試合後、バルセロナのグアルディオラ監督は言った。「この勝利をチャーリー・レシャックとヨハン・クライフに捧げたい。彼らが私たちの進むべき道を示してくれたからだ。この勝利は、チームが15年間かけて成長させたフットボールのスタイルがもたらしたものだ」 この言葉は、若き監督による先達へ向けた社交辞令、では断じてない。5−0。世界を驚かせたレアル・マドリード相手の圧勝劇は、まさに、バルセロナというチームの歴史がなければ起こりえないものだった。
これが一時的なもの、突発的な出来事だというのであれば、何も心配する必要はない。あくまでもJを徹底して重視するスタイルを貫けばいい。 だが、変化の始まりである可能性はないだろうか。高校3年生の段階ではJのスカウトのふるいから落とされ、大学生になって頭角をあらわした選手が、五輪代表のエースとして君臨するケース――つまり福岡大・永井謙佑のケースである。
隣の芝は青く見える。 イタリアのロベルト・カルデロリ法律簡素化相が、F1の総合優勝を逃がしたフェラーリの会長に辞任を求めたという。
バルセロナ五輪の予選に挑んだ日本代表は、大学生を主体としたチームだった。中盤の柱となったのは東海大の澤登正朗、ケガ人の出た最終ラインをまとめたのは早稲田の相馬直樹である。GK下川健一、DF名良橋晃、FW藤吉信次など、プロアマ混合の日本リーグでプレーしている選手もいたが、あくまで、大学生が多数派を占めるチームだった。
サッカーは怖い。あらためて痛感させられたナビスコ杯決勝だった。 前半の試合内容は、はっきりいってかなり低調だった。無理もない。広島は勝ったことがない。磐田は久しく勝っていない。どちらのチームも、このタイトルに並々ならぬ思いを抱いており、それゆえ、どちらのチームも極端にリスクを恐れた。結果が、単調な縦パスの応酬だった。
Jリーグもいよいよ終盤戦に差し掛かりつつあるが、一つ下のカテゴリーとなるJFLでは、ガイナーレ鳥取が早々に優勝を決めた。
16試合で6万1000人少々。1試合平均にするとたったの3800人。観衆が1万人を超えたのは、わずかに1試合だけだった。これが、天皇杯3回戦の現実である。