伊藤数子
現在、熱戦が繰り広げられているテニスのウィンブルドン選手権では15年ぶりの勝利を飾ったクルム伊達公子選手や、予選から勝ち上がり、初出場ながら今大会日本人最高の3回戦進出を果たした土居美咲選手など、日本人選手の活躍が目立ちましたね。連日、寝不足になりながら楽しんでいる人も多いことでしょう。周知の通り、ウィンブルドンはグランドスラムの中でも最も人気がある大会で、世界中のテニスプレーヤーの憧れとなっています。実は日本にも海外のプレーヤーに絶大なる人気を誇るテニスの国際大会があります。NEC車いすテニスツアー「飯塚国際車いすテニス大会」、通称「ジャパンオープン」です。
いよいよロンドンオリンピック・パラリンピックまで約1年。先日は卓球で代表選手が決定するなど、スポーツ界は徐々に“ロンドンモード”に突入していますね。障害者スポーツ界でもパラリンピックを目指すアスリートたちがロンドンの切符を獲得するため、国内外の大会に出場しています。そこで今回は、14、15日に開催されたIPC(国際パラリンピック委員会)公認の「新日本製薬大分陸上2011」(大分市営陸上競技場)へ行ってきました。そこで私が見たのは、真のスポーツ大会を目指す大会運営者の強い思いでした。
東日本大震災から約1カ月半が経ちました。死者・行方不明者はあわせて2万5000人を超え、その被害の大きさは戦後最大と言われています。少しずつ復興への兆しを見せ始めてはいるものの、被災地が元の姿に戻るにはまだまだ時間がかかることでしょう。今回の震災では「自分には何ができるのか」「今、何をすべきなのか」を考えた方々も少なくなかったと思います。私自身もその一人でした。障害者スポーツに関わる人間として、何をすべきか……。その答えは3月29日に行なわれたサッカーのチャリティーマッチ「日本代表vs.Jリーグ選抜」にありました。「自分たちの最後まで諦めない姿を見てほしい」という選手のコメントを耳にした時に、「これだ!」と思ったのです。多くの困難を乗り越え、逆境を糧にさえして生きてきた障害者アスリートそのものが、最後まで諦めない姿の象徴です。そうであるならば、彼らと触れ合うことで、被災者の方々に何かを伝えられるのではないか。私はそう信じ、多くの方々のご協力のもと、障害者アスリートとともに今月23日、宮城県石巻市に訪問・炊き出しに行ってきました。
私が障害者スポーツと出合ってから、選手はもちろん、指導者や競技団体関係者、大会やイベント運営に携わる方々と、実にさまざまな方たちと触れ合ってきました。その中で私はいろいろなことを見聞きし、学び、そして感じてきました。なかでも「障害者スポーツをもっと多くの人に知ってもらいたい、観てもらいたい、楽しんでもらいたい」という思いは、障害者スポーツに関われば関わるほど、大きく膨らんでいます。では、そのためにはどうすればいいのでしょうか。そこで今回は競技としての障害者スポーツの視点で私見を述べます。
<試合を見ていて、私は「障害がある人」と言うことを忘れて、カナダの選手に「走れ! 走れ!」と叫んでいた。本当なら「こげ!」なのに。> これは「国際親善女子車椅子バスケットボール大阪大会」の会場に訪れた中学1年生の女の子の感想文です。また、試合の合間に行なわれた体験会に参加した中学1年生の男の子はこんなことを書いています。 <車椅子バスケの体験をする前は、操作などが難しそうで、おもしろくなさそうだったけど、体験すると気持ちを熱くするものがありました。> こうした子どもたちの真っ直ぐで素直な感想文を読み、私はこの大会の意義について改めて考えさせられました。
「この競技が中継できるようになれば、障害者スポーツの中継はグンと広がる」 そう語ったのはスカパーJSAT執行役員専務・放送事業本部長の田中晃氏です。「スカパー!」では2008年から車椅子バスケットボールの中継を行なっています。来年のロンドンパラリンピックでは車椅子バスケットボール以外の中継も検討されており、今後はさらに障害者スポーツの中継が拡大されることでしょう。その指揮をとられているのが田中氏です。同氏が障害者スポーツ中継のカギと見ている「この競技」というのが、今回ご紹介する「ボッチャ」です。
昨年4月、日本の障害者スポーツ界では大きな出来事がありました。2006年から世界ランキングトップを誇る車いすテニスプレーヤー国枝慎吾選手がプロ宣言を行なったのです。それまで国枝選手は母校の麗澤大学の職員として働きながら、その合間を縫って海外ツアーに出場していました。仕事をしながらですから、練習時間などの制約はあったものの、それでも収入の面では安定していたはずです。しかし、自ら安住の地を捨て、テニス一本で食べていくことを決心したのです。「普通の子供がプロ野球選手やサッカー選手に憧れるように、障害のある子供たちにも“自分もプロのスポーツ選手になれるんだ”という夢を与えたい」。プロ宣言した最大の理由を国枝選手はこう述べています。そして今、国枝選手の思いは子どもたちにどんなふうに届いているのでしょうか。その答えを少しだけ垣間見ることができました。
“スポーツの秋”ということで、国内外ではさまざまなスポーツの大会やイベントが行なわれていますね。中国・広州で開催されているアジア競技大会では、日本人選手の活躍が連日のように報道されています。来月には同会場でアジアパラ競技大会が行なわれるわけですが、その代表にも選ばれている選手たちが日本一の座をかけて今月7日に講道館で行なわれたのが、全日本視覚障害者柔道大会です。アトランタ、シドニー、アテネとパラリンピックで3連覇し、北京では銀メダルを獲得した66キロ級の藤本聰選手を始め、大会には全国からトップ選手が集結し、熱戦が繰り広げられました。
今月よりNPO法人STANDの副代表・伊藤数子さんの連載コラム「障害者スポーツの現場から」がスタートします。現在、日本では障害者スポーツというと4年に一度のパラリンピック以外はあまり認知されていないのが実状です。しかし、日本国内はもちろん、世界各国で障害者スポーツの大会やイベントは数多く行なわれています。そこで、さまざまな大会やイベントの現場に足を運ぶ伊藤さんならではの視点で、障害者スポーツを紹介。競技そのものの魅力や選手の声、そして障害者スポーツが抱える課題などについて詳しくお伝えしていきます。