ロンドン五輪まで、いよいよ1カ月を切りました。日本のメダルラッシュが期待される競泳は28日から男子400メートル個人メドレー予選を皮切りに競技がスタートします。前人未到の3大会連続2冠を目指す平泳ぎの北島康介選手、北京の雪辱を狙う背泳ぎの入江稜介選手などに金メダルへの期待が高まっています。今回は、日本の五輪競泳史上に残る名場面、ソウル五輪男子100メートル背泳ぎでの鈴木大地さんのレースを、振り返ります。
バスケットボールの女子日本代表は、ロンドン五輪出場を懸け、25日からトルコで開催される五輪世界最終予選に臨みます。予選は12カ国が参加し、上位5チームが出場権を確保します。2大会ぶりの五輪出場を目指す日本代表を牽引するのはエースの大神雄子選手です。彼女は、2004年のアテネ五輪に出場し、その後は女子最高峰リーグのWNBAでもプレーもしました。今年3月に右足の手術を受けた影響が心配されましたが、現在は全体練習に復帰し、キャプテン、そして司令塔としてコート内外での活躍が期待されます。今回は、大神選手を取材した3年前の原稿を紹介します。
女子レスリング72キロ級で3大会連続の五輪出場を決めた浜口京子選手が、ロンドン五輪を最後に現役引退を示唆しました。2004年のアテネ五輪から正式採用された女子レスリングは現在、日本のお家芸とも言える競技です。ここまで日本勢は、全階級においてメダルを獲得しています。元プロレスラーの父・アニマル浜口をコーチに持つ浜口選手は世界選手権5度優勝の実績を誇り、過去2大会でも金メダルが期待されていました。しかし、結果はいずれも銅メダル。ロンドン五輪では悲願の金メダルで、有終の美を目指します。今回は、そんな浜口親子の二人三脚の物語を、12年前の原稿より紹介します。
バレーボールの全日本女子チームは現在、ロンドン五輪出場を目指し、19日から開催されている五輪世界最終予選兼アジア大陸予選を戦っています。大会は8カ国のリーグ戦で行われ、3位以内に入るか、または上位3チームを除くアジア最上位国が、ロンドン五輪の出場権を手にします。五輪本番での28年ぶりのメダルを目指し、全日本女子の指揮を執る眞鍋政義監督は北京五輪後の2008年12月に就任。10年の世界選手権では、全日本女子を32年ぶりのメダル獲得(銅)に導きました。今回は、眞鍋監督の女子バレー復権への道程を、2011年の原稿で振り返ります。
アテネ五輪100キロ超級、決勝。 相手はロシアの“怪豪”タメルラン・トメノフ。まるで白熊のような体をしたこの男は、このクラスでも破格のパワーを誇る。184センチ、110キロの鈴木桂治の体が華奢に見える。 実はアテネに行く前、彼は親友の棟田康幸に最重量級での戦い方を訊ねた。棟田は世界選手権を含めて3度、この大男と戦い、3度とも勝っている。
今回は、鈴木桂治、井上康生の2人が明暗を分けたアテネ五輪、柔道重量級にスポットを当てた2004年の原稿を紹介します。 この大会、100キロ級で連覇を狙いながら、まさかの一本負けを喫した井上康生さんは08年に引退。現在は、母校・東海大学の副監督、全日本ではコーチとして後進の育成に携わっています。一方、アテネ五輪100キロ超級で金メダルを獲得した鈴木選手は3大会連続の五輪出場を目指し、5月12日の全日本選抜体重別選手権に出場予定です。国内のライバルたちとロンドン五輪行きの切符を懸けた戦いに臨みます。
ルツェルンは2人にとって、アテネで頂点を目指すことを確認することにおいて“約束の地”となった。武田に触発されるかたちで浦も金メダルへの誓いを立てた。 しかし、1年後、舞台は暗転した。アテネへのステップとすべき大会で、思いもよらぬ辛酸を舐めることになってしまうとは……。
ロンドン五輪まで4カ月。当コーナーでは、8月まで五輪特別編と題し、過去の大会の名シーンや印象に残る選手を振り返っていきます。 今回は、アテネ五輪を直前に控えたボード男子軽量級ダブルスカル代表の武田大作・浦和重ペアを取り上げた8年前の原稿を紹介します。 両選手は、4月6日にアジア選手権に出場する日本代表選考会でもペアを組みます。今回のレースは、昨年の代表選考の方法に問題があったため、武田・浦組と、一時は代表に内定していた須田貴浩・西村光生組の2ペアによる直接対決で代表を決定します。武田・浦組が代表に選ばれれば、同26日から開催されるアジア選手権で、武田は5度目、浦は3度目の五輪切符を懸けて戦います。
女子マラソンのロンドン五輪への切符をかけた戦いは最終章を迎えた。11日、最後の日本代表選考レースとなる名古屋ウィメンズが開催される。ラストチャンスを掴むべく多くの実力者たちがエントリーした。アテネ五輪金メダリストで日本記録保持者の野口みずき、前日本記録保持者の渋井陽子、2011年世界選手権5位の赤羽有紀子、09年の世界選手権銀メダルの尾崎好美らトップランナーたちが尾張の地で雌雄を決する。今回のレースでは日本人最上位に入ること、そして先に行なわれた大阪国際で優勝を果たした重友利佐の2時間23分23秒というタイムを上回ることが代表入りのひとつの基準となるだろう。 優勝候補のひとり、尾崎の五輪に向けた物語を、2年前の原稿で振り返る。
海の向こうでは朝青龍の父親ドルゴスレン氏が次のように協会を批判した。 「いろんな情報を聞いたがウソばっかりだ。母国に来て子どもたちとサッカーをしたからといって、こんなに厳しい処分を下すことはない。私は自分の息子が精神的な病気になったなんて信じられない。相撲協会はモンゴル人力士を抑圧していると思う」 私見を述べれば事件のタネを蒔いたの朝青龍であり、ペナルティは当然だ。一部に“綱の品格を問題視する声もあるが、今回に限っては品格の問題ではない。公人が“仮病”を使って、公務をサボった、その一点に絞って朝青龍は裁かれるべきだ。職場放棄は動かしようのない事実である。
日本相撲協会の人材不足が露呈したと言えるだろう。1月30日の役員改選により、北の湖親方(元横綱)が再び理事長に就任することが決まった。一度、その座を降りた理事長が復帰するのは協会史上初めてだ。北の湖理事長は現役時代、史上最年少(21歳2カ月)での横綱昇進を果たし、歴代4位の24度の優勝回数を誇るなど、力士としての実績は申し分ない。しかし、組織の長としての資質があったとは言い難いのが実情だ。前理事長時代の07年には力士暴行死事件が起き、責任を問われたが、自らリーダーシップをとることもなく、かといって職から退くこともなかった。角界では不祥事が相次ぎ、翌年、弟子の大麻問題が発覚。責任をとって辞任に追い込まれた。 北の湖理事長の統治能力不足の一端を、07年の原稿で振り返り、再登板に物言いをつけたい。
昨年12月28日、“マムシ”の異名をとったプロゴルファーの杉原輝雄が前立腺ガンのため、死去した。74歳だった。プロ通算63勝を誇る杉原の体に、ガンが発見されたのは97年。しかし、杉原は諦めなかった。ゴルフへの影響を考慮し、手術はせず、ホルモン投与で病と闘った。加えて、過酷な筋力トレーニングで体を鍛え上げた。その結果、06年つるやオープンで最年長予選通過世界記録(68歳10カ月)を樹立、10年には中日クラウンズに参戦し、同一大会51年連続出場の世界記録を更新した。その偉業を称え、日本プロゴルフ殿堂入りも検討されているという。 病魔と闘い続けた“マムシ”の勝負根性を、06年の原稿で振り返ろう。
25日、中央競馬の1年を締めくくるレース、有馬記念が中山競馬場で開催される。オグリキャップ、ナリタブライアン、テイエムオペラオー、ディープインパクト――数多くの名馬たちが記憶に残る勝負を繰り広げてきた有馬記念は、今年も豪華絢爛なメンバーがズラリと顔を揃える。ディープインパクト以来の牡馬クラシック三冠馬オルフェーヴル、今レースがラストランとなるG?6勝の女王ブエナビスタ、史上5頭目の連覇を目指すヴィクトワールピサ、天皇賞春を制したヒルノダムール……。年の瀬の大一番を迎える前に、このレースが持つ意義を、7年前の原稿で振り返り、改めて検証しよう。
話を私が考える2リーグ=16チーム制に戻そう。 海の向こうに目を移すと、メジャーリーグはエキスパンション(球団拡張)を繰り返し、1900年にはアメリカン、ナショナル両リーグ合わせて10球団しかなかったのが、現在は30球団だ。全米各地にまでメジャーリーグのマーケットは10倍に膨れ上がったといわれている。この球団拡張政策により、文字通りメジャーリーグはナショナルバスタイム(国民的娯楽)となったのだ。
“球界の盟主”を自任する巨人が内紛問題で揺れている。清武英利球団代表兼ゼネラル・マネジャー(GM)がコーチやオーナー人事に関する渡邉恒雄球団会長の“鶴の一声”を記者会見で訴え、批判。球団の名誉、信用を傷付けたとして、18日付で解任された。 渡邉会長と言えば、巨人、いや球界の最高実力者だった。彼の主導により、ドラフト制度、FA制度など、プロ野球のルールを動かしたことも少なくない。そんな“球界のドン”に球団内の幹部が噛みついたことは、権力に陰りが見え始めてきた証ともとれるだろう。 渡邉会長が、長年に渡って行ってきた「独裁政治」の一端を、7年前の原稿で振り返りたい。
Jリーグの優勝争いが山場を迎えている。現在首位を走るのは、史上初となるJ2からの“昇格1年目”での優勝を目指す柏レイソルだ。快進撃を続けるチームを率いるのは、ブラジルの名門クラブを渡り歩いてきたブラジル人指揮官のネルシーニョ。その名将を2009年、レイソルに招聘したのが、強化本部統括ダイレクターを務める小見幸隆である。小見はJリーグ創生期に、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)でも指導者や強化担当を歴任し、黄金時代を築いた経験を持つ。 チーム作りのスペシャリスト、小見のサッカーに対する情熱を、17年前の原稿で振り返ろう。
日本バスケットボールリーグ(JBL)の5年目のシーズンが開幕した。9月のアジア選手権では男子日本代表がロンドン五輪の切符を獲得できなかった。30年以上、五輪から遠ざかっている男子バスケット界を強化するためには、bjリーグを含めた国内リーグの活性化が必要不可欠である。 そこで期待がかかるのが、NBAのコートを経験した田臥勇太だ。08-09シーズンからJBLのリンク栃木に加入し、その翌シーズンにはチームを初優勝に導いた。今シーズンも司令塔としてチームを牽引する。 日本バスケット界の“顔”である田臥が感じた本場・米国との違いを、2年前の原稿で振り返ろう。
ところが現在の日本相撲協会は、いくら客足が遠のいても何も打たず、ひたすら前例を踏襲するのが「伝統を守る」ことだと勘違いしている。そして、「これまで潰れなかったのだから今後も潰れない」と根拠のない信仰にすがっているのだ。
近年、大相撲の人気低迷が顕著だ。現在開催中の九月場所2日目に、1985年以降の東京場所としては過去ワーストとなる5682枚のチケットが売れ残った。会場の両国国技館の収容人数は約1万1000人。つまり半分以上の席が埋まらなかったことになる。相次ぐ不祥事に加え、人気力士の不在が大きく影響したのだ。伝統に頼るばかりでは、前進はない。窮地に追い込まれた今、大相撲は改革の時を迎えている。 そこで7年前の原稿を振り返り、大相撲が歩むべき道を探ってみよう。
ラグビーW杯ニュージーランド大会の開幕が目前に迫ってきている。ジョン・カーワンヘッドコーチが率いる日本代表の目標は過去最高の2勝をあげることだ。だが、1991年イングランド大会でW杯初勝利をあげて以降、白星のない日本には、大きな壁が立ち塞がる。1次リーグで対戦するのは、ニュージーランド(IRBランキング1位)、フランス(同4位)など強豪揃い。しかし、2019年にW杯自国開催を控える日本にとって、今大会での躍進は不可欠だ。課された命題は善戦ではない。そこで日本ラグビーが目指すべき道を、10年前の原稿で辿り、再考しよう。
“ミスターマリノス”が、名門復活へ着実に成果をあげつつある。Jリーグの横浜F・マリノスで指揮を執る木村和司は、現役時代、司令塔として活躍し、“ミスターマリノス”と呼ばれた名プレーヤーだ。FKの名手として知られ、日本代表で歴代5位の26得点をあげた。94年に現役を引退、サッカー解説者などを経て、昨年、低迷する古巣マリノスの監督に就任した。2年目の今季は首位の名古屋に勝ち点差3の4位(8月19日現在)につけ、7季ぶりの優勝を目指す。 日本サッカーの低迷期を支えた木村のプロフェッショナリズムを、Jリーグが誕生する前年の原稿で振り返ろう。
横浜高校の渡辺元智といえば、春夏含めて5度の甲子園優勝を誇る高校球界の名監督である。1968年に同校の監督に就任すると、今夏の選手権を含めて25度の甲子園出場に導き、積み上げた勝利数は歴代4位の47にものぼる。渡辺は約半世紀にも及ぶ指導者生活のなかで、“スパルタ”から“対話型”へと、時代に合った指導法を柔軟に取り入れた。そして、松坂大輔(ボストン・レッドソックス)、成瀬善久(千葉ロッテ)、涌井秀章(埼玉西武)など球界を代表するプロ選手たちを輩出したのだ。 名指導者の教育論を、20年前の原稿で辿ってみよう。
NBAで一時代を築いたシャキール・オニールが今季限りで引退した。2mをはるかに超える恵まれた体格を生かし、92年にプロ入り。オーランド・マジックから96年に名門ロサンゼルス・レーカーズへ移籍すると、99-00シーズンからのファイナル3連覇に貢献。その後4球団を渡り歩いた。19シーズンの現役生活で積み上げた得点は28596点にものぼる。これはマイケル・ジョーダン、ウィルト・チェンバレンら名だたるスーパースターに次ぐ歴代5位の記録だ。 豪快なダンクでファンを魅了したシャックのプレースタイルを、02年の原稿で振り返ろう。
「先発完投こそが、ピッチャーの本来あるべき姿」 それがジャイアンツ・藤田監督のピッチャー観であることは、これまでにひとりのストッパーもつくらなかったことで証明されていた。ところが、自らの哲学を覆すかのように今シーズン、初めてひとりのストッパーを育て上げた。それがGの新守護神・石毛博史である。
試合の幕引きを任される投手――。その守護神的役割を果たす投手をストッパーと呼ぶ。現在の代表例は、日本プロ野球(NPB)通算最多セーブを誇る岩瀬仁紀(中日)だ。 NPBでは、1960年代に中日の投手コーチを務めていた近藤貞雄が先発完投型から投手分業制へと移行した。それがNPBの先発とリリーフの役割が明確化されたきっかけと言われている。以降、優勝を争うチームには、優れたストッパーの存在がある。 稀に見る大混戦となった92年のセ・リーグもまたストッパーたちが活躍した。熱戦を演出した各球団のストッパーを、当時の原稿で振り返り、守護神という存在にスポットライトを当ててみよう。