J1だけで行われていた大会にJ2も加えようというナビスコ杯の変更案が、一度は決まったかに思われたものの、再び振り出しに戻ったという。 変更案を全面的に支持したというJ2側の論理も、反対したクラブが多かったというJ1の立場もわかる。J2側からすれば、目下のところ天皇杯で勝ち進むことでしか実現しないJ1勢との対決が、定期的に行えることになる。観客動員で大苦戦しているクラブが多いJ2にとっては、起死回生にも近いアイデアに見えることだろう。
開始15分間のサッカーにはいささか度肝を抜かれた。出し手、受け手に加えて第三の選手が攻撃にからむ。結成当時、永井の速さ以外に武器が見当たらなかったチームは、どこからでも決定的な形をつくれる集団に変貌を遂げていた。早い時間帯で先制点を奪えたことで、そこからはペースとレベルを落としてしまったものの、いい時間帯のサッカーは、これならば五輪でもメダルが狙えると確信させてくれるものだった。
まずは、ロンドン行きのチケットを獲得したなでしこたちに拍手を贈ろう。明らかに力の落ちる相手だったタイとの初戦をも含め、自分たちの良さを出せた試合、時間帯はほとんどなかった。特に、韓国、北朝鮮戦などは黒星がついていてもおかしくない内容だったが、終わって見れば周囲が期待した通りの首位通過である。さすがというしかない。
アジア杯準決勝の韓国戦は、ザッケローニ監督にとって教訓に満ちた試合だった。あの試合で、彼はイタリア人と日本人の基本的なメンタリティーの違いを理解した。時に専守防衛をも美学とするイタリアの常識が、日本では必ずしも常識ではないことを学び、以後、カテナチオの信奉者が見たら卒倒しかねない攻撃的なスタイルに重心を傾けてきた。あの試合は、間違いなくザッケローニ体制にとってのターニング・ポイントだった。
週末のJリーグで素晴らしいゴールを決めた柏の田中順也が日本代表に招集された。おそらくは、当の本人以上に周囲の仲間の方が驚き、興奮しているのではないか。それまで代表に縁のなかった選手であっても、内容と結果を残せばすぐにチャンスが与えられる。柏の選手たちは、その実例を目の当たりにしたからだ。当たり前のようで、長く日本のサッカー界では当たり前でなかったことが、ついに当たり前になりつつある。
アンジ・マハチカラ? わたしは知らなかった。どこの国の、どんなチームなのか、まるで知らなかった。ロシア連邦の中にあるダゲスタン共和国? タジキスタン、ではなく?
ロンドンを目指すなでしこと五輪代表の予選が始まる。ザッケローニ監督が“ブラジルでのファイナリスト”という壮大な目標を掲げたA代表の戦いも始まる。9月は、日本サッカーにとって大きな意味を持つ戦いが目白押しである。 これまで、日本サッカーにとっての予選とは、世界中の圧倒的多数がそうであるように、結果のみが求められる舞台だった。内容は二の次。とにかく勝てばいい。どれほど乏しい内容であろうとも、勝てばすべてが許される。選手や関係者だけでなく、ファンやメディアの中にも、そして私自身の中にも、そうした感情があった。
人間とは、サッカー選手とは、そしてチームとは、かくも短期間に、かくも大きな変貌を遂げることができるのか。わずか1年と少し前、手も足も出ずに、いや、出そうともせずに敗れた選手たちは、完膚なきまでに宿敵を叩きのめした。韓国に勝つ日本を見るのは初めてではないが、こんなにも強く、美しく、翻弄して勝つ日本を見たのは生まれて初めてである。見事な、本当に見事な勝利だった。
贈る者と贈られる者。両者の間に存在する意識のギャップが何とも面白い。贈る側は、贈られる側が達成者でありゴールにたどりついた者だと考えている。言ってみれば、締めくくりのセレモニー。美しい物語の盛大なエピローグ。
道具か、権利か。 日本人にとって、長い間スポーツは道具だった。国威発揚のための道具、企業や学校の知名度アップのための道具。なにかイベントがあるたびにすぐ経済効果が言われるのは、スポーツを景気刺激のための道具と見る人が多いからだろう。
どうか、なでしこが決勝進出を果たしていますように! ニュースやらワイドショーやらが大変な騒ぎになっていますように! 祈るような気持ちでパソコンに向かっている。
メキシコでU-17日本代表が受けた「バルセロナのようだ」という賛辞が、ドイツで戦う女子日本代表にも向けられているという。震災に対する同情や、日本製品の緻密なイメージなども無関係ではないのだろうが、結果だけではなく、内容でも評価されるのは嬉しいことである。
まずは、W杯初戦に勝利した女子代表に拍手を送りたい。彼女たちが展開したのは、「日本人にはできない。ゆえにこうするしかない」というリアクションサッカーではなく、「日本人にはできる。ゆえにこうする」という哲学に基づいた魅力的なサッカーだった。ボールを持っていない選手の動きの質と意識の高さは、ひょっとするとJ1のかなりのチームよりも上かもしれない。
親は子の鏡というが、ならば、A代表は若年層代表の鏡なのか。少なくともA代表がつかんだ自信、実績は、そのまま若い選手たちにも伝播するものらしい。メキシコで始まったU-17W杯を見ていると、そのことを実感する。
もう5年ほど前になるか、就任したばかりだった当時の犬飼・日本サッカー協会会長が嘆いていたことを思い出す。 「日本のサッカー界にはね、スタジアム力が欠けているんですよ。その存在だけで、観客を引きつけるようなスタジアムがね」
いまから28年前、東海大学を休学してスペインに渡っていた“天才児”と呼ばれた男は、耳にタコができるほどに聞かれたそうだ。 「なぜバルセロナに?」 サービス精神が旺盛な彼は、決して「日本人の知り合いがいたから」という本当の理由を口にしようとはせず、いかにクライフのサッカーが魅力的か、バルセロナのサッカーに将来性があるかを力説したという。
物事には順序がある、という言い回しを思い出した。もしこの試合が終盤に入って一方的に押しまくられたこの試合がザッケローニ監督の初陣であれば、未来への期待は相当に損なわれていたことだろう。選手に疲れがあったのはわかる。モチベーションを保つのが難しい試合でもあっただろう。だが、少なくない同情点を差し引いたとしても、ザッケローニ体制となってから最低の試合だった。
夢の決勝再び、である。今週末、マンチェスターU―バルセロナの欧州CL決勝が行われる。2年前の対決ではエトオ、メッシのゴールでバルセロナが快勝したが、さて、今回はどうなるか。
すべての人がそうだ、などと言うつもりはない。けれども、「頭を下げることは負けに等しい」と考える外国人が、日本人よりも相当に多いのは事実である。外国人の立場に立ってみると、すぐに頭を下げる日本人の謝罪、懇願は、かなり安っぽいものに思えるらしい。トルシエが沖縄の事務所で「簡単にゴメンナサイって言うな!」と癇癪を起こしていたことを思い出す。
5連敗と言えば、年間144試合を戦うプロ野球のチームにとってもかなりの痛手である。ならば、34試合しかないJリーグのチームが味わう5連敗の痛みは、どれほどのものか。まして、それが開幕からの5連敗だとしたら――。今季久しぶりにJ1に復帰してきたアビスパ福岡が、いきなり強烈な試練に直面している。
18日間で4試合という、前例のない、そしてこれからもなかなか起こりえないであろうクラシコが終わった。結果は1勝2分け1敗と全くの五分。そのうち3試合を10人での戦いを余儀なくされたことを考えれば、レアル・マドリードの奮闘が光ったクラシコでもあった。
ほんの1年前、日本代表にとって両サイドのディフェンスは頭痛の種だった。長友の評価は高まりつつあったものの、彼が右に入れば左が、左に入れば右がウイークポイントとなってしまう。それは、誰が入っても変わらなかった。
著名な俳優が、人気ミュージシャンが、そしてスポーツ選手が、次々と被災地を訪れている。欧米ではずいぶんと前から当たり前だった「社会的に影響のある人々のボランティア」が日本でも完全に根付いたのだと実感させられる。
最も大きな影響を被るであろう当事者が「それでいい」というのだから、これでいいのだろう。 わたしが日本サッカー協会の人間であれば、南米連盟からのオファーにはなんとしても応えたいと考えたに違いない。
CS放送のJスポーツでオンエアされていたマリオン・ジョーンズのドキュメンタリーを見た。シドニー五輪陸上競技で5つのメダルを獲得した彼女は、後にドーピング発覚してすべてのメダルを剥奪されたばかりか、偽証罪に問われて6カ月の実刑を受けた。番組には、いまは女子プロバスケットボールの選手として活躍する彼女の、印象的な言葉がちりばめられていた。 「完全に打ちのめされた人間でも、立ち上がることが可能だと証明したかった」。「嬉しかったのは、若い人たちから諦めないでくれてありがとうと言われたこと」 いつか、被災地の方々に見ていただきたいドキュメンタリーである。
