サンフレッチェ広島のFW佐藤寿人が7月29日、ヴィッセル神戸戦で2ゴールをマークし、今シーズン10点目を挙げた。これで2004年から前人未到の12年連続2ケタ得点を達成。J1通算得点を155に伸ばし、中山雅史の持つ最多記録まであと2と迫った。フィジカル面でもテクニック面でも決してズバ抜けたものを持っていないストライカーが、なぜゴールを量産できるのか――。2年前の原稿で探ってみよう。
中国山地の山あいにある広島県比婆郡東城町(現・庄原市)で生まれた谷繁は地元の強豪・広島県立広島工高(通称・県工)を受験したが失敗、二次募集で島根県の江の川高(現・石見智翠館高)に進んだ。甲子園には2年と3年の夏、2度、出場している。 高校時代から谷繁を知っている野球指導者がいる。元プリンスホテル監督で巨人の編成部長も務めた石山健一だ。
80年以上の歴史を誇る日本プロ野球で、新たな金字塔が打ち立てられようとしている。19日現在、中日の谷繁元信は通算3015試合に出場。野村克也の持つNPB史上最多の通算3017試合まで、あと2と迫っている。プロ入り27年、キャッチャーという激務をこなしながら、ここまで大きなケガなく生き抜いてきた。昨季からは監督を兼任し、更なる重責を背負っている。今季は5月に今季1号を放ち、自らが持つ入団以来27年連続ホームラン記録を更新した。その他にも3000試合出場、2000本安打、1000打点……着々と数字を積み上げていく谷繁。彼が語る捕手論を、2年前の原稿で触れてみよう。
今月24日に開幕のする世界水泳選手権。史上初の男子シンクロナイズドスイミング日本代表として、安部篤史が出場する。安部の所属するトゥリトネスは、プールを舞台にしたパフォーマンス集団。トゥリトネスは、元水泳日本記録保持者の不破央が回り道の末に見つけた人生のステージである。教え子を世界の舞台へと導いた不破。彼が魅せる人生のステージの一幕を、13年前の原稿で紹介しよう。
アベランジェの金城湯池だった南米は、その票田をすべてブラッター会長が引き継いだかたちになっているが、北中米カリブサッカー連盟のワーナー会長とブレーザー事務総長は「職権を逸脱して北中米カリブサッカー連盟会長選挙に介入した」としてブラッター会長にゼンルフィネン事務総長の解任を求めた。この動きをブラッターの差し金だと見る向きは少なくない。 まさに、永田町も真っ青の泥々の密室政治劇。陰謀、裏切り、賄賂……、何でもありのFIFAワールド。会長選挙が行われるソウルは反ブラッターグループの急先鋒である鄭夢準氏のおひざ元でもあり、いわばブラッター会長にとってはアウェーでの戦いになる。ハヤトゥ氏が強気になるのも無理はない。
再選からわずか4日での退陣表明だ。去る5月29日、国際サッカー連盟(FIFA)会長選で5期目の当選を果たしたゼップ・ブラッターだったが、その4日後に緊急会見を開き、辞意を表明した。FIFA幹部経験者が複数逮捕される贈収賄事件が明らかになり、ブラッター会長自身にも捜査の手が及ぶと言われている中での電撃辞任。しかし、FIFAの金銭をめぐる疑惑が浮上したのは今回が初めてではない。ブラッターが2選目を果たした2002年の会長選でも、それは起こった。当時の原稿で、なんでもありの権力闘争を振り返り、FIFAの闇に触れてみよう。
日本サッカー協会(JFA)の田嶋幸三副会長が、この4月、国際サッカー連盟(FIFA)理事に当選した。田嶋は4年前にも立候補したが、落選しており、2度目の挑戦で要職を勝ち取った。5月末のFIFA総会で正式に承認されれば、小倉純二JFA名誉会長以来、4人目の日本人FIFA理事となる。田嶋はこれまでアンダー世代の日本代表監督を歴任し、JFAの技術委員長を務めるなど、日本サッカーの強化・育成に尽力してきた。今後はFIFA理事として、アジアの競技力向上に意欲を見せる。田嶋が抱くビジョンを、13年前の原稿で振り返る。
日本記録保持者、朝原宣治は今や世界に伍していけるまでの力をつけている。コンスタントに10秒1台を出せる選手は、わが国では他にいない。96年の世界陸上でもあと一歩で準決勝進出までいった。
“10秒の壁”は、ついに破られるのか。この3月、桐生祥秀が米国の大会で追い風参考ながら100メートル9秒87の好タイムを叩き出した。これまで数多の日本人スプリンターたちが挑んだものの、公認記録での9秒台にはまだ誰ひとり到達できていない。1998年に伊東浩司がマークした10秒00の日本記録は、約16年半も更新されぬままだ。初の9秒台へ、桐生に向けられる周囲の期待は大きい。かつて100メートルの日本記録を保持していた朝原宣治と井上悟も、“10秒の壁”に挑戦した日本人スプリンターである。2人の韋駄天の物語を、18年前の原稿で紹介しよう。
須藤豊が西武のヘッドコーチに就任したのは、3年目のオフだった。その教えは新鮮だった。 「右は右、左は左。人格を変えなさい」 それを口を酸っぱくして言われた。
22年目を迎えるベテランが今季、新たな挑戦をする。東北楽天の松井稼頭央が内野手から外野手への転向を決めた。ショートで4度ゴールデングラブ賞に選ばれた松井が、外野手でも同賞を獲得すれば、NPB史上4人目の快挙となる。1994年にドラフト3位で西武に入団した松井は、3年目から両打ちに転向。以降、ベストナインを7度受賞するなど、日本を代表するスイッチヒッターとなった。04年からは米国に渡り、メジャーリーグで7年プレーした。11年に日本に戻ってからは毎年100安打以上を記録し、NPB通算2000本安打まで、あと80本と迫っている。10月には不惑を迎えるスイッチヒッターの極意に迫った。
今季の明治安田生命J1リーグは7日に開幕する。初のJ1に挑む松本山雅FCは2010年の王者・名古屋と対戦する。松本は分厚い戦力とは言えないだけに、反町康治監督の手腕がかかる部分は大きい。反町は新潟、湘南、松本と3クラブで指揮を執り、J1昇格に導いた。北京五輪代表監督を務めるなど、指揮官としての経験は豊富だ。現役時代はMFとしてプレー。リーグがプロ化されても、あえてアマチュアであることを選んだ。異色のプレーヤーだった反町のメンタリティーを、93年の原稿で振り返る。
プロから指名されなかった古田は社会人野球のトヨタ自動車に進む。これが結果的には吉と出た。 日本代表メンバーに選ばれ、1988年のソウル五輪に出場。日本代表では野茂英雄、潮崎哲也、石井丈裕、渡辺智男らそうそうたるピッチャーのボールを受けた。 「これは自信になりました。というより“何で、コイツらがプロに行ってないんや?”と思ったものです。皆、ストレートは楽に150キロ前後出るし、変化球はビュッと曲がる。西村龍次や、湯舟敏郎もドラフト1位ですけど、彼らですら、あの頃の日本代表には常時、入っていませんでしたから」
今年度の野球殿堂入りが発表され、プレーヤー表彰では元東京ヤクルトの古田敦也がただ1人選ばれた。古田は1990年にドラフト2位でプロ入り。攻守にわたる扇の要として、ヤクルトをリーグ優勝5回、日本一4回に導いた。大学、社会人経由では初の2000本安打を達成し、MVP2回、ベストナイン9回、ゴールデングラブ賞10回、首位打者1回と、数々のタイトルを手に入れた。現役生活の18年で、古田はかつて自らのプロ入りを阻んだ「眼鏡をかけたキャッチャーは大成しない」という球界の迷信を見事に払拭した。球史に残る名捕手の技と頭脳に触れてみよう。
一気に“父”を超えられるか。大相撲初場所で横綱・白鵬の幕内優勝最多記録の更新が懸かっている。先の九州場所では32回目の賜杯を手にし、“角界の父”と慕う大横綱・大鵬の記録に並んだ。大鵬といえば、約10年もの間、角界の頂点に立ち続け、昭和の時代を彩った象徴的存在である。V9を達成した巨人とともに、子供たちの好きなものの代表として「巨人・大鵬・卵焼き」と称されるほど、抜群の人気を誇った。名横綱の圧倒的な強さがうかがえるエピソードを、2005年の原稿で振り返る。
それで驚いていてはいけない。実は、彼は最大の武器を封印しているのである。 スプリング・トレーニング(春季キャンプ)で、経験豊富なコーチ陣をして「おまえ、そのボールいつ覚えたんだ?」と仰天せしめたD難度のボールである。
“平成の怪物”が9年ぶりに日本に戻ってくる。松坂大輔が福岡ソフトバンクに入団した。松坂は1999年にドラフト1位でプロ入り。高卒1年目から最多勝、新人王、ベストナイン、ゴールデングラブ賞と数々のタイトルを獲得した。以降も日本代表でWBC連覇に貢献するなど日本のナンバーワンピッチャーとして君臨し続けた。近年は右ヒジの故障で目立った成績を残せていないが、福岡の地で復活を目指す。ルーキー時代の原稿で“怪物”の凄みに改めて迫る。
マラソンの季節がやってきた。福岡国際マラソンは7日正午に号砲が鳴る。来年の世界選手権(北京)日本代表選考会を兼ねており、中本健太郎(安川電機)、藤原正和(ホンダ)ら国内の有力ランナーが出場する。70年近い歴史を持つ福岡国際マラソンは、これまで多くの名勝負やニューヒーローを生んできた。中でも1987年の第41回大会はソウル五輪の代表選考会として注目を集め、中山竹通は独走優勝を果たし、出場権を手にした。“反骨のランナー”呼ばれた彼のキャラクターを、14年前の原稿で振り返ろう。
元メジャーリーガーの建山義紀が現役引退を表明した。今季は途中から阪神に入団したものの、登板はわずかに8試合。ポストシーズンのロースター入りを果たせなかったことで、選手生活の幕引きを決断した。右サイドハンドの建山はドラフト2位で1999年に日本ハムに入団。主に中継ぎとして、2007年の日本一に貢献した。11年には米国に渡り、レンジャーズでリーグ優勝を経験している。日米で活躍したリリーバーとしての誇りを、2年前の原稿で見てみよう。
今年のプロ野球のドラフト会議では、育成選手も含め、計104名が指名を受けた。果たして、ダイヤモンドの原石たちは、プロの世界で輝けるのか――。各球団のスカウトたちの先見の明が問われる。プロ野球の名スカウトといえば、日本ハムで20年以上に渡り、選手を獲得してきた三沢今朝治(現BCリーグ信濃代表取締役社長)もそのひとりだ。ゴールデングラブ賞6度の島田誠、1988年の最多勝投手・松浦宏明らをスカウトした。その後、球団社長補佐として新庄剛志、稲葉篤紀の入団交渉に深く関わり、北海道に定着した現在のチームの礎を築いた。逸材発掘にかけた三沢の情熱を、23年前の原稿で振り返る。
“神の左”再び炸裂なるか。22日、WBC世界バンタム級王者の山中慎介が7度目の防衛戦に挑む。山中は未だプロ23戦負けなし。29歳で王座を奪取し、遅咲きに分類されるが、32歳となった今も進化を遂げている。これまでの15KOを全て左で仕留めているため、その“神の左”にばかり注目が集まるが、抜群の距離感と華麗なステップワークこそ彼の隠れた武器である。2012年の初防衛戦では、リング上で闘牛士のように強敵を翻弄した。山中の冷静な試合運びを、当時の原稿で振り返ろう。
メジャーリーグでも活躍した岩村明憲が東京ヤクルトから戦力外通告を受けた。本人は現役続行を希望しており、新たな所属先を探すことになる。日米5球団でプレーし、日本代表のWBC連覇(2006年、09年)にも貢献した岩村だが、多くの故障にも悩まされてきた。それでも彼はグラウンドに帰ってきた。特に03年の右手首骨折を期に野球観は一変したという。何事も苦しみが礎となる――。逆境に屈しない岩村の“何苦楚魂”を、10年前の原稿で触れてみよう。
現在開催中のアジア競技大会(韓国・仁川)で、女子マラソンは10月2日に行われる。日本からは木崎良子(ダイハツ)と早川英里(TOTO)が出場予定だ。早川は32歳で初代表。今年になって自己ベストをマークするなど、遅咲きながら更なる成長が期待できるランナーだ。今年の名古屋ウィメンズマラソンで木崎に次ぐ4位に入り、日本人2位で代表権を獲得した。4月に新設されたマラソンナショナルチームにも選出され、2年後のリオデジャネイロ五輪代表も視野に入ってきている。学生時代は無名のランナーだった彼女がここまで走り続けている意義を、2005年の原稿で触れてみよう。
2年後のリオデジャネイロ五輪へ再スタートの金メダルだ。8月にロシアで行われた柔道の世界選手権、男子73キロ級は2大会ぶりに中矢力が制した。2011年に初出場で世界選手権を制し、翌年のロンドン五輪に臨んだものの、結果は惜しくも銀メダル。昨年の世界選手権では準々決勝で敗れ、病院送りにさせられる屈辱を味わった。今大会、中矢は再び“世界一”に輝き、復活をアピールした。五輪の借りは五輪でしか返せない。中矢が初めて“世界一”となった際の秘話を、2年前の原稿で振り返ろう。
試合は、いよいよ延長11回に突入する。 11回表、松山商の攻撃。バッターボックスには10回裏、“奇跡のバックホーム”でチームを絶体絶命の危機から救った矢野が立っていた。