奇跡のバックホーム<中編>

 星子のツーベースが出たところで、澤田は2年生投手の新田に代え、3年生の渡部をマウンドに送った。 「キャッチボールしかやってなかったので、びっくりしました」  接戦でのリリーフは覚悟の上だったが、渡部はできればイニングの頭から行きたいと考えていた。セカンドランナーの存在がズシリと右肩にのしかかった。

奇跡のバックホーム<前編>

 8月9日に開幕する夏の甲子園へ向けて、各地で高校野球の熱戦が繰り広げられている。近年は選手の健康管理が課題とされ、休養日が設けられた。投手の球数制限なども議論に挙がっており、来年以降、延長戦におけるタイブレーク制導入も検討されている。だが甲子園の延長戦は、数々のドラマを生んできた。1969年の三沢(青森)対松山商(愛媛)、98年の横浜(神奈川)対PL学園(大阪)、06年の早稲田実業(西東京)対駒大苫小牧(南北海道)――。語り継がれる名シーンはタイブレーク制では誕生していなかったかもしれない。そんな名勝負のひとつとして挙げられる96年の夏の甲子園決勝、松山商対熊本工の一戦を振り返ろう。

サッカー新時代を拓く 〜98年フランス大会決勝戦観戦録〜<後編>

 フランスはジダンの2発によって、限りなくFIFA杯に近づいた。課題とされていたストライカー不在は、堅固なディフェンスとセットプレーの巧みさによって覆い隠された。ジャッケのチームは最後のゲームで「イヴ・サンローラン」のコレクションにも勝る完璧なパフォーマンスを演じることに成功した。

サッカー新時代を拓く 〜98年フランス大会決勝戦観戦録〜<中編>

「キャトルズ・ジュイエ」(革命記念日)を2日後に控えたパリ市北部のスタジアムには7万5000人の観客が集まった。フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」がスタジアムを包み、無数のトリコロールが薄暮の空を支配した。  試合前にはフィールド上で「イヴ・サンローラン」のファッションショーが開かれた。ピッチは竜宮城に早変わりした。地上の美を一点に集約したようなあでやかな光景に、フランス人のサッカー観、すなわち「花火のような輝き」が重なった。

サッカー新時代を拓く 〜98年フランス大会決勝戦観戦録〜<前編>

 4年に1度のビッグイベント、サッカーW杯が13日に開幕する。開催地はサッカー王国・ブラジル。史上最多5度の優勝を誇るカナリア軍団は、今回も優勝候補の筆頭に挙げられている。1994年の米国大会で4度目のW杯制覇を果たしたブラジルは、その4年後のフランス大会でも決勝にコマを進め、ホスト国・フランスと激突した。連覇を目指した王国にフランスはいかに挑んだのか。当時の観戦記で振り返ろう。

ミクロの神秘に挑む戦い 〜男子100M・ガトリンvs.グリーン〜

 日本陸上界期待の若手スプリンター・桐生祥秀を歯牙にもかけなかった。  11日のゴールデングランプリ東京でジャスティン・ガトリン(米国)が向かい風3.5メートルながら10秒02で優勝。日本人トップの桐生には0秒44の大差をつけた。ガトリンといえば、アテネ五輪同種目の金メダリスト。ドーピング問題で4年間の出場停止もありながら、再び表舞台に帰ってきた。ロンドン五輪では銅メダル、昨年の世界選手権では銀メダルを獲得するなど32歳の今も第一線で活躍している。ガトリンが当時世界最速のモーリス・グリーンを破り、金メダルを手にしたアテネ五輪のレースを、10年前の原稿で振り返る。

気骨のチャンプ 井岡一翔

 日本人最速での3階級制覇なるか。7日、井岡一翔がIBF世界フライ級王座奪取に挑む。無敗王者のアムナト・ルエントン(タイ)からベルトを奪えば、ミニマム級、ライトフライ級に続く3階級制覇となる。日本人では亀田興毅に次ぐ快挙で、プロ15戦目での達成は最速だ。井岡は11年2月、プロ7戦目で世界王者となり日本人最速記録(当時)を打ち立てた。12年12月には2階級制覇を達成し、ここまで順調にボクシング人生をひた走っている。元2階級制覇の弘樹を叔父に持つ若きサラブレッドの高い志を、3年前の原稿で紹介する。

永遠の野球少年 川崎宗則

 ブルージェイズに所属する川崎宗則が15日、メジャーに昇格した。その日のツインズ戦でマルチヒットを記録。18日の試合後には再びマイナー降格が通告されたが、ジョン・ギボンズ監督はチームに必要な戦力であることを認めている。日本では打率3割を5度もマークし、盗塁王や最多安打のタイトルを獲得したものの、米国では厳しい生存競争を強いられている。2012年のメジャーリーグ挑戦以降は、毎年、マイナー契約からのスタートだ。だが、日本でも人気を博した明るいキャラクターとハッスルプレーで、本場米国のファンからも愛されている。まるで野球少年がそのまま大きくなったような川崎の“野球愛”を4年前の原稿で覗いてみよう。

雑草魂が生んだ監督の才

 常勝軍団復活なるか。今季の埼玉西武は伊原春樹が11年ぶりに監督に復帰した。2002年、伊原は監督に就任するや、新人監督最多勝利(90)を挙げ、チームをリーグ優勝に導いた。“鬼軍曹”と呼ばれる、規律に厳しい面ばかりフィーチャーされているが、指揮官の用兵術にも卓越したものがある。02年の優勝時には和田一浩、犬伏稔昌、宮地克彦ら、それまであまり出番に恵まれなかった選手たちを積極的に起用し、ブレイクさせた。80年代から90年代の黄金期をコーチとして支え、今、その再現を指揮官として狙う伊原のマネジメント力の一端を、12年前の原稿で振り返ろう。

故郷への野球愛 金森栄治

 城島健司、井口資仁らを指導した名コーチが地元へ再び舞い戻った。石川県金沢市出身の金森栄治が、4月から金沢学院東高の野球部監督を務める。金森はヤクルト、西武、阪神、ソフトバンク、ロッテで打撃コーチなどを務め、日本学生野球協会から1月に学生野球指導資格回復の認定を受けて、今回の就任に至った。07年にはBCリーグの石川で指揮を執り、チームをリーグ初代王者に導いた実績もある。広岡達朗、野村克也など球界の名指導者の薫陶を受けた男が、アマ野球でどんな選手を育てるのか。金森の故郷への思い、指導哲学を7年前の原稿で、振り返ろう。

メダル量産よりも価値のある、その中身

 17日間の熱戦の幕を閉じたソチ冬季五輪。日本は金1、銀4、銅3と、メダル総数は8個で目標にしていた“長野超え”(金5、メダル総数10)には届かなかった。しかし、その内訳を見れば5競技でメダルを獲得し、冬季五輪過去最多(4競技)だった長野とアルベールビルを超えた。この多様性こそが日本の強みではないだろうか。この点について指摘した3年前の原稿で、日本スポーツの進むべき道を再確認しよう。

負けず嫌いの告白 長谷川健太

 W杯イヤーのJリーグが3月1日に開幕する。注目クラブのひとつ、まさかのJ2降格から1年で這い上がってきたガンバ大阪だ。オフの話題こそ、ビッグネームが加入したセレッソ大阪に押され気味だが、J屈指のタレントを揃える同じ大阪の名門も負けていない。遠藤保仁、今野泰幸ら日本代表選手を擁し、このオフにはGKに代表経験のある東口順昭を補強した。戦力は充実しているだけに、監督である長谷川健太の采配が上位進出へのカギを握る。2011年の柏以来となるJ1復帰初年度の制覇を狙う指揮官のメンタリティーに09年の原稿で触れよう。

日の丸飛行隊「栄光と挫折」のドラマ<後編>

 長野が栄光の頂だとするなら、その先、日の丸飛行隊に待っていたのは挫折と絶望の滑走路だった。  リレハンメルから続く大河ドラマのエピローグが見たくて、私は4年後、するとレイクシティへ飛んだ。記憶に残っているのはブルーの絵の具をパレットに薄く溶かしたような退屈な空。アクセサリー代わりの乳白色の飛行機雲。そして、しなだれたままの日の丸と鯉のぼり。3大会ぶりのメダルなし。完敗だった。

日の丸飛行隊「栄光と挫折」のドラマ<中編>

 物語は長野の4年前のリレハンメル(ノルウェー)にまで遡る。  ジャンプ団体戦。原田雅彦、葛西紀明、西方仁也、岡部孝信の4人で構成する日の丸飛行隊は7本を飛び終え、2位ドイツに55.2ポイントの大差をつけていた。距離に換算するとアンカーの原田が104メートルを飛べば、日本は史上初の団体戦金メダルを獲得できる手はずだった。

日の丸飛行隊「栄光と挫折」のドラマ<前編>

 日の丸飛行隊、復活へ――。1カ月後に迫ったソチ五輪、スキージャンプといえば、金メダル大本命の高梨沙羅がいる女子に注目が集まりがちだが、男子も負けていない。今シーズンのW杯開幕戦では団体3位に入り、2年ぶりに表彰台に立った。個人戦でも竹内択、伊東大貴、葛西紀明が好成績を収め、1998年の長野五輪以来、4大会ぶりのメダルへの期待も高まっている。長野で味わった「栄光」、そしてソルトレイクシティでの「挫折」、日の丸飛行隊の浮き沈みを描いたドラマを、06年の原稿で振り返る。

オリンピックに懸ける情熱 岡崎朋美

 6度目の五輪出場を目指すスピードスケーターがいる。42歳の岡崎朋美だ。1994年のリレハンメル五輪から5大会連続で出場しており、98年の長野五輪では女子500メートルで銅メダルを獲得した。通算5度の冬季五輪出場は日本女子歴代最多である。結婚、出産を経て、現在は一児の母となった。岡崎は出産後初の五輪を目指し、今月27日から始まる日本代表選考競技会に臨む。彼女の大舞台に懸ける想いを、7年前の原稿で振り返る。

渡辺俊介、サブマリンの極意<前編>

 日本を代表するサブマリンが海を渡る。千葉ロッテで13年間プレーした渡辺俊介が、メジャーリーグ(MLB)挑戦を表明した。渡辺は2001年にドラフト4位でプロ入りすると、チームの2度(05年、10年)の日本シリーズ制覇に貢献。06、09年にはWBC日本代表にも選出され、連覇を経験している。アマチュア時代の00年のシドニー五輪も含め、国際大会で数多くのマウンドに上がってきた。アンダースローの中でも球の出どころが世界一低いと言われる37歳のベテランが、MLBの強打者相手にどんなピッチングを見せるのか。過去の原稿から独自の投球理論に迫る。

ラモス瑠偉「復讐するは我にあり」

“ドーハの悲劇”から20年が経った。1993年10月28日、日本サッカー初のW杯出場は、最終予選イラク戦での引き分けによって、夢と散った。試合終了直前、まさかの失点に多くのサッカーファンが悲しみに暮れた。だが、 “悲劇”を糧に成長を遂げた日本サッカーは4年後、これを“歓喜”に変えた。98年のフランスW杯で初出場を果たすと、現在まで5大会連続で本大会にコマを進めている。日本サッカー史を語る上で欠かすことのできない出来事を、オフト・ジャパンを牽引した司令塔・ラモス瑠偉に焦点を当てて振り返る。

史上稀に見る接戦、激戦 〜ワールドシリーズ2001〜

 海の向こうメジャーリーグ(MLB)では、プレーオフが大詰めを迎えている。アメリカンリーグは上原浩治、田澤純一の両日本人投手が所属するレッドソックスが、ナショナルリーグは2年ぶりの制覇を目指すカージナルスが 24日開幕のワールドシリーズへの切符を手にした。100年以上の歴史を誇るワールドシリーズにおいて、21世紀最初の王者は、球団創設4年目のダイヤモンドバックスだった。名門ヤンキースとの稀に見る激闘は多くのMLBファンの記憶に残っていることだろう。まさに世紀のシリーズとも言える戦いを12年前の原稿で振り返る。

マイク・タイソン、破滅へのテン・カウント<中編>

 イタリア系移民の子として生まれたダマトがトレーナーとして脚光を浴びたのは、今から30年も前のことだった。  フロイド・パターソンに独自の防御理論から編み出したピーカブー(のぞき見)・スタイルで構えさせ、ヘビー級王座まで上りつめさせた。しかし、ソニー・リストンの挑戦を「暗黒街につながりのあるヤツはだめだ」と突っぱねたことによりプロモーターたちから疎んじられ、引退を余儀なくされた。

マイク・タイソン、破滅へのテン・カウント<前編>

 ボクシング界のレジェンドであるマイク・タイソンはこの8月、薬物とアルコール依存であることを告白した。タイソンは1986年、WBC世界ヘビー級の史上最年少王者となったのを皮切りに、WBA、IBFと3団体統一の世界チャンピオンになった。しかし、90年にデビューからの連勝が37で止まると、その後は度重なる逮捕、耳噛み事件などリング外で世間を騒がせた。タイソンの凋落はどこから始まったのか、19年前の原稿で振り返ろう。

甲子園の光と影<後編>

 高校ラグビーは選手の健康面を考慮して1日おきの開催であり、高校サッカーも準決勝の前には1日の休養日を設けている。大野の“残酷登板”が問題になった後、高野連の牧野直隆会長は、審査室会議後の記者会見の席で「1日の休養日という問題も含めて、スケジュールのあり方はいろいろと検討している」と明言した。しかし、一向に改善される気配はない。主催者側は、選手の健康管理について、いったいどういう提案を行っていくつもりなのか。

甲子園の光と影<中編>

 大野のみならず、甲子園は毎年のように犠牲者を生み出している。第68回大会では、優勝した天理のエース、本橋雅央(早大−オリンパス光学工業)が右ヒジの負傷をおして力投を演じ、その痛々しいまでのマウンド姿が同情を呼んだ。結果的に甲子園でのピッチングが原因で、彼は野球生命を断たれることになる。

Back to TOP TOP