日本代表のスイス・サースフェー合宿取材から帰国して中1日で再び成田空港へ。時差ボケが直らぬまま、そのまま飛行機に乗り込んだ。バンコクまで5時間、そこで飛行機を乗り継いで10時間の長距離移動は体力的にかなりきつい。それもほぼ満席という混み具合で、ワールドカップに向かうアジアの人々で溢れ返った。機内食のタイカレーと、シンハービールを楽しみながらも「世界一治安の悪い国」に刻一刻と向かっていると思うと、楽しみというよりは不安ばかりが大きかった。
(写真:日本代表がキャンプを張るジョージ市内の看板。岡田ジャパンはあらゆるところで歓迎されている)

全64試合詳細レポートと豪華執筆陣によるコラムはこちら

◇6月9日 いよいよ南アフリカへ!

 疲れ切った状態でヨハネスブルク国際空港の到着ゲートを出て周りを見渡せば、人、人、人……。オープニングマッチとなるメキシコからは「Mexico」と書かれた緑のジャンパーを着たオッサン軍団に、ドイツ、イタリアのレプリカユニホームを着た若者など世界各国からじゃんじゃん人が入ってきていた。南アフリカ代表チーム(バファナバファナ)の黄色のレプリカユニホームを着たショップの店員たちはブブゼラを鳴らし、空港からしてお祭り騒ぎである。

 フリーランスライターのS君(過去にバックパッカーの経験あり)、私が以前勤めていた某雑誌の編集者A君と私の3人はその光景に圧倒されながらも、日本代表がキャンプを張っているジョージに向かう国内便のカウンターを探した。
 そのときである。
「おい、お前らどこに行くんだ?」
 帽子には「PORTER」と書かれてあり、胸には身分証明書まである。
 これはスタッフだと思ってS君が場所を聞きにいこうとすると、「案内しよう」と逆に声をかけてきた。なにやらいやーな予感。というのも日本を出発する前に「案内役がしつこくチップを要求してくる」との記事を目にしていたからだ。
 うしろからついていくとS君と案内役は会話で大盛り上がり。ズールー語のあいさつを聞いてみたり、逆に日本語のあいさつを聞かれてみたり、なごやかなムードだったのだが……。カウンターに到着すると、会話をさえぎって案の定、チップを要求してきた。
 細かい紙幣を持っていなかったのでA君が代表して払うと、「おい、お前はないのか」である。3人で結局20ランド(240円)をチップとして上げると「あっちだからな、乗り場は」と言い残して消えてしまった。高額のチップを要求されなかったし、案内してもらって正直助かった。だが、あの「チップ」と要求したときの厳しい目つきは忘れられない。でもね、チップはこころよく渡したかったっす。

 夕方にはジョージに到着。宿泊するゲストハウス(貸アパート)の管理人に迎えに来てもらい、スポーツライターのT先輩、K君らと合流して男のみの集団生活がスタートした。集団生活にしたのは金銭的な理由もあるが、一番は安全面を考慮して。
 まるで部活の合宿である。
 夜はスーパーで買い出しをして、初日のご飯はホワイトシチュー。A君が炊飯ジャーを日本からわざわざ持ってきたのだが、変圧器が壊れてしまうということで使用を断念して、お鍋でタイ米を炊いた。
 仕事をする人もいれば、疲れ果ててすぐ寝ちゃう人も。ベッドの数が足りず、バックパッカーに慣れているS君は床で寝ていても歯軋りしながら熟睡していた。凄い、こいつは……。長かった一日が終わった。うーん、歯軋りがうるさくて眠れない……。


◇6月10日 代表キャンプ地で感じた心配

 この日は日本代表がジンバブエ代表と最後の練習試合を行なうということで取材へ。数日ぶりに再会した新聞社の記者やライター、カメラマンの方々にあいさつして、ジョージのメディアセンターへ。大きなプレハブ小屋みたいな感じだが、突貫工事とあって少々、雑なつくりではある。しかし無線LANも完備され、仕事をするうえでは申し分ない。
 練習試合を見るためにスタジアム横の練習施設を上がっていくと随分と高い。マンションの5階ぐらいの高さがあるのに、板2枚ほどの幅しかない通路で見るしかなかった。簡易的なつくりで板の間には下が丸見え。すこぶる怖かった。高所恐怖症の人なら絶対にアウトである。S君も「これはやばい」と言って、すぐ下に降りてしまったほどだ。

 練習試合は30分3本やって0−0。岡田監督よりも、W杯に出場しない相手方の青年監督のほうが熱くなっていたのが印象的だった。セルビア戦から4試合こなして1点しか奪えていないだけに、得点力不足は心配である。

 ルームメンバー同士でそんな会話をかわしながら、スーパー経由で合宿部屋へ帰還。この日はアフリカンビーフでステーキ祭り。かつて居酒屋で厨房を経験したことのあるライターのM君が腕をふるってくれた。味付け、焼き加減はお見事。食事後、仕事のない人たちはビールを飲んで盛り上がっていたようである。S君はなんと6本もビールを空けたとか。彼いわく「アフリカのビールは大地の味がする」そうである。なんだかよくわからないが……。


◇6月11日 やはり、事件発生!?

 起きたというよりは起こされた。
 この日、待ちに待ったW杯の開幕とあって、早朝5時ぐらいからブブゼラが鳴り響いていた。犯人は隣の住民だと思われるが、うるさくて仕方がなかった。
 ブボォー、ブブボォー、ブフォッ。
 これ、おなかに響くのである。このせいで腸が反応してしまい(?)3度もトイレにかけこんでしまった。町に出ると、ほとんどの人がバファナバファナのユニホームを着て歩いていた。僕たちの顔を見ては陽気にあいさつしてくる。車の中からも手を振ってくる。夜になると一転して怖さもあるが、昼間はそこまでの怖さはない。
 ジョージの人々はキャンプ地の日本を応援してくれる人も多く、よく親切にしてくれる。
 午前中に我が合宿部屋もフランス―ウルグアイ戦を取材するチームと、日本代表が向かうブルームフォンティーンに先乗りするチームに分かれた。

 私はS君とブルームフォンティーン(BF)へ。
 機内ではBF出身という黒人の中年男性の隣になり、開幕戦の結果ばかりを気にしていた。スチュワーデスに「今、どうなっている?」と尋ね、「まだ0−0よ」と返ってくると、私に「マンデラのひ孫が交通事故で亡くなったんだ。きょうは絶対に勝たなくてはいけない」と拳を握り締めていた。
 到着すると乗客のほとんどがバゲッジカウンターに用意されたテレビに一目散。そこまで結果を気にしていなかったS君までが猛ダッシュ。試合は終了間際になっていて、「1点をリードしていたけど追いつかれてしまったらしい」と周囲の人から聞いた試合の経過を説明してくれるS君はまるで南アフリカのサポーターのように残念がっていた。

 BFは聞くところによると、ジョージよりも危険度は上がるとか。
 ここでひとつ問題が。
 夕方に到着したのでお腹がかなり減っていた。夜は危ないと聞いていたので、私はパンでも買って部屋食を提案したのだが、S君が「外にいきましょうよ!」と目をぎらつかせてくる。ゲストハウスの管理人さんに迎えにきてもらってチェックインを済ませた後で、管理人さんお勧めのステーキショップ「SPUR」に向かった。
 夜の町はひとりも外に歩く者などいなかったのに、店は大繁盛。店のスタッフ全員が黄色のユニホームを着て、次から次へとお客さんが来た。ここも祭りである。我々は周囲の盛り上がりに溶け込んで、店にあるテレビでフランス―ウルグアイ戦の直前情報を楽しみながらビールを胃に流し込んだ。
 おっ! なるほどビターでおいしい。ステーキも700円ぐらいでお腹いっぱいになる。
 きょうは何のハプニングもない、いい一日だと思ったら、その考えが甘かった。

 試合をゲストハウスでしっかりと見るためにタクシーを呼んでも、まったく来ない。店員に「ほかのタクシーを」と頼んでも、また来ない。すると次から次へと違う店員が僕らのもとにやってきて「どうしたんだ? タクシーか? 待ってろ」とみんなで手配してくれたのである。少し遅い時間だったこと、店が中心部より離れていたこと、雨だったことなど諸事情もあって日本のように呼べばすぐくるタクシー事情ではないだけに、何とか交渉してくれて呼んでくれたのだった。
 肉やビールの味も最高だったが、この店の人たちも最高だった。タクシーに乗り込むまで見送ってくれて、本当に感謝である。
 そしてようやくゲストハウスに到着したら、今度はカギが開かない。管理人さんを呼び出したら、簡単に開いたが……。しかし、そのロスタイムは長かった。
 フランス―ウルグアイ戦をじっくりと見たかったのだが、ドアが開いたときは残り時間が少なくなっていた。
 S君が店からプレゼントされた黄色のブブゼラを吹いたところでタイムアップ。僕たちのワールドカップはこうやって開幕したのだった。

(このレポートは不定期で更新します)

二宮寿朗(にのみや・としお)
 1972年愛媛県生まれ。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。格闘技、ボクシング、ラグビー、サッカーなどを担当し、サッカーでは日本代表の試合を数多く取材。06年に退社し「スポーツグラフィック・ナンバー」編集部を経て独立。携帯サイト『二宮清純.com』にて「日本代表特捜レポート」を好評連載中。