伊藤数子

NPO法人STAND代表理事、パラスポーツサイト「挑戦者たち」編集長

第21回 「モバチュウ」の意義を伝えてくれた一本の電話

 パラリンピックは世界最高峰の競技大会ですが、実はわが国には、「ジャパンパラ」という国内最高峰の大会があります。日本障害者スポーツ協会日本パラリンピック委員会(JPC)と各競技団体が主催する大会で、現在は陸上、水泳、アーチェリー、スキーの4競技で行われています。これまでSTANDでは、ジャパンパラのいくつかの大会のインターネット生中継(モバチュウ)を行ってきました。そこで今回は、2009年7月20日、大阪で行なわれた「ジャパンパラ水泳競技大会」での出来事についてお話します。

第20回 新たな日本のスポーツ史をつくるリーダー 〜車椅子ランナー・廣道純〜

 いよいよロンドンオリンピックまで残り約2カ月、そしてパラリンピックまで約3カ月となりました。各競技で続々と代表選考会や内定選手の発表が行なわれ、オリンピック・パラリンピックへのムードが高まってきています。そこで今回から、このコーナーではロンドンパラリンピックで活躍が期待されるチームや選手について取り上げていきます。今回は車椅子ランナーの廣道純選手です。 (写真:わたなべじん)

第19回 工夫次第で“みんなで”スポーツができる! 〜ハンドサッカー〜

「ハンドサッカー?」「ハンドって、既に反則では?」 これが「ハンドサッカー」と聞いた時の最初の感想です。既存のルールにとらわれた私の、なんて視野の狭い発想でしょう。恥ずかしくなってしまいます。反則なんてとんでもない、実にユニバーサルな新スポーツなのです。今回はこのハンドサッカーをご紹介します。

第18回 覚悟を示した「Sports of Heart」

 3月3、4日、東京・恵比寿でというイベントを開催しました。これは健常者と障害者の枠を越えて、みんなでパラリンピックを応援しようという発想から誕生したものです。会場となった「恵比寿ガーデンプレイス」ではスポーツ、音楽、アート界から著名人たちが集まり、パラリンピックへの応援宣言、メッセージを送っていただくとともに、トークショーやライブをしていただきました。さらに付近の加計塚小学校のグラウンドや体育館では高橋尚子さんによる「かけっこ教室」、車椅子バスケットボールやブラインドサッカー、車いすテニスなど、障害者スポーツ競技の体験会が行なわれました。2日間での来場者は1万3000人、集まった募金額は約320万円でした。たくさんの方々のご協力のもと、第1回目を開催できたことに感謝しています。

第17回 「障がい者スポーツ」という名称の光と影

 最近「障害者スポーツ」という呼称に違和感を持つようになりました。このコラムのタイトルを「障害者スポーツの現場から」とつけたものの、私の中でその違和感がどんどん膨らんできているのです。様々な場面で、パラリンピアンが自身の競技のことを「障害者スポーツ」と言っているのを聞いていても、彼らのトップアスリートぶりと、「障害者スポーツ」という言葉の間に違和感を抱くこともしばしばです。そこで、今回はこの「障害者スポーツ」という言葉について考えてみます。

第16回 「他人事」から「国民スポーツ」へ 〜2012年パラリンピアンズ応援イベント〜

 いよいよ待ちに待ったロンドンパラリンピックイヤーとなりました。オリンピック同様、今後は出場権をかけた争いが本格化し、各競技において代表選手が誕生していきます。パラリンピックは英国の医師ルードヴィッヒ・グットマン博士が、脊損患者のリハビリの一環としてロンドンオリンピック(1948年)の開会式の日にスポーツ大会を行なったことが始まりです。つまり、ロンドンはパラリンピック発祥の地。開会式が行なわれる8月29日に向けて緊張が高まっています。

高橋尚子が応援団長! 〜「パラリンピアンズ応援宣言!」記者会見〜

 11日、今夏ロンドンで開催されるパラリンピックに向けて3月2〜4日に行なわれる2012年パラリンピアンズ応援宣言!「パラリンピアンズと音楽のコラボレーションイベント」の発表会見が行なわれた。このイベントの応援団長を務めるシドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子と、副団長を務める元プロ野球の川崎憲次郎も出席し、パラリンピアンたちの厳しい現状を訴えるとともに、同じアスリートとしてサポートしていくことを宣言した。

第15回 新たな時代の幕開け――多様化する障害者スポーツの形態

 今年6月「障害者スポーツ基本法」が制定され、障害者スポーツの推進について初めて明文化されました。これは日本の障害者スポーツにとって、非常に大きな一歩と言えるでしょう。世界では今夏、義足スプリンター、オスカー・ピストリウスが世界陸上の舞台に登場し、注目を集めました。このように障害者スポーツの置かれている状況は、刻一刻と変化しています。特に今年は、そんな新しい時代へと向かっている障害者スポーツに関わる一人であることに喜びを強く感じることができた1年でした。

第14回 18歳の日本代表選手が示唆したもの

 2010年サッカーW杯では“サムライブルー”が国外開催の大会では初めて決勝トーナメントに進出しました。さらに今年の女子サッカーのW杯では“なでしこ”が並みいる強豪を倒し、初優勝に輝きました。こうした日本代表の実績もあいまって、日本では「サッカーのW杯」はオリンピックに並ぶ人気を誇っていますね。では、記念すべき第1回大会が日本で開催されたサッカーのW杯があることを皆さんはご存知でしょうか。実は今から4年前の07年、電動車椅子サッカーのW杯が日本でその歴史をスタートさせたのです。

第13回 矛盾が生じている全国障害者スポーツ大会

 10月22日から3日間にわたって、山口県で全国障害者スポーツ大会(全スポ)が開催されました。毎年国民体育大会(国体)の1カ月後に同じ会場で開かれているこの大会は、2001年に従来別々に行なわれてきた「全国身体障害者スポーツ大会」と「全国知的障害者スポーツ大会」を統合したものです。今回の話題は その全スポについてです。

第12回 激変の時代へ突入した日本の障がい者スポーツ

 9月24、25日、大分市営陸上競技場でジャパンパラリンピック陸上競技大会が開催されました。全国から177名の選手が集い、各競技で障害者アスリートたちの熱戦が繰り広げられました。そして、その模様は26、27日と2日間にわたってTBS『みのもんたの朝ズバッ!』で全国放送されました。嬉しいのは同番組のスポーツコーナーで取り扱われていること。「以前にもましてスポーツとして扱われるようになってきたなぁ……」。 番組を観ながら、そう思わずにはいられませんでした。そして、それは現地でも感じたことだったのです。

第11回 歴史に名を刻んだピストリウス

 両足義足ランナーのオスカー・ピストリウスが、世界の舞台を駆け抜けました。韓国・大邱で開催中の陸上世界選手権、男子400メートルに出場したピストリウスが見事、予選を突破し、準決勝に進出したのです。この結果には称賛の声とともに、疑問視する声があがっていることは事実です。しかし、世界の舞台を堂々と走り抜けた彼の姿に、私は感動せずにはいられませんでした。「こうやって、新たな歴史の扉を開いていく人がいるんだな」。彼の並々ならぬ努力を思うと、そう思わずにはいられなかったのです。

第10回 義足ランナー・オスカーよ、世界の舞台を駆け抜けろ!

 今月19日、イタリアから嬉しいニュースが飛び込んできました。パラリンピックで4個の金メダルを獲得した両足義足ランナー、オスカー・ピストリウス(南アフリカ)が世界陸上選手権の出場資格を得たというものです。イタリアで行なわれた陸上大会に出場したオスカーは、男子400メートルで自己記録を0秒54上回る45秒07をマーク。見事、参加標準記録を突破しました。今後、南アフリカ代表に入れば、8月27日から韓国・大邱で開催される世界選手権に出場することができます。実現すれば、世界のスポーツの歴史が変わる、それくらい大きな出来事です。

第9回 「車いすテニスのイイヅカ」を世界に発信!

 現在、熱戦が繰り広げられているテニスのウィンブルドン選手権では15年ぶりの勝利を飾ったクルム伊達公子選手や、予選から勝ち上がり、初出場ながら今大会日本人最高の3回戦進出を果たした土居美咲選手など、日本人選手の活躍が目立ちましたね。連日、寝不足になりながら楽しんでいる人も多いことでしょう。周知の通り、ウィンブルドンはグランドスラムの中でも最も人気がある大会で、世界中のテニスプレーヤーの憧れとなっています。実は日本にも海外のプレーヤーに絶大なる人気を誇るテニスの国際大会があります。NEC車いすテニスツアー「飯塚国際車いすテニス大会」、通称「ジャパンオープン」です。

第8回 競技大会としてのあるべき姿 〜大分陸上2011〜

 いよいよロンドンオリンピック・パラリンピックまで約1年。先日は卓球で代表選手が決定するなど、スポーツ界は徐々に“ロンドンモード”に突入していますね。障害者スポーツ界でもパラリンピックを目指すアスリートたちがロンドンの切符を獲得するため、国内外の大会に出場しています。そこで今回は、14、15日に開催されたIPC(国際パラリンピック委員会)公認の「新日本製薬大分陸上2011」(大分市営陸上競技場)へ行ってきました。そこで私が見たのは、真のスポーツ大会を目指す大会運営者の強い思いでした。

第6回 アスリートとしての意識改革

 私が障害者スポーツと出合ってから、選手はもちろん、指導者や競技団体関係者、大会やイベント運営に携わる方々と、実にさまざまな方たちと触れ合ってきました。その中で私はいろいろなことを見聞きし、学び、そして感じてきました。なかでも「障害者スポーツをもっと多くの人に知ってもらいたい、観てもらいたい、楽しんでもらいたい」という思いは、障害者スポーツに関われば関わるほど、大きく膨らんでいます。では、そのためにはどうすればいいのでしょうか。そこで今回は競技としての障害者スポーツの視点で私見を述べます。

第5回 “知る”ことから世界は広がる! 〜国際親善女子車椅子バスケットボール大阪大会〜

<試合を見ていて、私は「障害がある人」と言うことを忘れて、カナダの選手に「走れ! 走れ!」と叫んでいた。本当なら「こげ!」なのに。>  これは「国際親善女子車椅子バスケットボール大阪大会」の会場に訪れた中学1年生の女の子の感想文です。また、試合の合間に行なわれた体験会に参加した中学1年生の男の子はこんなことを書いています。 <車椅子バスケの体験をする前は、操作などが難しそうで、おもしろくなさそうだったけど、体験すると気持ちを熱くするものがありました。> こうした子どもたちの真っ直ぐで素直な感想文を読み、私はこの大会の意義について改めて考えさせられました。

第4回 究極のユニバーサルスポーツ「ボッチャ」の魅力

「この競技が中継できるようになれば、障害者スポーツの中継はグンと広がる」  そう語ったのはスカパーJSAT執行役員専務・放送事業本部長の田中晃氏です。「スカパー!」では2008年から車椅子バスケットボールの中継を行なっています。来年のロンドンパラリンピックでは車椅子バスケットボール以外の中継も検討されており、今後はさらに障害者スポーツの中継が拡大されることでしょう。その指揮をとられているのが田中氏です。同氏が障害者スポーツ中継のカギと見ている「この競技」というのが、今回ご紹介する「ボッチャ」です。

第3回 車いすテニスが示す認知拡大の糸口

 昨年4月、日本の障害者スポーツ界では大きな出来事がありました。2006年から世界ランキングトップを誇る車いすテニスプレーヤー国枝慎吾選手がプロ宣言を行なったのです。それまで国枝選手は母校の麗澤大学の職員として働きながら、その合間を縫って海外ツアーに出場していました。仕事をしながらですから、練習時間などの制約はあったものの、それでも収入の面では安定していたはずです。しかし、自ら安住の地を捨て、テニス一本で食べていくことを決心したのです。「普通の子供がプロ野球選手やサッカー選手に憧れるように、障害のある子供たちにも“自分もプロのスポーツ選手になれるんだ”という夢を与えたい」。プロ宣言した最大の理由を国枝選手はこう述べています。そして今、国枝選手の思いは子どもたちにどんなふうに届いているのでしょうか。その答えを少しだけ垣間見ることができました。

第2回 「一本」を追求した日本古来の柔道

“スポーツの秋”ということで、国内外ではさまざまなスポーツの大会やイベントが行なわれていますね。中国・広州で開催されているアジア競技大会では、日本人選手の活躍が連日のように報道されています。来月には同会場でアジアパラ競技大会が行なわれるわけですが、その代表にも選ばれている選手たちが日本一の座をかけて今月7日に講道館で行なわれたのが、全日本視覚障害者柔道大会です。アトランタ、シドニー、アテネとパラリンピックで3連覇し、北京では銀メダルを獲得した66キロ級の藤本聰選手を始め、大会には全国からトップ選手が集結し、熱戦が繰り広げられました。

第1回 回転をかけて音を消す!? 〜ブラインドテニスの魅力に迫る〜

 今月よりNPO法人STANDの副代表・伊藤数子さんの連載コラム「障害者スポーツの現場から」がスタートします。現在、日本では障害者スポーツというと4年に一度のパラリンピック以外はあまり認知されていないのが実状です。しかし、日本国内はもちろん、世界各国で障害者スポーツの大会やイベントは数多く行なわれています。そこで、さまざまな大会やイベントの現場に足を運ぶ伊藤さんならではの視点で、障害者スポーツを紹介。競技そのものの魅力や選手の声、そして障害者スポーツが抱える課題などについて詳しくお伝えしていきます。

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