(写真:東京、新潟、福岡、大阪、栃木、横浜と6都市のチームを渡り歩き、選手としてのキャリアを重ねてきた  ©B-CORSAIRS/T.Osawa

 平均年齢28.2歳(10月20日時点)のプロバスケットボールチームの中、42歳でプレーするベテランシューティングガードがいる。男子プロバスケットボールリーグB.LEAGUEの横浜ビー・コルセアーズに所属する竹田謙だ。不惑を超えてなおコートで走り続ける。2014年限りで現役を引退した竹田が、コートに戻ってきてから4年の歳月が経過した。彼は今、「実験のような感覚」で2度目の現役生活を送っている。

 

 神奈川県生まれの竹田は、青山学院大学を卒業後の01年、東京海上(現・東京海上日動ビッグブルー)に入社した。社員選手としてプレーした翌年、新潟アルビレックスBBとプロ契約を結んだ。新潟で3シーズンプレーした後、福岡レッドファルコンズへ移籍。しかし、シーズン途中でチームが解散したため、松下電器パナソニックスーパーカンガルーズへ移籍した。08年からはリンク栃木ブレックス(現・宇都宮ブレックス)で6シーズンプレーし、チームのJBL1部初優勝(09-10シーズン)にも貢献した。日本代表としては、愛知で開催された09年東アジア選手権大会、中国・広州での10年アジア競技大会などに選ばれた。竹田は日の丸を背負い、東アジア選手権準優勝、アジア大会16年ぶりの4位入賞を経験した。

 

(写真:横浜に加入して5季目。「環境はどんどん良くなってきている。更にいろいなことが発展していく期待感もあります」と語る ©B-CORSAIRS/T.Osawa)

 プロアマ5チームでプレーした渡り鳥は、「やりきった」と14年に現役引退を決意した。引退後は、栃木でアンバサダー&アシスタントGMを1年務めた後、Wリーグ(日本女子バスケットボールリーグ)デンソーアイリスのアシスタントコーチに就任した。だが女子バスケットを指導しているうちに、竹田の感情に変化が生じてきたのだ。

「現役を辞めた時は、気持ち的にも燃え尽きたような感じでした。“あとは若い選手に任せよう”と。デンソーでコーチをした後は、またフレッシュな気持ちで“バスケットがしたい”と思うようになったんです。当時は37歳。どれだけ自分ができるのかという怖さもありました。体力が落ちてきた中で、自分ができることを探し、バスケットを深く突き詰めていこうと思ったんです」

 

 16年当時、横浜のHCは青木勇人。竹田とは新潟時代の元チームメイトで、コーチ仲間として連絡を取り合っていた。青木HCからは「横浜でアシスタントコーチをやらないか?」との誘いを受けた。その後、小川直樹GM(当時)に会った際に「選手もやりたいんです。コーチとの兼務でも構いませんから」と思い切って打ち明けた。すると小川GMからは「どうせやるなら選手一本でやりなよ」という答えが返ってきた。こうして竹田の37歳での現役復帰が決まった。

 

(写真:「ミスが起きた時の声掛けやポジショニングでカバーすることを意識しています」。守備において数字に表れない部分も大事にしている ©B-CORSAIRS)

 バスケットボールは攻守の切り替えが速く、接触プレーもある。豊富な運動量が求められる競技で、37歳でのカムバック、2年のブランクを経てのチャレンジは異例である。「テニスの伊達公子さんも37歳で復帰しました。野球のイチローさんも現役でプレーしていましたし、自分より年上の選手が活躍している姿は、大いに刺激になりましたね」

 

 プロバスケットの世界に戻ってきた竹田は、B.LAEGUE初年度からプレーし、復帰から5シーズン目を迎えた。昨季限りでレバンガ北海道の折茂武彦(引退時49歳)、シーホース三河の桜木ジェイアール(43歳)が現役を退いたため、今季からは竹田がB1、B2最年長選手となった。

「その質問がめちゃくちゃ増えたぐらいで、特に自分としては意識してはいません。コートにいる以上、年齢は関係ないですから。チームの中でも僕がああだこうだと言うよりも、選手みんなから意見が出ることで変わっていく方がいいと思っています。だから僕はみんなから意見が出てきたことに対し、フォローしていくという心構えでいます」

 

 渡り鳥の終着駅は?

 

 10月で42歳になり、肉体的な衰えを感じないわけではない。昨日までできたことが今日はできない。そんなジレンマと戦いながらの日々だ。

「身体の衰えはめちゃくちゃあります。“ こ ん な こ と も で き な い の か ” と シ ョ ッ ク を 受 け る 日 も あります。日々、いろいろなことが起き、悔しいし、情けないと思うこともありますが、落ち込んでばかりもいられない。身体が衰えていく中でどう動くか、正確なプレーをできるか。ひとつ実験のような感覚で、楽しむしかないですね。トレーナーやストレングスコーチなど周りの人に相談しながら、自分の今できるベストを探している感じです」

 

(写真:横浜はクラブ創設10周年を迎えた若いチームだが、「着実にステップアップしている」と成長を実感している ©B-CORSAIRS/T.Osawa)

 竹田は昨季40試合中、先発出場は8試合。今季出場した4試合は全て途中出場だ。これについては「元々スターター向きの選手ではありません。自分自身としてもシックスマンで出ていく方が好き」と意に介していない。

「ただシックスマンとして出るにしても、スターターと同じレベル、あるいは近いレベルでないといけません。だから今いる選手たちと競い合う気持ちでやっています」

 

 チームとしての目標は「リーグ中位のポジションを取る」と語る。チームは過去4シーズン中3度の残留プレーオフに回っている。昨季はリーグ戦が中断となったため、残留プレーオフ、入れ替え戦そのものがなかった。

「今季は降格がありません。東地区の5位までに入れば、チャンピオンシップ(CS)の可能性がある。そこにどこまで絡めるのかというのが、チームの現実的な目標だと思います。カイル・ミリングHCも合流したばかりですし、合流が遅れている外国人選手が加われば、チームとして一気に化ける可能性もあります」

 今季のB1は20クラブが東西に分かれてリーグ戦を行う。各地区の上位3クラブがCSに進出。その6クラブを除いた14クラブのうちの勝率上位2クラブを加えた8クラブでリーグ優勝を争う。横浜はアルバルク東京、千葉ジェッツふなばし、川崎ブレイブサンダース、栃木らが揃う激戦区・東地区に入った。10月20日現在、2勝4敗で8位に付けている。

 

(写真:復帰後の変化について「メンタル的に余裕が出てきた。プレッシャーを自分でコントロールできるようになりました」という ©B-CORSAIRS/T.Osawa)

 竹田に「自身のストロングポイントは?」と訊ねると、「なくなったと思っています」と言って苦笑を浮かべた。

「ただバスケットをやっていて一番大事なのは、5人で助け合ってディフェンスをし、ボールをシェアして相手が的を絞りにくいオフェンスをすること。そのうちのひとりになれるようにしたい。チームがどれだけ良くなるかが僕の評価に繋がる。周りの選手に刺激を与えられるような存在でありたい。主力選手に何かがあった時、しっかりと代役を務められることが個人の目標です」

 

 選手として残された時間はそう長くない。渡り鳥の終着駅はどこか。それは“実験”が終了した時なのか、再び“やりきった”と燃え尽きた時なのか。

「それはわかりません。僕は一度、『辞めます』と言っているのに現役を続けているので嘘つきなんです。“竹田は何をするか、わからない”。そう思ってもらって構いません」

 

竹田謙(たけだ・けん)プロフィール>

1978年10月5日、神奈川県生まれ。ポジションはガード。國學院久我山高校、青山学院大学を経て、東京海上に入社。バスケットボール部に所属し、ルーキーながら全試合で先発出場した。02年に新潟アルビレックスBBへ移籍。主力として活躍。05年、福岡レッドファルコンズへ移籍するが、シーズン途中で解散したため、松下電器パナソニックスーパーカンガルーズへ移籍。08年、リンク栃木ブレックス(現・宇都宮ブレックス)へ移籍。日本代表としては09年東アジア選手権、10年アジア競技大会に出場した。14年、現役引退。翌年、Wリーグ(日本女子バスケットボールリーグ)のデンソーアイリスのコーチに就任。16年に退団し、B.LAEGUEの横浜ビー・コルセアーズで現役復帰。身長188cm、体重80kg。左利き。背番号25。

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(プロフィール写真/©B-CORSAIRS

 

 BS11では「マイナビBe a booster! B.LEAGUEウィークリーハイライト」(毎週木曜22時~22時30分)を放送中です。22日(木)は横浜ビー・コルセアーズの竹田謙選手を特集します。是非ご視聴ください。


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