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【優勝争いの行方は?】 ロックアウトのおかげで例年より遅れてスタートしたNBAのレギュラーシーズンも残り1カ月を切り、勢力地図は少しずつ明確になり始めている。 優勝候補と目されているのは、イースタンカンファレンス首位のシカゴ・ブルズ(43勝13敗)、2位のマイアミ・ヒート(39勝14敗)、ウェスタンカンファレンス首位のオクラホマシティ・サンダー(40勝14敗)の3チーム。今季のNBA王者は、総合力で他を引き離すこの3強の中から出ると考える関係者が圧倒的に多い。
空中を高く舞い、華麗な技を次々と披露するトランポリン。日本には現在、この競技の有力なメダリスト候補がいる。昨年11月の世界選手権で銅メダルを獲得した伊藤正樹だ。世界トップクラスの高さを武器に、ロンドンではばたこうとしている23歳に、二宮清純が特別インタビューを試みた。 ※このコーナーは、2011年10月に開催された、世界レベルの実力を持ちながら資金難のために競技の継続が難しいマイナースポーツのアスリートを支援する企画『マルハンワールドチャレンジャーズ』の最終オーディションに出場した選手のその後の活躍を紹介するものです。
「背番号10」――六大学野球リーグに所属する全6校に共通した主将の証である。六大学の一つ、明治大学野球部と言えば、昭和の時代に黄金期を築き上げた故・島岡吉郎の“精神野球”で知られる大学球界屈指の名門である。杉下茂、星野仙一(現・東北楽天監督)、高田繁(現・横浜DeNAゼネラルマネジャー)、広沢克己、川上憲伸(現・中日)、そして昨秋ドラフトの目玉として注目された野村祐輔(現・広島)など、これまで数多くのプロ野球選手を輩出してきた。そして、チームの“顔”である歴代の主将には、星野、高田、川上など名だたる人物の名前がズラリと並ぶ。今年、その「背番号10」を継承したのが田中勇次だ。しかし1年前の田中には、自分が主将に任命されるなどとは、全く予想だにしていなかった。
2011年4月、柳川大樹はリコーブラックラムズの一員としてスタートを切った。スピードや敏捷性の部分は、社会人に入っても通用した。しかし、ことコンタクト勝負になると、簡単に跳ね飛ばされる日々が続いた。特に、同僚の外国人選手との競り合いでは、全く歯がたたない。「単純にフィジカルが強いということもあるのですが、長いリーチを生かして相手を懐に入れさせない巧さも備えているんです」。柳川は、トップリーグのレベルの高さを実感していた。そんな5月、柳川に思いもよらぬ知らせが届く。7人制ラグビー(セブンズ)の日本代表セレクション合宿への参加要請を受けたのだ。
トライアスロン女子でロンドン五輪の日本人選手の出場枠は現状3枠。そのうちひとつは既に上田藍(シャクリー・グリーンタワー・稲毛インター)が内定している。残る2枠は4月から5月にかけて行われるITU(国際トライアスロン連合)ワールドトライアスロンシリーズの3大会のレース内容などを踏まえて決定する。原則として3位以内に入れば、その時点でロンドン行きの切符が得られる。
高校ラグビーの3大大会と言えば、全国高等学校選抜ラグビーフットボール大会(春の熊谷)、全国高等学校ラグビーフットボール大会(冬の花園)、そして国民体育大会だ。国体に出場するオール徳島(徳島県高校選抜)に選ばれるためには、所属高校の監督の推薦を受け、選考会に参加する必要がある。柳川大樹は2年間で大きな成長を遂げ、3年時にはチームに欠かせない存在となっていたが、監督の川真田洋司は彼を選考会に推薦しなかった。ただ、それは選抜メンバーとしての実力がないからではなかった。川真田にはある考えがあった。
元日本スーパーウェルター級王者で、現在もOPBF東洋太平洋同級王者を保持するチャーリー太田(八王子中屋)のアメリカ凱旋試合が間近に迫っている。 今週末の3月17日。チャーリーは生まれ故郷であるニューヨークのマディソンスクウェア・ガーデンでキャリア初の試合を行なう。
2月末、私は「東京マラソンEXPO」でのトークショーを前に少々緊張していた。マラソンや自転車界では多くの方とこのような舞台に立ってきたのだから、それほど緊張することはないのだが、今回はちょっと勝手が違ったのだ。この日のお相手は福士加代子選手。彼女にとっては、失速して9位に終わった1月の大阪国際女子マラソン以来、初めての公の場なのだ。どのくらいのトーンで、どの程度の話までしていいのか……。しかし、控室に入ってきた彼女は予想以上に明るい声で「あっ、なんでもOKっすよ。だって隠すことないもん!」とあっけらかん。いつもの福士選手が戻っているのに拍子抜けした。
柳川大樹が生まれ育った徳島県は、元ラグビー日本代表主将の林敏之を輩出している。しかし、全国的な強豪校や実業団クラブがあるわけではなく、決してラグビーが盛んな土地とは言えない。柳川もラグビーを始めたのは高校からであり、中学まではバスケットボール部で活動していた。そんな中、柳川は中学3年の時のバスケの試合会場で運命の出会いを果たす。「今も頭が上がりません」と語る徳島県立城東高校ラグビー部監督の川真田洋司だ。
※このコーナーは、2011年10月に開催された、世界レベルの実力を持ちながら資金難のために競技の継続が難しいマイナースポーツのアスリートを支援する企画『マルハンワールドチャレンジャーズ』の最終オーディションに出場した選手のその後の活躍を紹介するものです。
7年後の2019年、日本で初めてラグビーW杯が開催される。この4月から日本代表は、ヘッドコーチに名将エディー・ジョーンズを迎え、3年後のイングランドW杯、そして19年へ向けた代表強化に着手する。 そんな代表の桜のジャージを、将来身にまとうであろう若者がいる。柳川大樹、22歳。ラグビートップリーグに所属するリコーブラックラムズに11年から加入したルーキーだ。大阪体育大時代にU-20日本代表候補に選ばれたことはあるものの、全国的な知名度は決して高くない。そんな“無名のルーキー”が、シーズンが開幕する1週間前、開幕スタメンでの起用を伝えられたのだ。
ヤンキースが2009年以来の王座奪回に向けて準備を進めている。 オフに黒田博樹、マイケル・ピネダを獲得し、課題だった先発投手陣の補強に成功。ホルヘ・ポサダこそ引退したものの、打線も依然として力強さを保っている。過去2年はワールドシリーズ進出を逃したが、今季のチーム力はペーパー上は近年最高。レンジャーズ、エンジェルス、タイガース、レイズらと並び、アメリカン・リーグの優勝候補の筆頭の1つに挙げられてしかるべきだろう。 それではヤンキースが開幕後も前評判通りに勝ち進むために、必要なものは何なのか。今回は今季のチームの注目点となりそうな4つのポイントをピックアップして見ていきたい。
今回、ともに五輪に初出場する黒須成美は「1年半で五輪に出られるくらいになって、すごくセンスを感じる」と山中の急成長ぶりに驚きを隠さない。黒須は中学2年から競技を本格的に始めたが、五輪の切符を得るには6年を要した。「強い選手がいたほうが私も刺激になって頑張れる」と“ライバル”の出現は歓迎だ。
自衛隊で陸上を続ける気持ちはなかったが、国体2位の実績もあり、山中は自衛隊体育学校の試験を受けることになる。ところが、陸上部は女子の採用がなかった。 「近代五種をやってみないか」 そう声をかけたのが才藤だった。この一言が運命を変えた。
現役2大ボクサーによる最強決戦はやはり行われない運命なのだろうか。 元恋人に暴行した罪で1月6日から収監される予定だったフロイド・メイウェザーだったが、その収監日当日に刑執行の延期が決定。5月5日に予定される次戦の挙行が可能になった時点では、誰もが熱望するマニー・パッキャオとの一戦が実現に向かうかと思われた。
「シクロクロス」。この名前を聞いてもすぐにイメージできる人は僅かだろう。ツールドフランスに代表されるサイクルロードレース、山の中など不整地を走り回るマウンテンバイク(MTB)。この2つを掛け合わせたサイクルスポーツがシクロクロスということになる。ロードのスピード感とMTBの技術や走破性が必要なスポーツで、国内でも30年以上の歴史を誇る。しかし競技人口は極端に少なく数千人。ロードの100万人超、MTBの数十万人という単位からみるとかなり少ない。まだまだ国内では相当なマイナー競技なのだ。そのシクロクロスが、なんと東京有数の観光地であるお台場のビーチにやって来た!
小さい頃は五輪に出るのが夢だった。10歳の時にテレビで見た2000年のシドニー五輪。女子マラソンで金メダルを獲った高橋尚子に憧れた。 「五輪に出る」 小学校時代につくったタイムカプセルには大きな夢を詰め込んだ。
誰もが予想していなかった五輪切符だった。 昨年5月に中国・成都で開催された近代五種のアジア・オセアニア選手権。アジアで5枠の出場権を争う五輪予選を兼ねているとはいえ、競技を始めて1年半の山中詩乃にとって、五輪は夢のまた夢のように思われた。指導する才藤浩監督も「どのくらいできるか分からない。次のリオデジャネイロ五輪目指して経験を積んでくれれば」と多くは期待していなかった。
第46回スーパーボウルは、2008年の第42回と同じマッチアップとなった。 近年はAFCを代表する強豪であり続けてきたニューイングランド・ペイトリオッツと、通算4度目の頂点を目指すNFCの雄・ニューヨーク・ジャイアンツが5日に激突する。ペイトリオッツが第1シードから順調に勝ち抜いてきたのに対し、ジャイアンツはワイルドカードながら快進撃。両チームのここまでの勝ち上がりの過程も4年前に酷似している。
2006年夏の甲子園決勝、再試合にまでもつれ込んだ早稲田実業高と駒大苫小牧高との熱闘は今も記憶に新しい。その試合を澤良木喬之は自宅のテレビで観ていた。早実のエース斎藤佑樹(北海道日本ハム)とはその年、夏の予選前に練習試合で対戦し、澤良木は斎藤からホームランを放っている。その時はまさか、全国制覇をするようなピッチャーだとは思っていなかったという。そして自分自身についてもまた、県大会準決勝で敗退するなどとは考えていなかっただろう。まさか、あの“一球”に泣かされるなどとは想像だにしていなかった――。
6日後の1月31日は“東洋の巨人”としてマット界に君臨したジャイアント馬場(本名・馬場正平)さんの13回目の命日だ。もし馬場さんが生きていたらおとといで74歳になっていた。
春のセンバツで初出場初優勝、夏も初出場ながら決勝進出を果たした2004年は、まさに“済美イヤー”となった。無名だった同校の名が、瞬く間に全国のお茶の間に広がったことは想像に難くない。その年の秋、注目校となった同校の4番を任されたのが澤良木喬之だ。そのパワーは、1年時から澤良木と2人、レギュラー組に入っていた長谷川雄一(ヤマハ)、さらには最大のライバルだった今治西高の宇高幸治(日本生命)もが驚くほどのものだった。
これまで意外なほど静かなオフシーズンを過ごしてきたヤンキースが1月13日、ついに動いた。 この日、まずはヘスス・モンテロとヘクター・ノエシを放出し、マリナーズで昨季9勝を挙げたマイケル・ピネダと若手ホープのホセ・カンポスを獲得するトレードを電撃的に発表。その話題で米球界が騒然としている最中に、さらにドジャースからFAとなった黒田博樹と年俸1000万ドルの1年契約で合意したことも明らかになった。
すっかり日本のお正月の風物詩になった「駅伝」。元日は全日本実業団対抗駅伝を見て、2、3日に箱根駅伝を見たら正月も終わったなぁと、実感するパターンが続いているというのは僕だけではないだろう。中でも箱根駅伝の注目度は特別で、毎年驚くべき視聴率。2日の往路が27.9%、3日の復路が28.5%と、多チャンネル時代において他局が羨む数字で、もちろんお正月番組の中では断トツのトップである。日本テレビの入念な取材もあり、ついつい引き込まれてしまうという人も多いのではないだろうか。
高知県の西部を流れる四万十川は、日本三大清流の一つで、全長約200キロメートルの雄大さと、自然豊かな美しい景観を誇る。澤良木喬之の父親・宏之は、その四万十川の近くで生まれ育った。澤良木が小学生の頃、年末年始は父親の実家で過ごした。そして、四万十川の河川敷にある広大な原っぱで、キャッチボールやサッカーなどを、父と2つ年上の兄とするのが年明けの恒例行事となっていた。それが澤良木の野球人生の原点である。