第6回 アスリートとしての意識改革

 私が障害者スポーツと出合ってから、選手はもちろん、指導者や競技団体関係者、大会やイベント運営に携わる方々と、実にさまざまな方たちと触れ合ってきました。その中で私はいろいろなことを見聞きし、学び、そして感じてきました。なかでも「障害者スポーツをもっと多くの人に知ってもらいたい、観てもらいたい、楽しんでもらいたい」という思いは、障害者スポーツに関われば関わるほど、大きく膨らんでいます。では、そのためにはどうすればいいのでしょうか。そこで今回は競技としての障害者スポーツの視点で私見を述べます。

第5回 “知る”ことから世界は広がる! 〜国際親善女子車椅子バスケットボール大阪大会〜

<試合を見ていて、私は「障害がある人」と言うことを忘れて、カナダの選手に「走れ! 走れ!」と叫んでいた。本当なら「こげ!」なのに。>  これは「国際親善女子車椅子バスケットボール大阪大会」の会場に訪れた中学1年生の女の子の感想文です。また、試合の合間に行なわれた体験会に参加した中学1年生の男の子はこんなことを書いています。 <車椅子バスケの体験をする前は、操作などが難しそうで、おもしろくなさそうだったけど、体験すると気持ちを熱くするものがありました。> こうした子どもたちの真っ直ぐで素直な感想文を読み、私はこの大会の意義について改めて考えさせられました。

第4回 究極のユニバーサルスポーツ「ボッチャ」の魅力

「この競技が中継できるようになれば、障害者スポーツの中継はグンと広がる」  そう語ったのはスカパーJSAT執行役員専務・放送事業本部長の田中晃氏です。「スカパー!」では2008年から車椅子バスケットボールの中継を行なっています。来年のロンドンパラリンピックでは車椅子バスケットボール以外の中継も検討されており、今後はさらに障害者スポーツの中継が拡大されることでしょう。その指揮をとられているのが田中氏です。同氏が障害者スポーツ中継のカギと見ている「この競技」というのが、今回ご紹介する「ボッチャ」です。

第3回 車いすテニスが示す認知拡大の糸口

 昨年4月、日本の障害者スポーツ界では大きな出来事がありました。2006年から世界ランキングトップを誇る車いすテニスプレーヤー国枝慎吾選手がプロ宣言を行なったのです。それまで国枝選手は母校の麗澤大学の職員として働きながら、その合間を縫って海外ツアーに出場していました。仕事をしながらですから、練習時間などの制約はあったものの、それでも収入の面では安定していたはずです。しかし、自ら安住の地を捨て、テニス一本で食べていくことを決心したのです。「普通の子供がプロ野球選手やサッカー選手に憧れるように、障害のある子供たちにも“自分もプロのスポーツ選手になれるんだ”という夢を与えたい」。プロ宣言した最大の理由を国枝選手はこう述べています。そして今、国枝選手の思いは子どもたちにどんなふうに届いているのでしょうか。その答えを少しだけ垣間見ることができました。

第2回 「一本」を追求した日本古来の柔道

“スポーツの秋”ということで、国内外ではさまざまなスポーツの大会やイベントが行なわれていますね。中国・広州で開催されているアジア競技大会では、日本人選手の活躍が連日のように報道されています。来月には同会場でアジアパラ競技大会が行なわれるわけですが、その代表にも選ばれている選手たちが日本一の座をかけて今月7日に講道館で行なわれたのが、全日本視覚障害者柔道大会です。アトランタ、シドニー、アテネとパラリンピックで3連覇し、北京では銀メダルを獲得した66キロ級の藤本聰選手を始め、大会には全国からトップ選手が集結し、熱戦が繰り広げられました。

第1回 回転をかけて音を消す!? 〜ブラインドテニスの魅力に迫る〜

 今月よりNPO法人STANDの副代表・伊藤数子さんの連載コラム「障害者スポーツの現場から」がスタートします。現在、日本では障害者スポーツというと4年に一度のパラリンピック以外はあまり認知されていないのが実状です。しかし、日本国内はもちろん、世界各国で障害者スポーツの大会やイベントは数多く行なわれています。そこで、さまざまな大会やイベントの現場に足を運ぶ伊藤さんならではの視点で、障害者スポーツを紹介。競技そのものの魅力や選手の声、そして障害者スポーツが抱える課題などについて詳しくお伝えしていきます。

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