二宮: 大相撲は名古屋場所の真っ最中です。今回は今年の3月場所で引退した元大関・雅山の二子山親方をお招きしました。親方、長い現役生活お疲れ様でした。
二子山: まだ断髪式前でまげもありますし、親方と呼ばれるのは慣れませんが(苦笑)、よろしくお願いします。

 取組後に焼酎で気分転換

二宮: 親方はお酒好きと伺っていますよ(笑)。そば焼酎「雲海」のSoba&Sodaを用意しました。
二子山: ありがとうございます。実は若い頃はあまりお酒はたしなまなかったんです。お酒を楽しむようになったのは30歳頃からでしょうか。勝っても負けてもひとりでいきつけのお鮨屋などに行って晩酌をして家に戻るようになりました。

二宮: そこで、その日の一番を振り返ると?
二子山: いえいえ。相撲の話は一切しません。完全に気分転換です。焼酎を頼んで、お店の大将やおかみさんと会話しながら、ゆっくりと楽しむのが好きでしたね。

二宮: 普段の焼酎の飲み方は?
二子山: 水割りか緑茶割りですね。ある時、巡業で沖縄に行った時に、お店の人が1回1回つくるのが面倒だから、ピッチャーに焼酎と水を入れてまとめてつくってくれたんです。「これはいいやり方だ」と、それから力士同士や仲間うちで飲む時には、2リットルのペットボトルに水と焼酎を入れて、あらかじめ水割りをつくるようにしました。これならあとは氷を入れたグラスに注げばいいだけですから、すごくラクなんです。そのうちお茶のペットボトルにも焼酎を入れるようになって、緑茶割りが好きになりました。

二宮: それは豪快なつくりかたです。確かにお相撲さんの飲みっぷりだと、1杯1杯つくっていたら間に合いませんね。以前、魁皇さん(現浅香山親方)と酒席で一緒になった時には、「1日6升飲んだことがある」と聞いてビックリしました(笑)。
二子山: 昔の力士はすごかったですね。曙さんが現役の頃、魁皇さん、朝乃若さん(現若松親方)とよく巡業中に飲みに連れて行ってもらいました。曙さんも魁皇さんも本当によく飲むので、お付き合いするのが大変でしたよ(苦笑)。

二宮: 最近の力士は、だいぶおとなしくなりましたか。
二子山: それでも白鵬や把瑠都、臥牙丸、阿覧といった外国人力士は強いですよ。

 現役には未練があった

二宮: 引退して実際に場所が始まると、土俵に立てない寂しさがこみ上げてきませんか。
二子山: 春場所の千秋楽に引退会見を開いた時には、「まだやりたい」という未練が正直ありました。やれる気力も十分あったんです。ただ、実際に映像を見ると、自分のイメージと動きが程遠い。周りの皆さんから最後の一番は「いい相撲だった」と褒めていただいたのですが、「これは限界だな」と痛感しました。むしろ今は吹っ切れて、ホッとした気持ちのほうが強いです。

二宮: 親方といえば腰が重くて突き押しでも四つでもとれる取り口に定評がありました。体格の大きな外国人にも負けない粘り腰を持っていましたね。
二子山: 若い頃はそうでしたね。でも、晩年はなかなか腰の粘りが使えなかった。長年の蓄積でヒザが体重を支えきれなくなって、だいぶ苦労しましたよ。かえって稽古場や場所中の土俵で完全にケガをしてしまったほうが手術もできたでしょうし、納得がいったでしょうね。

二宮: 特に引退前の数場所は大きく負け越しました。思うように体が動かないというのは苦しいでしょう?
二子山: 最後の2場所は3勝12敗でしたから本当に辛かったです。幕内ではあと1番勝てば通算600勝だったので、それだけは何とか達成したかったのですが……。今はこういった経験を後進に伝えて、役立ててもらえればと思っています。

二宮: まだ動けるでしょうから、稽古場ではまわしをつけて若い衆に胸を貸して、どんどん鍛えると?
二子山: お世話になった方への挨拶回りや引退相撲の準備で、しばらくは忙しいのですが、うまく時間をつくって、まわしを締めて指導したいですね。僕は横綱まで行けませんでしたから、指導者になった以上、ゆくゆくは日本人でトップに立つ力士を育てたい思いがあります。

 頭から来た貴乃花の強さ

二宮: 身長186センチと恵まれた体格ですが、生まれた時の体重が7キロあったというのは本当ですか。
二子山: いえいえ。生まれた時は普通でしたよ(笑)。父がバレーボールをやっていて背が185センチ以上あったので、その影響で大きくなったのでしょう。

二宮: 約15年間の力士生活を振り返っていただくと、武蔵川部屋に入ったのは水戸農高の先輩・武双山さん(現藤島親方)の誘いですか。
二子山: そうですね。武双山さんのお父さんにも指導していただいていましたし、その縁で武双山さんの昇進パーティーなどで親方に会う機会も多かったんです。入門は自然の流れでしたね。

二宮: 当時の武蔵川部屋は、横綱になる武蔵丸さん(現武蔵川親方)を中心に、武双山さん、出島さん(現大鳴戸親方)など強い力士が多く、角界の一大勢力を築いていました。
二子山: いろんなタイプの力士がいましたから、稽古をつけていただいて強くなるには絶好の環境でした。先代の親方(元横綱・三重ノ海)も相撲に関しては厳しかった。今は一緒にお食事に行って、お酒も酌み交わせるようになりましたが、当時はそんな日が来るとは思いもしませんでした。

二宮: 高校、大学では実績を残してきたとはいえ、大相撲とのレベル差を感じたことは?
二子山: レベルは全然、違います。正直、最初は関取になることを目標にしたくらいです。まず、体つきが違いますから。大学時代に春日野部屋や出羽海部屋に稽古に行ったことがありましたが、同年代の番付が低い力士でさえ、体がしっかりしている。プロの鍛え方はアマチュアとは違うんだなと実感しました。それに相撲部屋独特の雰囲気にも圧倒されましたね。関取が白まわしをつけて稽古場に下りてくると、それだけで場の空気が変わる。慣れるまでは、結構怖かったです(苦笑)。

二宮: それでも幕下付け出しでデビューしてから2年で大関に昇進します。
二子山: 十両、幕内と番付があがるにつれて、テレビで見ていた力士と対戦できる。毎日が待ち遠しかったですよ。余計なことを考えずにぶつかっていけたのが結果につながったのではないでしょうか。ところが大関になると、重圧もあって、いろいろと考えてしまう。今になってみれば、それらを受け止められるだけの器が備わっていなかったのかなと感じます。

二宮: 数多くの力士と名勝負を展開していますが、意外なことに貴乃花さん(現親方)には0勝11敗と1回も勝てませんでした。
二子山: 貴乃花さんにはせめて1回は勝ちたかったですね。貴乃花さんが引退される場所で二丁投げが決まったのですが、物言いがついて取り直しになりました。ただ、横綱と二番とれたのは、少しは力がついてきた証拠かなと自信につながりましたね。

二宮: 貴乃花さんの強さはどんなところに感じましたか。
二子山: 11回の対戦で立ち合いで頭からぶつかってきた時が3番くらいありました。その時は、もう何も抵抗できないまま負けてしまいましたね。横綱だと通常は受けて立つことが多い。貴乃花さんももちろん、どっしりと構えても自分のペースに引き込んで勝ってしまうのですが、先に攻めてきた時は、また格段と強かった。こちらが頭から当たっても、気づけばまわしをとられて“秒殺”でしたよ。

二宮: 受けて立たなかったということは、それだけ貴乃花さんも親方が強敵だと認めていたのではないでしょうか。
二子山: だとすれば、うれしいですね。一度、どういう意図があったのか聞いてみたいと思っているんですよ。

 金星よりも印象に残る一番

二宮: 親方にとって体格の大きさはひとつの武器でしたが、当時の大相撲はもっと体のでかいハワイ勢が番付上位にいました。パワーも違いますから対戦するのは大変だったでしょう?
二子山: 曙さんなんかリーチが長くて、両手突きされるとまわしを全く触れない(苦笑)。とはいえ、当時は僕より身長の低い日本人力士も活躍していました。だから体格差は言い訳になりません。自分の取り口をしっかり磨いて、考えて相撲をすれば、この世界では生き残れる。今の日本人力士にも、その部分は心得ておいてほしいですね。

二宮: ハワイ勢全盛の時代でも、横綱になった若乃花さんしかり、舞の海さんしかり、小兵力士にも存在感がありましたよね。
二子山: 若乃花さんは技のキレがすばらしくて、神がかっていました。初顔合わせの時に組み合って、“ひねりで崩してくるだろう”と予測して備えていたのに、それを上回る下手ひねりをみせられました。スパッとひねられて、気づけば土俵上にひっくりかえっていました。

二宮: しかも“土俵の鬼”と呼ばれた初代の若乃花さんに似て下半身が強かった。いくら大きな力士が押しても簡単には土俵の外に出ない粘りがありました。
二子山: ふくらはぎがものすごく発達していましたよね。強かった貴乃花さんとは対照的で若乃花さんには人並み外れたうまさがありました。あれほど技がキレる力士は僕が対戦した中では他にいませんでしたね。ああいった日本人横綱は今後、なかなか出てこないかもしれません。

二宮: 親方は1度、大関から陥落した後、再び2006年の5月場所では自己最高となる14勝1敗。白鵬との優勝決定戦にも臨みました。あの時は再昇進のチャンスでしたね。
二子山: その翌場所も2ケタ勝って、3場所で34勝しました。先代の親方にも「行けるぞ」と言われて期待していましたけど、大関が既に5人もいる状態で縁がなかったのでしょう。でも、最初に昇進した時にあげた34勝は「(同部屋の)武蔵丸や武双山、出島がいるのに物足りない」と言われていましたから、そういった先輩が上位にいない中であげた34勝には充実感がありました。

二宮: 元大関にもかかわらず、十両に落ちた時期もありました。これだけ紆余曲折があった力士は最近ではなかなかいません。現役生活で思い出に残っている相撲は?
二子山: 普通は横綱、大関に勝った一番を挙げるのでしょうが、僕の中ではあまり強い印象に残っていないんです。むしろ苦労して勝った相撲のほうがよく覚えています。その中から3つあげると、ひとつは3場所連続休場で大関から陥落して迎えた02年春場所初日の玉春日(現片男波親方)戦。引退前の場所で初日から8連敗した後に勝った玉鷲戦。そして最後の一番です。

二宮: いろいろ振り返っていただいているうちに、お酒も進んできました。そば焼酎「雲海」のSoba&Sodaの感想を。
二子山: 実はあまりソーダは好んで飲むタイプではないのですが、これは飲みやすい。そば焼酎といえば雲海酒造さんですから、よくいただいていますが、飲み方が違うと、また新しい味わいがありますね。

(後編につづく)

<二子山哲士(ふたごやま・てつし)プロフィール>
 1977年7月28日、茨城県出身。水戸農高を経て明大を中退して武蔵川部屋入り。98年7月場所に幕下付け出しで初土俵。幕下、十両でそれぞれ2場所連続優勝を収め、翌年の春場所で新入幕を果たす。00年初場所には小結に昇進し、そこから3場所連続で2ケタ勝利をあげ、同年夏場所後に大関へ。入門から12場所での大関は昭和以降最速タイ記録だった。ケガもあり、大関在位は8場所と短かったが、その後も幕内上位で活躍。06年5月場所では14勝1敗の好成績で優勝決定戦に進んだ。10年9月場所には十両まで番付を落としたものの、12年1月場所では三役(小結)に復帰。13年3月場所で再び十両に陥落し、その場所限りで引退した。現在は年寄・二子山を襲名し、後進の指導にあたっている。三賞は8回(殊勲2、敢闘5、技能1)受賞。通算成績は654勝582敗68休。幕内在位82場所は歴代9位。





★今回の対談で楽しんだお酒★[/color]

日本初の本格そば焼酎「雲海」。時代とともに歩み続ける「雲海」は、厳選されたそばと九州山地の清冽な水で丁寧に造りあげた深い味わい、すっきりとした甘さと爽やかな香りが特徴の本格そば焼酎の定番です。
提供/雲海酒造株式会社

<対談協力>
十割そば・地酒 蔵や
東京都新宿区四ツ谷1−4−2 綿半野原ビル1F
TEL:03-3356-7571
営業時間:
ランチ  11:30〜14:30(月〜日)
ディナー 17:00〜23:30(月〜金)、17:00〜22:30(土、日)

☆プレゼント☆
 二子山親方の直筆サイン色紙を本格そば焼酎「雲海」(900ml、アルコール度数25度)とともに読者3名様にプレゼント致します。ご希望の方はより、本文の最初に「二子山親方のサイン希望」と明記の上、下記クイズの答え、住所、氏名、年齢、連絡先(電話番号)、このコーナーへの感想や取り上げて欲しいゲストなどがあれば、お書き添えの上、送信してください。応募者多数の場合は抽選とし、当選発表は発送をもってかえさせていただきます。締切は8月7日(水)までです。たくさんのご応募お待ちしております。なお、ご応募は20歳以上の方に限らせていただきます。
◎クイズ◎
 今回の二子山親方と楽しんだお酒の名前は?

 お酒は20歳になってから。
 お酒は楽しく適量を。
 飲酒運転は絶対にやめましょう。
 妊娠中や授乳期の飲酒はお控えください。

(構成:石田洋之)
◎バックナンバーはこちらから