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: 五輪はアテネ以来、2大会ぶりの出場となります。前回の北京大会に出られなかった時は、どんな思いでしたか? : テレビで競技を見ていましたが、「アテネに出たのは奇跡だったのかな」と感じましたね。出るべくして出られる実力が自分になかった。もう少しレベルアップしないと、五輪の代表選手としては戦えないんだなと痛感しましたね。
今や愛媛には欠かせない絶対的守護神である。 秋元陽太、24歳。横浜F・マリノスから今季、愛媛FCへやってきた。ここまですべての試合でゴールを守り続け、イヴィッツア・バルバリッチ監督からは「陽太が最後にいてくれることで、愛媛のゴールはより安全性が拡充する」と全幅の信頼を置かれている。
今季のNBAファイナルで、誰もが待ち望んだカードが実現した。 レブロン・ジェームス、ドウェイン・ウェイド、クリス・ボッシュという“ビッグ3”を擁するマイアミ・ヒートが、ケビン・デュラント、ラッセル・ウェスツブルックといった若き俊才たちに率いられたオクラホマシティ・サンダーと激突。実力、注目度の両方を兼ね備えた両チームの対決は、現在のNBAでは考えうる限り最高のマッチアップだと言ってよい。
「あの2年間は本当に大変でした……」 大山がそう振り返るのは、プロサッカー選手となった浦和での日々だ。大山がルーキーだった頃(2005年)の浦和は中盤に山田暢久、三都主アレサンドロ(現名古屋)、鈴木啓太、長谷部誠(現ヴォルフスブルク)、平川忠亮らそうそうたるメンバーが揃っていた。この年、天皇杯を制し、常勝軍団への階段を上がっていたクラブのなかで、大山は試合出場どころか、紅白戦にすらお呼びがかからなかった。 「もう主力の選手に圧倒されていました。練習についていくのですら精一杯の状態でしたね」
苦難を乗り越えての大舞台だ。ピストル射撃の小西ゆかりはこの夏、2大会ぶりの五輪に挑む。競技を始めてわずか4年で出場したアテネ大会から8年。結婚と離婚を経験し、就職先が決まらず、アルバイト生活もした。競技を続けることすら困難な状況ながら、それでも彼女は諦めなかった。「ロンドンでは自分らしい射撃をしたい」と語る小西に二宮清純がインタビューを行った。
クラブ一の“秀才プレーヤー”である。 昨年春、早稲田大学人間科学科eスクールを卒業した。愛媛FCに最初に在籍した07年に入学し、インターネット経由で講義を受講。小テストやレポートを提出して単位を取得した。実際に大学に通う必要はないが、サッカー選手と学問を両立し、4年で卒業するのは容易ではない。 「でも僕らの仕事は有効に使えば、結構、時間はあるんですよ。練習だって1日のうちの数時間ですから」 サラッと言い切るところに知的な香りが漂う。
世界ボクシング界を代表するスーパースター、マニー・パッキャオの次戦が6月9日に迫っている。保持するWBO世界ウェルター級王座、4度目の防衛戦。相手となるのは、WBO世界スーパーライト級王者ティモシー・ブラッドリー。デヴュー以来28連勝(12KO)で、いまが28歳と年齢的にも脂が乗り切った実力派黒人ファイターである。
クローザーとは誇り高き生き物である。“江夏の21球”で知られる1979年の広島対近鉄の日本シリーズ第7戦。4対3と1点リードで迎えた9回裏、広島の守護神・江夏豊は無死1、3塁の場面で心をかき乱される。「なにしとんかい!」。池谷公二郎がブルペンに走り、北別府学も続いたのだ。「オレを信用しとらんのか……」
: 昨年、東北は大震災に見舞われました。被災地の球団として今季こそという思いは強いと思います。3.11の時はどちらに? : 2軍でヤクルト戸田球場にいました。ベンチでデータをとっていたんですが、結構、揺れましたね。最初は、そんな大変なことになっているとは想像もしませんでした。テレビの映像を見て、本当に言葉を失いました。
: 大学3年からは、ようやく腰の痛みが癒え、八戸大の中心投手として活躍します。4年春にはなんとリーグ戦の防御率が0.00。秋の明治神宮大会の東北地区代表決定戦では東北福祉大を相手にノーヒットノーランを達成しました。 : これは自信になりました。ドラフト会議の4日までだったので、いいアピールになると感じましたし、何より勝って神宮大会出場が決まったことで、まだチームで野球が続けられることがうれしかったです。
ラスベガスにも野球チームがあると聴けば、驚く人は多いのではないか。 この名高いギャンブルタウンに本拠地を置くのは、トロント・ブルージェイズ傘下の3Aチーム、ラスベガス51s。ロスアンジェルス・ドジャース傘下だった時代には中村紀洋選手も101試合に出場したこのチームに、今季は五十嵐亮太が所属している。
今や世界の常識と言える「都市マラソン」。名だたる都市には必ずマラソン大会がある。ロンドン、ボストン、ニューヨーク(NY)、パリ、ベルリン……数えだしたらきりがない。それは国内でも同様で東京はもちろん、この数年で大阪、神戸、京都と増えてきた。まるで、マラソン開催が、文化的な都市としての証明であるかのようだ。まあ、ランナーとしては嬉しい限りだが。 一方、同じように世界的にも愛好者が多い自転車はそうもいかないようで、都会で大きな自転車イベントが開催されている例はあまりない。知る限りではヨハネスブルグの「Momentum 94.7 Cycle Challenge」とNYの「Five Boro Bike Tour」くらいだ。しかし、どちらも3万人という参加者を集めるビッグイベントで規模の大きさが半端ではない。ランナーでも3万人となると、コントロールが大変なのは東京マラソンを見た方ならお判りだろう。それを自転車でやるわけだから想像もつかない。そのNYの「Five Boro」に今年初参加をできることになり、自転車好きとしてはもちろんだが、イベント関係に携わる者として興味津々で走ってきた。
「ビーチテニスを愛する全ての人たちのために、期待と希望を背負ってこの場に来ました」 高橋は昨年に行われた「第1回マルハンワールドチャレンジャーズ」の最終オーディションの舞台で、こう力強く語った。高橋・中村ペアがこのイベントに参加した理由――それは資金難により、2011年ワールドチャンピオンシップ(WC)の出場を断念したからだ。彼女たちの代わりに出場権を得た日本のペアは、初戦で大会を去った。コートに立つことなく、結果を見ることしかできなかった高橋は「私たちが出場していれば、という思いはありましたね」と悔しそうな表情を浮かべた。その思いがスポンサー獲得活動に本腰を入れるきっかけとなった。
: 塩見投手は生まれが大阪ですが、愛媛の帝京第五高に進学した理由は? : 兄が、そこの野球部に入っていたことが一番大きな理由です。知り合いの紹介もあり、僕も行こうと思いました。
2年目のシーズン、さらなる飛躍を誓う男がいる。 東北楽天の塩見貴洋だ。ルーキーイヤーの昨季は、同期入団の斎藤佑樹(北海道日本ハム)を上回る9勝(9敗)をあげ、防御率2.85と好成績を残した。岩隈久志(マリナーズ)が抜けた今季は、エースの田中将大に次ぐ先発として期待され、初登板となった4月3日の福岡ソフトバンク戦ではプロ初完封をマークした。ここまでチームトップの3勝(3敗)をあげている。現状、田中が腰痛で離脱しているなか、チームの中心投手として投げ続ける若き左腕に二宮清純がインタビューした。
男女体操のロンドン五輪日本代表決定競技会となるNHK杯(代々木競技場第一体育館)は5日、最終日を迎え、男子の田中和仁(徳州会)、佑典(コナミ)兄弟と、女子の田中理恵(日体大研究員)が揃って選考基準を満たし、五輪代表に決まった。日本の体操で3兄妹で五輪に同時出場するのは史上初めて。既に男子で代表内定が出ていた内村航平(KONAMI)も含め、男女5人ずつがロンドンへの切符を手にした。
アメリカ・ネバダ州ラスベガスは、2012年最大規模となるであろうビッグファイトの到来に沸いている。 5月5日にMGMグランドガーデンで行なわれるWBA世界スーパーウェルター級タイトル戦で、5階級制覇王者フロイド・メイウェザーとプエルトリコの英雄ミゲール・コットが激突。近年の世界ボクシング界に君臨してきたリーディングボクサー2人の対戦は、今年度上半期のハイライトだと言ってよい。
浜辺で行われるスポーツといえばビーチバレー、ビーチサッカーが市民権を得ているといえるだろう。その中に、近い将来仲間入りするであろう競技が「ビーチテニス」だ。1994年にイタリアで産声を上げたビーチテニスが日本で普及し始めたのは2007年のこと。まだまだ歴史は浅く、大会などに参加する国内の競技者も男女合わせて約500人ほどだ。それでも、日本ビーチテニス界には、現時点で世界の頂に届きそうな存在がいる。高橋友美と中村有紀子。日本ビーチテニスツアーランキング3年連続1位の黄金ペアだ。
人生とは、大どんでん返しの連続である。前年の甲子園出場経験をもつメンバーが残り、春の大会では四国大会で準優勝した2学年上の先輩はその夏、まさかの初戦敗退。その翌年、「史上最強」と謳われた1学年上の先輩は自分たちのミスで3回戦敗退に終わった。ところが、「史上最弱」と言われ続けてきた田中勇次たちの代が甲子園への切符をつかみとったのである。 「自分たちに失うものは何もない」 田中たちにプレッシャーはなかった。あるのはただ、ようやくたどり着いた夢の舞台を楽しむことだけだった。
「史上最弱」――鳴門工業高校時代、田中勇次らの代が言われ続けてきた言葉だ。実際に新チーム発足後、勝つことの少なかった田中たちは、この言葉を素直に受け止めるしかなかった。しかし、決して腐ることはなかった。それどころか、彼らはより一層、練習に取り組んだ。そして、その努力が「史上最強」と謳われた先輩たちにも成し得なかった“奇跡”を起こしたのである。
MLBのアメリカ本土開幕から約2週間が過ぎ、ヤンキースの先発ローテーション投手たちが意外な苦戦を味わっている。 4月18日のツインズ戦を終えた時点で、先発投手の通算成績は4勝5敗、防御率5.77と無惨なもの。前評判が良かったヤンキースが、最初の12戦で6勝6敗と開幕ダッシュに失敗した最大の理由はここにあると言ってよい。
「とうとうやってしまったか」。私の最初の正直な感想はそんな感じだった。 約20年間向き合い上り詰めた。本当にここまで追求したのだと思うと、この男に対して素直に尊敬するしかない。 彼の名は田中正人。日本で最も経験豊富な数少ないプロのアドベンチャーレーサーである。 1993年からこのスポーツを始め、とうとう今年の2月にチリで開催された「PATAGONIAN EXPEDITION RACE」で2位に入るという快挙を成し遂げたのである。「世界と戦えるレーサーになる」と言い続けて苦節18年。本当に世界のトップレーサーの仲間入りを果たしたのだ。
: 伊藤選手がトランポリンを始めたきっかけは? : 兄が体操、姉がトランポリンと水泳をやっていた影響で、幼稚園の時に体操、水泳、トランポリンを始めました。そのなかで、トランポリンが一番おもしろかったので本格的に続けることになりました。
田中勇次は中学校を卒業すると、地元の神戸市を離れ、徳島県の鳴門工業高校へと進学した。前年、鳴門工は夏の甲子園に出場し、ベスト8進出を果たしていた。そんな同校に田中は徳島県内に敵はいないと思っていた。 「鳴門工に入りさえすれば、必ず甲子園に行ける!」 そう信じてやまなかった。だが、高校野球の世界はそう甘くはなかった。田中が思い描いていたものとはまるで違う、厳しい現実が待ち受けていた。
「野球の神様」は“突然”を好む。完全に主導権を握っていたかと思えば、“突然”試合の流れが変わることもあれば、それまで好投していたピッチャーが“突然”制球を乱し始め、打ち込まれることもある。そして、その“突然”は試合の中だけには限らない。選手の野球人生そのものをガラリと変えることもある。田中勇次の“突然”は大学2年の秋だった。単なる人数合わせで入った外野の守備をきっかけに、それまで一度も経験のなかった外野手としての才能を開花させたのだ。大学に入学して2年間、 “野球の神様”は一度も田中の方を振り向いてはくれなかった。しかし、決して腐ることなく努力し続けてきた彼に、“野球の神様”がようやく微笑み返してくれたのだ。そして、そのチャンスを田中は決して逃しはしなかった。