千葉ロッテ4位・清田育宏「プロ入りを決意させた親友の存在」

 生まれも育ちも千葉県。少年時代には何度も千葉ロッテマリーンズの応援にマリンスタジアムを訪れ、高校時代には予選でスタジアムのマウンドを踏んだ。そんな生粋の千葉県人である清田育宏が昨秋のドラフトで地元球団ロッテから指名を受けた。「12球団OKとは言っていたけど、やっぱりロッテに指名されたかった」と清田。しかし、上位指名を狙っていた彼にとって4位という順位は予想外だった。自分へのふがいなさに、すぐにプロ入りを決断することができなかった。そんな彼がプロ入りを決意した理由は何だったのか。その真相に迫った。

東北楽天育成1位・松井宏次「支配下登録へ“頭脳”で勝負」

 経験した仕事の数ではNPB選手の中でナンバーワンかもしれない。銀行マン、運転代行業者、パチンコ店員……。「野球をやって生活したい」。松井宏次は華やかな舞台とは遠いところにあっても、決して自分の夢を諦めなかった。その思いは今、ようやく花開く。つい2年前まで働きながらクラブチームでプレーしていた男は、今季から正真正銘、野球が職業になった。四国・九州アイランドリーグを経てNPBの世界に飛びこむ25歳が、これまでの苦労人人生を振り返る。

オリックス5位・阿南徹「“自信”が導いたプロへの道」

 2009年、オリックスは前年2位から再び最下位へと転落した。その要因がどこにあるのかは12球団ワーストの防御率4.58を見れば明らかだ。新監督に就任した岡田彰布監督はドラフトで5人全員、投手を指名。再建への構想は既に出来上がっている。その“岡田構想”の一人として選ばれたのが左腕・阿南徹だ。大学時代はプロは遠い存在だったという阿南。社会人3年間でどんな成長を遂げたのか。

北海道日本ハム6位・荒張裕司「1軍に必要な心技体+“知”」

 2年目の急成長だった。NPBを目指し、大学を中退。四国・九州アイランドリーグの門を叩いた荒張裕司は2年目の2009シーズン、徳島インディゴソックスの正捕手として全試合に出場し、打率.301の好成績を残した。そしてリーグ選抜の一員として出場したフェニックス・リーグ、北海道日本ハム・梨田昌孝監督の目に留まる。「肩が強くていい」。好評価を受け、ドラフト指名を勝ち取った。1950年代に近鉄でプレーした大石雅昭さん(故人)を祖父に持つ20歳のルーキーに新天地での決意を訊いた。

北海道日本ハム2位・大塚豊「原点はリトルリーグ時代」

 1年春から先発の一角を担い続けてきた大塚豊。東京新大学野球リーグでは異彩を放ち、数々の栄光をつかんできた。その大塚が今年、全国の舞台でスカウトの度肝を抜く活躍を見せた。全日本大学野球選手権で3試合連続無四球完投勝利をやってのけたのだ。舞台が大きければ大きいほど燃えるという大塚。3種類のフォークボールを自在に操る右腕にプロへの意気込みを訊いた。

阪神育成2位・田上健一「苦難の末につかんだ栄光」

「心で勝て 次に技で勝て 故に練習は実戦 実戦は練習」――創価大学硬式野球部のグラウンド脇にある石碑の言葉だ。創価大野球部員は毎日この言葉を刻み込んでから練習に入る。昨秋から今春にかけて苦しい時期を過ごした田上健一は、自らの経験によって、この言葉の重みを知った。そしてそれが、プロへの道を切り開いたことを今、実感している。果たしてそこにはどんなドラマがあったのか――。

北海道日本ハム5位・増井浩俊「キャッチャー井川との出会い」

 社会人3年目、25歳で大きく開花した選手がいる。北海道日本ハム5位指名の増井浩俊だ。大渕隆スカウトディレクターも「今年は大きく成長した」とその活躍ぶりに目を細めた。その増井の成長の陰には、ある一人のキャッチャーとの出会いがあった。

広島3位・武内久士「将来はカープの守護神に!」

 創部13年目の徳島県立城東高校硬式野球部。今秋、早くもプロ野球選手が誕生した。第10期生の武内久士(法政大)だ。185センチ、95キロの恵まれた体格から投げ下ろされるストレートは最速154キロ。メジャーからも注目された剛腕は将来、広島の守護神を狙う。

巨人育成5位・神田直輝「準硬式出身、異色のルーキー」

 育成選手を含め、83名の指名が行なわれた今年のNPB新人選択会議(ドラフト)。その最後を締めくくったのが巨人に育成5位で指名された右腕・神田直輝だ。神田の経歴は一風かわっている。プロ野球選手には珍しい国立大学出身もさることながら、何と大学での所属は準硬式野球部。甲子園はもちろん、今年の全日本準硬式野球選手権大会ベスト8以外は実績は皆無に等しい。果たして神田直輝とはいったいどんなピッチャーなのか――。そこには異色の“野球人生”があった。

千葉ロッテ育成1位・山室公志郎「苦難の末につかんだ春初勝利」 〜ドラフト指名選手直撃インタビューVol.1〜

 1年前、誰が今の彼を想像できただろうか。山室公志郎は高校時代には「関東No.1右腕」と呼ばれ、甲子園にも出場した。しかし、大学入学後は思うような成績を挙げることができず、とうとう昨年はベンチ入りさえもすることができなかった。「こんなではダメだ」と野球部を辞めようと悩んだ時期もある。だが、それでも周囲に支えられながら続けてきた。そんな彼に一筋の光が差し込んだのは今年4月30日に挙げたリーグ戦初勝利。この1勝がプロ入りへのプロローグとなった。

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