その他スポーツ

卓球・四元奈生美「人気アップにはユニホームの改革を!」 〜ニッポン放送「二宮清純のスポーツレジェンド」〜

 当HP編集長・二宮清純が出演するニッポン放送ラジオのレギュラー番組「ファンケルプレゼンツ 二宮清純のスポーツレジェンド」(月曜19:30〜)が現在、好評放送中です。この番組ではスポーツに情熱をかけているアスリートの方々をゲストにお招きし、インタビューを展開します。前回までの放送では、卓球界のジャンヌ・ダルク、四元奈生美選手が登場。ミニスカートやノースリーブなど、斬新なユニホームで常に観客の視線をとりこにする彼女に、コスチュームへのこだわり、卓球の魅力をたっぷりと語っていただきました。

藤本主税(大宮アルディージャ/徳島市立高校出身)第2回「キャプテンシーを学んだ国立での出来事」

 アビスパ福岡でプロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせた藤本はプロの世界で結果を残すのに3年の年月を要した。  特に2年目のシーズンは藤本にとって厳しいものだった。前年に最下位に終わった福岡は97シーズン、カルロス・オスカール・パチャメを監督として迎えた。藤本はこのアルゼンチン人指揮官との相性が悪く衝突してしまい、まるで干されたような状況におちいる。1年目は10試合に出場していたものの、翌年のリーグ戦出場はわずか1試合。それどころか練習中の紅白戦にも出場させてもらえない日々が続いたのだ。

藤本主税(大宮アルディージャ/徳島市立高校出身)第1回「大宮を熱くする“背番号11”」

 徳島の夏の風物詩といえば、400年以上の歴史を誇る『阿波踊り』だ。“躍る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々”。毎年8月中旬に行われる伝統の祭りでは10万人が踊り、140万人が見物する。 “阿波踊り”と聞いて、多くのサッカーファンはこの男を思い浮かべるに違いない。大宮アルディージャの藤本主税だ。ゴール後に阿波踊りパフォーマンスを披露し人気者になった藤本は、プロ15年目になった今季も第一線で活躍を続けている。12シーズン連続でゴールを決め、通算50ゴールにも到達する勢いだ。高校時代から全国の舞台で戦い、Jリーグでも走り続ける男は、現在、オレンジのユニフォームを身に纏い、左腕にはキャプテンマークを巻いている。尊敬してやまない選手と同じ“背番号11”を背負いピッチに君臨する藤本は、多くのサポーターに愛される絶対的な存在だ。

第179 回 バスケ米国代表“Bチーム”は頂点に立てるか

 4年前の前回は日本で開催されたバスケットボールの世界選手権が、今年はトルコを舞台に8月28日より開幕している。  今大会も注目はやはりNBA選手たちがロースターにずらりと揃ったアメリカ代表。2年前の北京五輪では見事に金メダルを勝ち取ったものの、この世界選手権に関しては、彼らはもう随分長く栄冠から見放されている。  バスケの本場・アメリカの代表が最後に優勝を飾ったのは、なんと16年前の1994年。この屈辱的な空白を打ち破るために、今大会にも必勝態勢で臨んでくると思われたのだが……。

森孝久(南アW杯日本代表チームドクター/愛媛県松山市)最終回「愛媛をアスリートサポートの拠点に!」

 松山空港から車で6分。空港から松山市内に伸びる大通りから少し入ったところに森が院長を務める「整形外科つばさクリニック」はある。まだ新しいクリニックの中には診察室や処置室のみならず、奥の部屋ではトレーニングマシンが所狭しと並んでいる。2階に上がると、ボールを投げたり、蹴ったりできるほどのスペースも用意されている。これだけを見れば、まるでどこかのスポーツクラブの練習施設のようだ。

第16回 “史上最強”日本女子、世界8強入りを目指す! 〜FIBA世界バスケットボール2010〜

 4年に1度のバスケットボールの祭典「FIBA世界バスケットボール2010」が28日に開幕する。各大陸の予選を勝ち上がった強豪国が一堂に会し、世界の頂点を目指す。9月23日からチェコで開催される女子の大会では、日本代表が初のベスト8進出を狙う。今や日本女子バスケ界の顔となったキャプテンPG大神雄子を筆頭に、圧倒的な運動量を誇るPG吉田亜沙美や191センチの長身CF渡嘉敷来夢といった史上最強メンバーが世界の強豪たちに挑む。

森孝久(南アW杯日本代表チームドクター/愛媛県松山市)第4回「縁でつながった日本代表への道」

「もうちょっと違う治療があるはず。絶対、治る方法があるんじゃないか」  右大腿直筋断裂で大好きなサッカーを続けられなくなった森には大きな疑問が生じていた。それは消えるどころか、ますます頭の中で膨らんでいく。 「自分で治せるようになりたい」  整形外科医という新たな夢が生まれたのはその時だ。高校卒業後、2年間の浪人生活を経て、地元の愛媛大学医学部へ。27歳で同付属病院の研修医としてドクターとしての第一歩を踏み出した。

第178回 ヤンキースは今年も“運命のチーム”なのか

 オールスターゲーム当日の7月13日、ヤンキースの名物オーナーとして君臨してきたジョージ・スタインブレナー氏が亡くなった。  そのため球宴は「ザ・ボス」との別れを惜しむ舞台に変貌。デレック・ジーター、アレックス・ロドリゲスらヤンキースの選手たちまでが、急きょスピーチの壇上に立つこととなった。  そしてその後、後半戦が始まっても、ニューヨークではさまざまな追悼イベントが続行。ヤンキースの選手たちは「GMS(ジョージ・M・スタインブレナー)」と書かれた喪章を胸に付け、残りシーズンの戦いに臨んでいる。

第107回 「ラフティング世界選手権優勝!」

「ラフティング」というスポーツをご存じだろうか? アウトドア好きな方なら見たことや体験したことがあるだろう。名前からして荒っぽい感じだが、ゴムボートで川を下り自然を全身で感じる事が出来るスポーツだ。このラフティングの世界でも日本人が頑張っており、先日オランダで開催された「2010ラフティング世界選手権」で初の世界チャンピオンに輝いた。

森孝久(南アW杯日本代表チームドクター/愛媛県松山市)第3回「絆創膏購入にパトカー出動!?」

 サッカー日本代表のベスト16入りは、最悪の状況をも想定したスタッフたちの“準備力”の勝利だった。と同時に、南アフリカでの充実したサポートも大きかったと森は振り返る。 「結論から言うと、ヨーロッパの遠征に非常に近い環境だったのではないでしょうか。水や食事では苦労しなかったんです。日本から帯同した2人のシェフやホテルスタッフが、安全な食料を調達してくれましたから。生野菜は毎食食べられましたし、お米にしても日本から持ってきた分が途中でなくなったのですが、現地で韓国米を見つけて使っていました。すごくおいしくて好評でしたよ」

森孝久(南アW杯日本代表チームドクター/愛媛県松山市)第2回「岡田ジャパン躍進、本当の理由」

 南アフリカにチームドクターとして帯同することが決まったのは今年の2月。しかし、W杯に向けた準備はそのずっと前から始まっていた。「チームドクターって、23人の代表メンバーが全員、いつでも試合に出られるようにコンディションを整えるのが大前提なんです。だからキックオフの前に仕事の大部分は終わっている。試合が始まってしまえば、こちらができることはケガ人の対応とか限られていますからね」

第177回 松井秀喜、最後の戦いへ

 メジャーリーグのトレード期限にあたる7月下旬、松井秀喜がヤンキースに復帰する可能性が(ほんの一瞬だけ)話題となった。  元ネタはESPNラジオのコメンテーターが、「DHの補強策としてアダム・ダン(ナショナルズ)を狙うくらいなら松井の方が適切なチョイスなのでは」と述べたもの。その後、「スポーツ・イラストレイテッド」の記者もTwitter上に「まだヤンキースが松井との交渉に臨んだ形跡はない」と記すなど、噂は一時的に少なからず拡大の兆しをみせた。  ただ結局、ヤンキースはランス・バークマン、オースティン・カーンズをトレードで獲得。常勝軍団の補強策はあっさりと終焉し、一部の人が依然期待する松井の帰還劇はひとときの「真夏の世の夢」に終わった。

森孝久(南アW杯日本代表チームドクター/愛媛県松山市)第1回「ロッカーで号泣した今野」

 あの南アフリカでの興奮から、早いものでもう1カ月が経つ。サムライブルーのユニホームに身をまとって戦った選手たちも、ある者は新天地に飛び、また、ある者は所属クラブに戻り、日々のリーグ戦に臨んでいる。非日常の世界から日常の世界に戻ったのは、プレーヤーばかりではない。松山市にある整形外科「つばさクリニック」の院長、森孝久もそのひとりだ。森は今大会の日本代表チームドクターとしてベスト16入りを陰で支えた。

宇高幸治(早稲田大学野球部/愛媛県今治市出身)最終回「最後の戦いに向けて」

「大学に入学してからは、本当にあっという間でした。もう、最後がきてしまったという感じです」  宇高幸治が甲子園で涙を流したあの夏から、早くも4年が経とうとしている。現在、早稲田大学硬式野球部に所属している彼は今年、最終学年を迎えた。1年の時には同大が33年ぶりに大学日本選手権を制し、日本一となった。だが、当時控えだった宇高が打席に立つことはなかった。その後、レギュラーの座を不動のものとしてからは、リーグ優勝こそあるものの、日本一には到達していない。今春はリーグ王座決定戦で慶応大に惜しくも敗れ、涙をのんだ。その雪辱を果たすチャンスは、もう1度きりしかない。

宇高幸治(早稲田大学野球部/愛媛県今治市出身)第3回「礎を築いた父の教え」

 宇高幸治が野球を始めたきっかけは3つ上の兄の影響だった。地元の小学校で軟式野球チームに入った兄の後をいつも追いかけていたという。当時、宇高はまだ4歳。父親いわく「わんぱくな子どもだった」。野球の何が面白かったのかは、正直言ってわからなかった。しかし、小学生が練習しているグラウンドで、飽きずにボールを追いかけていた。そして、いつしか自然と野球にのめりこんでいった。

第176回 レブロンの「決断」によって失われたもの

 全世界の注目を集めた「レブロンの夏」は、衝撃的なエンディングを迎えた。  7月8日、ESPNにて1時間枠で生中継された「The Decision(決断)」というショーの中で、レブロン・ジェームスはマイアミ・ヒートへの移籍を発表。  今オフにFAとなった「キング・ジェームス」の争奪戦は、誰も予想だにしなかった形でここに決着した。ドウェイン・ウェイド(ヒートに残留)、クリス・ボッシュ(ラプターズよりFA)と併せ、史上空前の「スリーキングス」がマイアミの地に降り立つことになったのである。

第106回「ツール・ド・フランスの夏」

 世界でもっとも大きなスポーツイベントは? 答えは先日まで大熱戦が繰り返されたサッカーワールドカップ。サッカーを普段見ないような人まで、ついつい試合を見てしまうほど不思議な魅力がある。約1カ月間、世界中の人々が酔いしれた。しかし、この祭典は4年に1度。毎年開催されるイベントの中で最大なのは、何といってもサイクルロードレースの頂点であるツール・ド・フランスだ。まだまだ日本ではメジャースポーツではないサイクルロードレースだが、ヨーロッパではサッカー、モータースポーツに続く人気競技。ツール期間中、毎日10億人が現場やTVでレースに釘付けとなる。

宇高幸治(早稲田大学野球部/愛媛県今治市出身)第2回「人生を変えた三振振り逃げ」

 宇高幸治が初めて甲子園に行ったのは小学生の時だ。両親と3つ上の兄と4人での家族旅行。幼いながらも、自分よりもはるかに背の高い球児たちを見る目は真剣そのものだったと、父親は語る。 「小さい頃から幸治は試合をじっと観ている子でしたね。普通だったら飽きて、他の遊びをするでしょう。でも、幸治は友達にちょっかいを出されても、観るのをやめようとしなかった。甲子園でも、食い入るように観ていましたよ。根っからの野球小僧なんですよ」  いつしか時は流れ、宇高自身が高校球児となり、甲子園を目指した。しかし、追いかけても追いかけても、なかなか手が届かない憧れの舞台。そして2006年夏、いよいよ甲子園への切符をかけたラストチャンスを迎えた。

宇高幸治(早稲田大学野球部/愛媛県今治市出身)第1回「険しい甲子園への道のり」

 7月。いよいよ夏本番の季節だ。今年も甲子園を目指して球児たちの熱戦が繰り広げられる。  4年前、宇高幸治もまた高校野球の聖地を目指し、白球を追い続けていた。愛媛県立今治西高校。同校野球部OBで、甲子園に出場したことのある父親を追い越したいと入学したものの、3年春まで一度もたどり着くことができなかった。 「遠いなぁ……」。宇高は改めて甲子園への道のりの厳しさを痛感していた。

第175回 進化を続けるアメリカサッカー

 もうアメリカを、「サッカー不毛の地」などと呼ぶべきではないのだろう。  今回の南アフリカW杯に際し、アメリカ国内の盛り上がりは実際にかなり凄いものがあった。特にアメリカ代表のゲーム中は、ニューヨーク市内の多くのスポーツバーが超満員。MLBのヤンキースやメッツ戦の現場などでも、記者や選手が自身の仕事をそっちのけ(?)でサッカーの結果ばかりを気にしていたほど。

中北浩仁(アイススレッジホッケー日本代表監督/香川県高松市出身)最終回「ドリームズ・カム・トゥルー」

 日本代表が史上最多の11個のメダルを獲得したバンクーバーパラリンピックから3カ月が経とうとしている。アイススレッジホッケー日本代表を銀メダルへと導いた中北浩仁は早くも4年後のソチ大会へと頭を切り換えている。無論、目指すは金メダル、世界の頂点だ。そして、彼にはもう一つの夢がある。それはアイススレッジホッケーを名実ともに日本を代表する競技にすることだ。

中北浩仁(アイススレッジホッケー日本代表監督/香川県高松市出身)第3回「アイスホッケーとの出合いと別れ」

「カナダは自分を裏切らない」  バンクーバーパラリンピックで日本を初の銀メダルに導いた中北浩仁にとって、カナダは縁の深い国だ。初めて訪れたのは中学1年の夏。夏季休暇を利用してアイスホッケースクールに通い、カナダという国に魅了された。それから毎年夏になると同国へ渡った。そして高校はカナダの強豪校ノートルダム高校へ進学。約3年半、厳しい競争の中、技を磨いた。そんな彼のアイスホッケーのルーツとなったカナダで開催されたパラリンピック。 そこで輝かしい成績を残したことに中北は運命めいたものを感じている。

第174回 故障者続出、松井不振でも沈まないエンジェルス

 夏場が近づいても、松井秀喜がなかなか全開といかない。  6月中旬のドジャース3連戦では計8打数4安打5打点と大爆発。これで一気に波に乗るかと思いきや、続くブルワーズとのシリーズでは3試合でわずか1安打のみ。この時点で打率.は261まで落ち込んだ。メジャー通算150本塁打まであと1本と迫りながら、もう10試合も足踏みを続けている。  特に内容の悪い打撃に終始(4打数0安打)した6月16日のブルワーズ戦後には、松井本人も「うーん、打ち損じが多かったかな」と渋い顔だった。

第105回「ニューヨークの懐」

 ニューヨーク(NY)には無数に参加型スポーツイベントがあるのだが、その内容や大きさは様々。参加者4万人を超えるNYマラソンは世界最大規模だし、「Five Boro Bike Tour」という自転車イベントも3万人を超える。近年では「NY Triathlon」がすごい人気で、約3000人の枠が5時間でいっぱいになるとか。またエンパイア・ステート・ビルを駆けのぼるようなちょっと変わった大会もある。その中で参加者100人にも満たないのに、やたらとスケールの大きなイベントが「Manhattan Island Marathon swim」。そう、あのマンハッタン島を泳いで1周しようというものだ。

中北浩仁(アイススレッジホッケー日本代表監督/香川県高松市出身)第2回「1000分の1の勝利」

「カナダとは1000回戦っても、おそらく999回は負けるだろう。勝率は1000分の1。明日こそ、その1試合にしようや。相手の本拠地で、しかもメダルをかけた最高の舞台で彼らをノックオフして、オレたちがメダルをとるんだ!」  この言葉に目の前の選手たちの表情がみるみると変わっていくのが、中北浩仁にはわかった。 「よし、明日の試合だけは絶対に勝ってやろう!」  日本のアイスホッケー界にとって、史上初となるメダルをかけた決戦を明日に控え、アイススレッジホッケー日本代表は一つになっていた。

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