久保田満は創価大学陸上競技部駅伝部コーチに就任し、指導者人生をスタートさせた。創価大の選手たちの走りを見た第一印象は「なんで今まで箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)予選落ちしていたの?」というもの。“ポテンシャルはあるはずだ”と改革の必要性を感じていた。

 

 本格的な改革に取り組んだのは2014年度からだ。久保田は旭化成からの出向を終え、創価大の嘱託職員となった。実質、プロコーチである。瀬上雄然監督(現・総監督)は久保田を“現場監督”として仕切らせるため、駅伝部のヘッドコーチに任命した。早速、久保田は“弱い伝統を断ち切る”とばかりに、変えられるものはすべて変えた。

 

 まずは見た目から。ユニホームをサックスブルーからの青と赤のストライプに、駅伝で使用する襷も同様のデザインに変更した。青は冷静な判断力、赤は熱い情熱という思いが込められている。首周りの黄色ラインは、これから勝ち取るべく「栄光」を意味していた。

「私にとってユニホームは戦闘服。旭化成や東洋大学のユニホームを着ることで気持ちが掻き立てられた。若い子の心をくすぐり、高校生が“創価大に入りたい”と思えるようなユニホームにしたかった。チーム強化の戦略のひとつとしてデザインを変えました」

 

 荒療治として、当時3年生エースだった山口修平を主将に抜擢した。「競技力、生活面、人間性、すべてにおいて山口が一番優れていました。そういう人材がチームのキャプテンを務めるべき」と久保田。自らも東洋大3年時に主将を務めた経験を持つ。「弱肉強食の世界なので年齢は関係ない。年功序列ではなく強い者、正しい者がキャプテンを務める」と迷いはなかった。山口には「チームをどうこうしようと考えるのはオレがやるから、オマエは背中でチームを引っ張ってくれ」と伝えた。これは久保田が東洋大で主将に抜擢された当時、川嶋伸次監督(現・創価大アドバイザー)に掛けられた言葉である。

 

 久保田が「申し分のないキャプテンだった」と振り返ったように山口は、言動でチームを牽引した。3年生キャプテンもまた意識改革を図った。「生活面の部分を重視していきます。今までと同じチームにはしたくない」と部員たちに伝え、掃除のやり方や消灯時間を厳しく指導したのだ。「4年生が(チームの意向を)しっかり汲んで、山口を支えてくれた」(瀬上総監督)。上級生のサポートもあり、3年生キャプテンの“凡事徹底”はチームに浸透した。

 

 練習ではスピードとスタミナのバランスを考え、練習の質も量も変えた。「予選を突破するためにはこの水準を狙わなければいけないよ」と選手たちに目標設定を示した。

「彼らがそこにどれだけ食らい付いてこられるか。選手たちとの駆け引きのようなことをしました」

 ユニホーム、私生活、練習……。創価大はあらゆる面で変わった。

 

 そして改革1年目で箱根駅伝出場を決めた。予選会は通過ラインギリギリの10位。「正直、いけるとは思っていなかった。それだけ学生の潜在能力が高かったということ」と久保田。嬉しい誤算である。とはいえ、改革を断行した久保田たち首脳陣の功績もあるだろう。「改革1年目で箱根駅伝に導いた手応え」について聞くと、「自分ひとりの力というよりは、周りの人たちに支えて助けてもらった」と答え、こう続けた。

「私がここまでやってきたノウハウでチームを強くできる自信はありました。しかし、それを上回るスピードで成し得えられたのは、選手たちがピュアで、指導を純粋に受け止めてくれたことが結果に結び付いたんだと思います」

 

“右腕”以上の存在

 

 本選は最下位(20位)でシード権を獲得することはできなかったものの、初出場の創価大の走りは新しい襷とユニホームを全国放送でお茶の間に届けた。16年度には2度目の箱根駅伝出場を果たした。予選会で3位、本選はシード権に届かなかったものの12位。いずれも初出場時を上回る成績だ。

 

 しかし、関東の強豪校が凌ぎを削る箱根駅伝である。創価大は2年連続で予選落ち(12位、15位)。本選に定着することはできなかった。

「このままじゃダメだと痛感しました。ティーチングばかりではなくコーチング。選手がどう思っているかをよくヒアリングするようになりました。私はそれまで一から十まで話してしまうようなところがありました。きっかけとなるワードは投げつつ、そこをどうするかは本人に考えてもらえるような指導に変えました。上からにならないよう目線を下げ、一緒に戦っていく。“こうしたらどうだろう?”“これはどう思う?”と選手の意見を引き出すようにしたんです」

 

 久保田が指導法を変えた頃、19年度は創価大の体制も変わった。この年の2月、選手時代は中央大学や旭化成で活躍し、指導者として実業団の指導経験も持つ榎木和貴が監督に就任したのだ。前監督の瀬上は総監督に就いた。久保田はヘッドコーチに留任。スカウト活動や事務的な役割回りを瀬上総監督が担い、久保田は引き続き現場を任されることとなった。久保田にとって旭化成の先輩に当たる榎木監督からは「学ぶことばかり」だという。

「すごく働かれる方です。自らも毎日、走っていて、選手たちに言葉だけでなく走りで伝えている。それに見極めがすごい。選手の適性を見抜き、力を引き出す。実業団を渡り歩いてきた千里眼に驚かされます。的確な目標設定を決め、キメ細かいコミュニケーションを取ることにも長けている。それらは私が今までできていなかったこと。だからまずは私も負けずに毎日走るようになりました」

 

 榎木監督就任1シーズン目で箱根駅伝9位に入り、創価大初のシード権を獲得した。翌年度は箱根駅伝往路優勝、総合2位の快挙を成し遂げた。ここまでの飛躍は榎木監督の手腕に依るものが大きいだろうが、その下地をつくった前監督である瀬上総監督とヘッドコーチの久保田の貢献を抜きには語れない。

 

 一方の榎木監督からは久保田ヘッドコーチはどう見えているのか。

「彼は現役時代からコツコツと積み上げていく努力家。何度もケガを乗り越えてきた選手でした。その経験もあって指導者となった今は、ケガで苦しんでいる選手に寄り添ってくれる。ポイント練習を終えた後など、選手の状態確認は久保田コーチが事細かくやってくれています。的確なアドバイスを送ってくれているので、注文をつけるところはありません。コーチを“監督の右腕”と表現されることもありますが、彼はそれ以上に大きい存在ですね」

 

 現状、榎木監督と久保田ヘッドコーチと役割分担がうまくできているのだろう。榎木監督は「選手全員に“さん付け”で話しかけ、親しみを持って接してくれている。怒ることがあまりなく、選手たちに歩み寄る指導ですね。どちらかと私は選手たちに厳しいことを求める指導」と語っている。

 

 鍛えられた夏合宿

 

 久保田は選手を指導する上で、コミュニケーションを大切にしている。

「情熱を持って選手に接することは大事にしています。選手に伝える時にトーンを落としてしまうと、こちらの熱量は届かない。話をする時も相手の目を見て、ジャスチャーも大きく、内容はコンパクトにまとめるように意識しています」

 

 今シーズンの創価大は春から夏にかけて苦しんだ。関東学生陸上競技対校選手権大会(関東インカレ)で各選手の成績が振るわず、全日本大学駅伝対校選手権大会(全日本大学駅伝)関東学連推薦校選考会では本選への出場を勝ち取れなかった。大躍進を遂げた年始の箱根駅伝出場メンバーで見ると、3人が卒業、3人が故障していた事情もあったが、外野からは“弱くなったんじゃないか?”との厳しい声も聞こえてきたという。

「でも現場の人間からすれば、練習を見ていても弱くなった感じはまったくなかった。変に受け止めず、聞き流せたと思います」

 

 夏合宿では選手たちに距離を踏ませて“脚を鍛えた”。8月の月間総走行距離900kmは昨年を上回るものだ。鍛えられたのは選手たちだけではない。榎木監督が岐阜の御岳、久保田が北海道の深川と2チームに分かれた。そこで通常はBチームを見る久保田がAチームの指導を任されたのだ。この意図について榎木監督はこう説明する。

「チーム強化に欲を持って“自分があの選手を育てるんだ”というところをもう少し出してもいいと思います。Aチームをどうまとめるかという点と、彼自身の指導者としての自覚を見たかった」

 当然、榎木監督が久保田を指導者として買っているからこその判断だが、“彼を一人前の指導者として育てなければいけない”という責任もそこには含まれている。

 

 夏に鍛えられた選手たちは秋に実りを迎えた。駅伝シーズンに入ると、右肩上がりに調子を上げていった。初出場となった出雲全日本大学選抜駅伝競走(出雲駅伝)は7位。記録会では自己ベストを更新する選手が相次いだ。16人のエントリーメンバー中、9人が1万mの自己ベスト28分台以下となった。「チームの雰囲気も非常にいい」と久保田はチーム状況を述べた。

「ある選手が記録を出すと、“ならオレはこのぐらい出す”と燃える選手がいる。チーム内の競争意識が芽生えていて、切磋琢磨できていると思います。目には見えない部分ではありますが、昨年以上の情熱、熱量を感じますね」

 

 来年1月2、3日に行われる箱根駅伝は、連覇を目指す駒澤大学、2年ぶりの王座奪還を狙う青山学院大学が優勝候補と見られているが、この秋の好調ぶりから創価大も“ダークホース”“台風の目”に挙げられるなど注目度は高い。チームとしての目標は総合3位だが、久保田は「自分たちの実力を発揮できれば優勝も十分見えてくる」と旋風を巻き起こす可能性を感じている。

 

 久保田が指導者になってから10年以上の歳月が経った。ここまでをこう振り返る。

「まだまだ学ぶことがたくさんある。学生と一緒に学びながら、戦っている感じですね」

 創価大の選手と共に学び、共に戦う――。その先に見据える野望がある。「いずれは自分を育ててくれた場所に恩返しをしたい。母校や古巣で監督をやってみたいですね」。そのためには創価大で実績と経験を積み重ねていくしかないだろう。今後も選手に寄り添い、情熱を持って走り続けていくことに変わりはない。

 

(おわり)

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久保田満(くぼた・みつる)プロフィール>

1981年9月30日、高知県中村市(現・四万十市)出身。中学から陸上競技を始める。中村中では高新中学駅伝競走大会に3大会連続出場。2年時からの2連覇、全国大会出場に貢献した。高知工業高校入学後は、全国高等学校駅伝競走大会に1年時から出場。3年時にはエースとなり、陸上部のキャプテンを任された。東洋大学では3年時に駅伝主将に抜擢され、東京箱根間往復大学駅伝競走に2度出場。2年連続シード権獲得に貢献した。卒業後は実業団の名門・旭化成に入社。2年目に初マラソンを経験し、07年にはびわ湖毎日マラソンで日本人トップの6位に入り、世界陸上競技選手権の代表に選出された。10年3月に現役引退。同年10月、旭化成からの出向というかたちで創価大学駅伝部コーチに就任した。14年から同大駅伝部の専任コーチとなり、現在に至る。

 

(文/杉浦泰介、写真/本人提供)

 

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