その他スポーツ

村上幸史(陸上やり投げ/愛媛県今治市出身)第1回「ビッグスローへの期待」

 今夏の大阪選手権の代表選考を兼ねた今年6月29日、陸上の日本選手権初日に行われた男子やり投げ決勝で、02年釜山、06年ドーハと、アジア大会で2大会連続銀メダルを獲得している陸上やり投げの第一人者・村上幸史(スズキ)は、5投目に79メートル85を投げ、8年連続8回目の優勝を果たした。世界選手権の参加記録A標準(81メートル00)突破はならなかったものの、05年ヘルシンキ大会に続く世界選手権代表に名を連ねた。

大木勉(愛媛FC/愛媛県松山市出身)最終回「最高だった久保とのコンビ」

「あいつは理想とするFWですよ。高さもスピードもあって、足元もうまい。一緒にやれたことは大きかった」 01年6月、劇的な延長Vゴールで契約延長を勝ち取った大木は吹っ切れたように直後のJ1セカンド・ステージで活躍をみせる。コンビを組んだのが当時の日本代表FW・久保竜彦(現・横浜FC)だった。大木と久保は同期生。ピッチ上でともにプレーすればするほど、大木は久保のほとばしるような才能を感じていた。

大木勉(愛媛FC/愛媛県松山市出身)第3回「人生を変えた延長Vゴール」

 大木がこれまで数多くあげた得点の中でもっとも印象に残っているゴール。それはサッカー人生の危機に直面した時期に決めたゴールだ。2001年6月20日、ナビスコ杯2回戦対FC東京戦。サンフレッチェとの契約期間は残りわずかとなっていた。

第97回 ヤンキースの好調は「我慢」の産物

 夏場に差し掛かり、ヤンキースが猛然とした勢いで勝ち始めている。  今季は開幕から不調で、一時は首位に14ゲーム、ワイルドカードにも8、5ゲーム差も付けられた。しかしオールスター以降は破竹の勢いで、なんと24勝9敗(8月14日まで)。このままいけば、ワイルドカード奪取のみならず、首位レッドソックスを抑えて地区優勝を飾っても、もう誰も驚かないだろう。

第71回 「ロンドンの暑い夏」

 日本では、暑い夏を迎えていた8月。ロンドンでも長い雨を抜けてようやく太陽が毎日顔を見せるようになった。6月下旬からなんと6週間にもわたって雨、雨、雨……。いくら悪天候に慣れているブリティッシュだって嫌になる。で、やっと好天が戻ってきた8月第1週の週末に「The Michelob ultra London Triathlon」が開催された。この大会、なんとロンドン市内で開催され、1万2千人もの参加者を集める。我々が考えているトライアスロンとは随分違うようだ。

大木勉(愛媛FC/愛媛県松山市出身)第2回「南宇和、黄金の2トップ」

「武南との準々決勝、0−1と負けている大事な場面で交代させられたことが悔しかったですね」  大木が高校時代を振り返る時、もっとも思い出す試合は3年生のラストゲームではない。93年1月6日、全国高校サッカー選手権大会準々決勝。愛媛県代表・南宇和高校はベスト4をかけて埼玉県代表・武南高校と激突した。

第96回 NBAがレフェリーの八百長事件で激震

 NBAが未曾有のスキャンダルに揺れている。  7月下旬、このリーグで過去13年間レフェリーを務めて来たティム・ドナヒューがスポーツ賭博に身を染めていたとNY地元紙が報道。しかもこの2年間は自らが裁いた試合にも金を賭け、得点操作を行なっていた。さらにドナヒューは、リーグ内の機密情報まで賭博組織に漏らしていたという。  つまり、過去2年間のNBAの歴史は、1人の悪漢審判によって多少なりとも書き換えられていた可能性が高いのだ。

田中幸長(早稲田大学野球部/愛媛県伊予市出身)第3回「ケガに悩まされ続けた“エースで4番”」

 田中幸長が野球を始めたのは、4、5歳の頃だった。3つ上の兄がリトルリーグに入って野球をやっているのを見て影響されたのか、物心ついたときには兄の真似をしてバットを振っていたという。 「両親は、特に野球が好きだったわけではなかったのですが、おじいちゃんの部屋でよく甲子園を一緒に観ていた記憶があります。甲子園での高校球児や兄を見て憧れたんでしょうね。早く自分もリトルリーグに入ってやりたくて仕方ありませんでした」

第95回 ガッティ時代に終焉

 7月14日、アトランティックシティに1万人近い観衆を集めて行なわれた再起戦で、アーツロ・ガッティは痛烈なKO負けを喫した。  これで2試合連続、ここ4試合でも3度目のKO負け。ドラマチックなファイトでアメリカのボクシングファンを楽しませ続けてくれたガッティだが、すでに多くのものを失ってしまったと見るべきか。  動きにキレがなくなった。心は折れなくても足が動かなくなった。自慢だったパンチ力と馬力も減退したように見える。もう、潮時である。 「次はファンの1人としてこの場所に戻って来たい」 試合直後、ガッティはそう声明を発表。あしかけ16年のボクシングキャリアの終焉、現役引退を表明した。

第70回 「世界最大のスポーツイベント!」

「毎年開催されているスポーツイベントの中で、最大規模のものはなにか?」 日本人でこの質問に正確に答えられる人は少ないかもしれない。サッカー? 野球? いやいや答えは「ツール・ド・フランス」。そう、毎年7月に3週間かけてフランスを一周する自転車レースだ。

田中幸長(早稲田大学野球部/愛媛県伊予市出身)第2回「4番の重責」

「オレ、早稲田で野球やるわ」  2003年7月28日、地方大会決勝で宇和島東は今治西に敗れ、田中幸長の夏が終わった。結局、一度も甲子園の土を踏むことはできなかった。  そんなある日、母親に進路について聞かれた。何のためらいもなく自然と田中の口から出てきたのが先の言葉だった。

第94回 ヤンキースに必要なのはイチローのような選手

 オールスターブレイクが近づいても、ヤンキースの不振は続いている。  7月4日の時点で39勝42敗、首位レッドソックスまで12ゲーム差。投手が良いときは打つ方が貢献できず、打線が点を取ったときは投手がそれを守りきれない。攻守がまったく噛み合わず、ここ10年以上も経験がないような悲惨な状況に陥ってしまっている。  10年連続の地区優勝はおろか、ワイルドカードでのプレーオフ進出にすら絶望感が漂い始めている今日この頃だ。

田中幸長(早稲田大学野球部/愛媛県伊予市出身)第1回「強打者への目覚め」

「早稲田、33年ぶり日本一!」  2007年6月17日、東京・明治神宮球場で行なわれた全日本大学野球選手権大会決勝、早稲田大学が東海大学を4−1で下し、全国制覇を果たした。  9回裏、2死。最後の打者のバットが空を斬った瞬間、早稲田の選手たちが満面の笑みをこぼしながらマウンドへと駆け寄る。誰彼となく抱き合って喜ぶ選手たち。その大きな円の中央には背番号「10」の姿もあった。  早稲田大学野球部97代目主将、田中幸長だ。

前田真宏(北信越BCリーグ・新潟アルビレックスBC/愛媛県西予市出身)最終回「背番号21に込められた思い」

「残念だけど、辞めてもらうことになった」  2006年11月、前田真宏は2年間所属した四国アイランドリーグ・愛媛マンダリンパイレーツから解雇を言い渡された。入団1年目の05年は先発として20試合に登板したが、06年は(先発は)わずか6試合。成績だけを見れば、解雇も考えられなくはなかった。だが、前田自身はピッチャーとして自分の成長を感じていた。それだけに、納得することはできなかった。解雇の理由を聞くと「人間性がまだ甘い」と言われた。その言葉を聞いた瞬間、前田は愛媛への未練を断った。

第69回 「フラはスポーツ!?」 

 ダンスは動きが激しく、スポーツに通じるものがある。その固有感覚や、身体のメンテナンスなど、ダンサーと話をしていても共有できるものが多い。ところが、フラダンスはどうだろう。あのスローで優雅なアクションを見ているとアクティブとは言いにくい感がある。ところが、最近は力強く斬新なフラがあり、アメリカ本土で話題を呼んでいるのだとか。そんなハラウ(ハワイ語で教室の意味)が日本にやってくると聞いて、持ち前の好奇心がむくむくと…日本公演に確認しに行った。

前田真宏(北信越BCリーグ・新潟アルビレックスBC/愛媛県西予市出身)第3回「永遠のライバルと交わした約束」

 中学の総体で県大会ベスト4となり、その立役者となった前田真宏の元には、愛媛県内外のいくつもの高校から誘いの声が掛けられた。実際に02年の選手権大会で初の全国制覇を成し遂げた高知・明徳義塾高や、熊本・有明高、愛媛・帝京第五高などの練習や試合を見に行ったりもした。どの高校もナイター設備や室内練習場が完備され、まさに野球をやる上では理想的な環境が用意されていた。

第93回 メイウェザー対コット戦への期待 〜ボクシング2大タイトル戦を終えて〜

 この1カ月強の間に、世界ボクシング界にとって重要な意味を持つ2つのタイトルマッチが行なわれた。  まずは5月5日、ここ10年間で最大規模の興行となったWBAジュニアミドル級タイトル戦、フロイド・メイウェザー対オスカー・デラホーヤがラスベガスで華々しく挙行された。そして先週末の6月9日には、WBAウェルター級タイトル戦、ミゲル・コット対ザブ・ジュダーが、マジソンスクウェア・ガーデンを大いに湧かせた。

前田真宏(北信越BCリーグ・新潟アルビレックスBC/愛媛県西予市出身)第2回「エースの自覚――“このマウンドは譲れない!”」

 前田真宏の家族は全員、大の巨人ファン。両親はもちろん、今は亡き祖父母も夕食時にはプロ野球のテレビ中継を観るのを日課としていた。母方の祖父などは、巨人が負けるとふさぎ込んでしまうほど熱烈なファンだったという。

前田真宏(北信越BCリーグ・新潟アルビレックスBC/愛媛県西予市出身)第1回「“神様が拾ってくれた”野球人生」

 2007年4月28日、四国アイランドリーグに続く国内2番目に誕生したプロ野球独立リーグ、北信越ベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)が開幕した。現在、新潟アルビレックスBC、信濃グランセローズ(長野)、富山サンダーバーズ、石川ミリオンスターズの4球団が初代チャンピオンを目指して、各地で熱い戦いが繰り広げられている。

第92回 ボンズの本塁打記録をどう捉えるべきか

 MLB通算本塁打記録更新に目前まで迫ったバリー・ボンズが、5月の最終週にニューヨークを訪れた。  ある程度予想されていたことではあったのだが、このメッツ3連戦でのニューヨーカーのボンズに対する反応は極めてネガティブなものだった。「まるでコンサートみたいだね」とボンズ本人も30日に語った通り、打席に立っても、守備についても、轟音のようなブーイングがその周囲を絶えず飛び交ったのだ。

中井りん(総合格闘家/愛媛県松山市出身)最終回「小さな通過点」

 プロ2戦目の舞台となったのは、女子格闘技の草分けと言われる『SMACK GIRL』のリングだった。  5月19日、東京・歌舞伎町の新宿FACEにて開催された『SMACK GIRL2007〜最強はUSAだと女王は言った〜』。メインは高橋洋子(巴組)×アリシア・ミーナ(米国)の第3代スマックガール無差別級女王決定戦。このイベントで、中井は第3試合に登場、真武和恵(和術慧舟會東京本部)と対戦した。

中井りん(総合格闘家/愛媛県松山市出身)第3回「19歳の決意」

 自分の思いつくまま公共施設などでトレーニングをしながら、アマチュアの格闘技の試合に出ていた中井が、現在、指導を受ける宇佐美文雄コーチと出会ったのは、昨年の夏だった。  宇佐美は、かつてアマチュアレスリング選手として活躍、その後はプロ総合格闘家として「WILD宇佐美」のリングネームで、プロ修斗のリングなどで戦ってきた。

第91回 ヤンキースの前途が多難な3つの理由

 ヤンキースが不振に喘いでいる。  4月を終えた時点でアリーグ東地区の最下位に沈んだチームは、5月に入ってもなかなか浮上のきっかけを見出せない。首位を快走する宿敵レッドソックスにはすでに8.0ゲーム差(5月15日現在)。早くも地区10連覇に黄信号が灯り、地元ニューヨークにも危機感が漂っている。  もっともヤンキースは2年前にも、11勝19敗のスタートから逆転で地区優勝を飾ったことがあった。そんな実績を背景に楽観論を唱える向きも多い。だが今季の場合には具体的な中身を見ていっても、彼らの前途はかなり多難に思えてくる。今回はその不振の要因、さらに先行きが暗いと思える理由を3つピックアップして見ていきたい。

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