく出ることができた」と語った。実は数日前までは、あまり良くはなく、重点的に練習してきたのだという。ようやくいい感触を得たのは前日のことだった。

「スタートで出せた勢いのままに、途中まではうまく走れました」と本人が語るように、前傾姿勢から上体を起こし、加速していくその様は、非常にスムーズできれいだった。余計な力みをまったく感じさせず、“地面を走る”というよりも、“空中を翔ける”といったイメージに近い走りに映った。

 だが、最後の10〜15メートルほどだろうか、ゴール付近になって、急に走りが変わってしまったのだ。上半身は肩が上がった状態で横振れし、下半身はバネがなくなって動きに重さを感じた。果たして、本人はどうだったのか。
「後半はもったりとしてしまいました。上半身が崩れて、腕でもっていこうとしてしまいましたね」

 聞けばこの夏は北海道、妙高高原での合宿が立て続けにあり、妙高の合宿からはわずか1週間だという。「疲労は残っている」状態であり、最後までスタミナが続かなかったことが要因だった。それでも記録は13秒86である。「未来は明るい」と彼女が笑顔で語った通り、ほとんど調整できなかったにもかかわらず、13秒台のタイムを出したのは、明るい材料である。そしてここにこそ、昨シーズンまでの彼女にはなかった強さがある。

 つかんだ新義足への自信

「いつでも出せるくらいの状態にあった」昨シーズン、高桑はレースでは一度も13秒台を出すことができなかった。13秒96の記録を出したのは11年9月のジャパンパラ競技大会。それから約3年間、一度も14秒の壁を破ることができずにいた。だが、今年5月の記録会で13秒98をマーク。高野大樹コーチの言葉を借りれば、3年前の「出してしまった」記録ではなく、「完全に彼女自身が出した」真の13秒台だった。

 止まっていた時計の針が動き出したかのように、高桑はそれ以降、順調にタイムを伸ばし続けている。6月の日本選手権では日本記録にあとわずか0.02秒に迫る13秒86をマーク。さらに7月の記録会では一気に13秒69にまで伸ばした。それは日本記録を0.15秒上回る、約3年ぶりの自己ベスト更新の瞬間だった。

 この時のレースを高桑はこう振り返る。
「6月頃から、いつ日本記録を出してもいいという状態ではありました。ただ、その時は特に記録を狙っていたわけではなかったんです。その前の関東障害者陸上選手権(7月5日)ではあまりいい走りができなかったので、とにかく取り組んできたことをきちんと出そうということだけでした。だから気持ち的には楽に走ることができました。一番のテーマだった義足でしっかりと地面を押すという走りができたので、13秒8くらいかなという感触はあったんです。でも、まさか13秒69とは……自分でも驚きました」

 高桑ははじめ、好記録の要因は、2メートルの追い風に助けられたものだと考えていた。だが、後でレースのビデオを見ると、確かにいい動きをしていたのだという。義足側の接地が安定しているのを確認し、自身が新しい義足を使いこなし始めていることを確信したのだ。高桑は、またひとつ殻を破った自分を感じていた。
(写真:今年3月に替えたオズール社製の義足。重心を乗せるポイントをつかむのに苦労した)

 これを機に、高桑は課題をシフトした。前述したように、これまでは新しい義足を使いこなし、いかに走力へと転換していくかをテーマとしてきた。何度も練習を繰り返すことで、義足のどの部分に重心を乗せれば、反発を生み出せるか、ようやくそのポイントをつかんだ今、健足側により意識を強く持ち始めている。ズバリ、テーマは「屈曲と回復」。接地してからの足首の動きと、地面を押した後の足首の戻しのスピードだ。

「膝関節と足関節をバネのようにして地面を押すというのが理想です。でも、私はもともと足首が硬いので、接地した後にそのまま足首が伸びてしまうんです。それでは、地面を押してから足首を戻すのに時間を要してしまう。足首がバネのように軟らかい動きができれば、足首の角度を小さくでき、素早く戻すことができるんです」
 ほんのわずかな動きのロスが、勝敗を分けるのだ。

 好記録連発の源は自主性にあり

 さて今シーズン、高桑が順調に記録を更新している理由を、高野コーチはこう語っている。
「一番大きいのは、自主性が出てきたことにあります。これまではこちらが言うことを言われるがままにこなしていただけという感じでしたが、今は違います。こちらが言ったことを自分の中できちんと咀嚼して理解したうえでやっている。だから、動きにずれが生じても、ちょっと言うだけで、すぐに調整できるんです。僕が頭の中で“こうしてほしいなぁ”ということを、彼女は頭で理解して、それを身体で表現することができる。だからこそ、今シーズンは練習してきたことをレースでも出せているんだと思います。7月にマークした13秒69も、僕は驚きませんでした。ゴールした瞬間に『これは出たな』と。練習で既に出る予感はしていましたからね」

 高桑の陸上に対する考え方、取り組み方が変わったことは、インタビューをしていても感じることが少なくない。どんな質問に対しても、彼女なりの答えが即座に出てくる。特に課題である部分を語る時の表情や口調がこれまでとは明らかに違う。例えば、レースで良くなかった部分を語る時、以前のようなどこか重々しい雰囲気はまったく感じられない。彼女の中でしっかりと理解し、今後どうすればいいかがわかっているからだろう。しっかりとした口調で答えるその表情はどこか清々しい。

 今シーズン、高桑が最も照準を合わせているのが10月のアジアパラ競技大会。そこでさらに自己ベストを更新するつもりだ。
「どういう結果が出るか、すごく楽しみです」
 4年前、首にかけたのは銀メダルだった。今度は表彰台の中央で、最も輝かしいメダルをかけ、センターポールに上がる日の丸を見つめる彼女の姿が見られるに違いない。今の彼女にはそれだけの勢いがある。

高桑早生(たかくわ・さき)
1992年5月26日、埼玉県生まれ。小学6年の冬に骨肉腫を発症し、中学1年の6月に左足ヒザ下を切断した。中学時代はソフトテニス部に所属。東京成徳大深谷高校では陸上部に入り、2年時には初の国際大会、アジアパラユースに出場。100メートル、走り幅跳びで金メダルを獲得した。2010年のアジアパラリンピックでは100メートルで銀メダル、走り幅跳びで5位入賞した。11年からは慶應義塾大学体育会競走部に所属。同年9月のジャパンパラリンピックでは100メートルで自身初の13秒台となる13秒96をマークし、日本記録に0.12秒に迫った。12年ロンドンパラリンピックでは100メートル、200メートルともに決勝進出を果たす。今年7月、100メートルで日本新記録となる13秒69をマークした。

(文・写真/斎藤寿子)