第3回 山口義彦(グリーンキーパー)<前編>「知られざるピッチづくりの苦闘」

 あれからもう10年の月日が流れた。アジア初のサッカーW杯、日韓大会である。日本サッカー界にとって歴史的1ページを刻んだ大会、そのフィナーレを飾った決勝の舞台に選ばれたのが日産スタジアム(横浜国際競技場)だ。収容人数7万2327人という規模のみならず、Jリーグ「ベストピッチ賞」4度受賞のグラウンドの美しさ、コンディションは国内随一といっても過言ではなく、FIFAや海外選手からも称賛の声が多く聞かれる。だが、ここまでに至るには大変な苦労を要した。そこにはグリーンキーパーの陰の努力、そして芝生を守るための闘いの日々があった。

第2回 坂田清治(フィギュアスケート研磨職人)<後編>「キム・ヨナの躍進支えた確かな技術」

 2010年バンクーバー五輪フィギュアスケート女子。最大のライバルだった浅田真央を退け、歴代最高の総合得点で金メダルに輝いたのがキム・ヨナ(韓国)だ。来年に開催されるソチ五輪でも、金メダル候補に挙がっている。彼女が一躍世界のトップスケーターとして世界にその名が知られるようになったのは、2006年12月、ロシアで行なわれたグランプリファイナルだろう。ショートプログラムで3位だった彼女は、フリーで浅田、安藤美姫を逆転し、初優勝。バンクーバーの金メダル候補に躍り出たのだ。研磨職人・坂田清治がキム・ヨナに初めて会ったのは、その約1カ月前のことだった。彼女が坂田を訪ねて来日したのである。そのワケとは――。

桜井美馬(スピードスケート・ショートトラック日本代表)<後編>「真の強さを手にするために」

 オリンピックには魔物が棲んでいる――。修羅場をくぐり抜けてきたトップアスリートでさえ、4年に1度の大舞台に飲み込まれてしまうことがある。バンクーバー五輪に臨んだ若干20歳の桜井美馬にとってもそうだった。彼女が憧れの場所に立ち、味わった経験は、甘美なものではなかった。長野五輪でヘッドコーチ、ソルトレイクシティ、トリノ五輪では監督を務めた川上隆史はこう語る。「私はオリンピックを3回経験させてもらいましたが、私自身もわからないんですよ。“オリンピックってなんだろう?”って。やっぱり1回じゃ、わからない。2回目以降でようやくわかって、勝負かなって思うぐらいです。初めてのオリンピックは舞い上がりますから」

第1回 坂田清治(フィギュアスケート研磨職人)<前編>「世界のトップ選手が信頼を寄せる匠の技」

 今年1月からスタートの新コーナー「裏方NAVI」では、世界で活躍するアスリートたちを支える人たちにスポットライトを当て、知られざる専門知識や巧みな技に迫ります。今回は、フィギュアスケートの国際大会を陰で支えている坂田清治氏。選手たちのパフォーマンスに欠かすことのできないフィギュアスケート靴を矯正し、ブレード(刃)のエッジを100分の1ミリ単位で各選手に適した形状に研磨する職人だ。

桜井美馬(女子スピードスケート・ショートトラック日本代表)<前編>「憧れを追いかけて」

 身長152センチと、小柄ながらスケートリンクの上では大きな存在感を放つ。その一方で氷上から離れれば、人懐こい笑顔で周囲の空気を和らげる。桜井美馬(早稲田大学)、スケートのショートトラック日本代表である。1周111.12メートルのトラックを4人から6人が滑り、速さを競うショートトラック。1周400メートルのスピードスケートに比べて、コーナーを回る頻度が多いのが特徴だ。加えて1度に滑る人数が多いため、接触や転倒が頻繁に起き、“氷上の競輪”と呼ばれる駆け引きが魅力の競技だ。日本のショートトラック界は、長野五輪以降、メダリストが生まれていない。女子に限って言えば、未だゼロである。2014年、ロシアで行われるソチ五輪で、それを打破できそうなのが、女子3000メートルリレーだ。桜井はその中心メンバーのひとりである。

鈴木彩香(女子ラグビー日本代表候補)<後編>「桜のジャージで世界一に」

 来る2013年は女子ラグビーにとって重要な1年になる。まず2月には今季から新設されたセブンズのワールドシリーズに参加するため米国へ渡る。続く3月は15人制で14年に開かれる女子W杯フランス大会に向けたアジア地区予選。日本は前回、前々回と出場を逃しており、ここで3大会ぶりの本戦行きを狙う。そして6月はモスクワでのセブンズのW杯だ。初開催となる前回大会、日本は4戦全敗に終わった。4年後のリオデジャネイロ五輪へ弾みをつけるためにも世界と対等に戦えるところを示したい。

鈴木彩香(女子ラグビー日本代表候補)<前編>「ひとりじゃラグビーはできない」

 名実ともに日本女子ラグビーの顔になり得る選手だ。  7人制ラグビーが2016年リオデジャネイロ五輪から正式種目に採用され、女子ラグビーにスポットライトが当たりつつある。五輪出場へ向け、中心メンバーとして期待されるのが、23歳の鈴木彩香である。

金子侑司(立命館大学野球部)<後編>「悔いなき高校野球」

 水泳、ラグビー、サッカー、野球――小学生の頃から金子侑司の生活は、まさにスポーツ漬けだった。当時、最も熱中していたのは野球ではなく、ラグビーだった。 「思い切り走り回れて、スピード感のあるラグビーが一番楽しかったですね」 ところが、中学に入る際に彼が選択したのは野球だった。理由は自分自身を冷静に見つめてのことだった。 「その頃の僕は体が小さくて、細かったんです。だからラグビーではよく骨折したりしていました。それで中学に入る時に『もう、ラグビーでやっていくのは無理やな』と。自分には野球の方が向いていると思ったんです」  12歳の少年が下した決断が、10年後、プロ野球への扉を開く第一歩となったのである。

金子侑司(立命館大学野球部)<前編>「たどり着いたプロへの入り口」

 2012年10月25日。金子侑司にとって、運命の日が訪れた。プロ野球新人選択会議。いわゆる「ドラフト会議」である。意外にも前日まではさほど緊張していなかったという金子だが、さすがに当日は会議の時間が近づくにつれて、徐々に緊張感が増していった。そして17時、会議がスタートした。金子は高鳴る鼓動をどうすることもできないまま、ただただ、見守るしかなかった。そして、待つこと約1時間半後、ついに“その時”が来た。 「埼玉西武 金子侑司 内野手 立命館大学」  待ち焦がれたプロへの扉が開かれた瞬間だった。

鍛代元気(湘南ベルマーレフットサルクラブ)<後編>「バージョンアップ中のルーキー」

「何をやってもうまくいきませんでした」  鍛代元気は悩んでいた。P.S.T.C. LONDRINA時代から積み重ねてきた自分のプレースタイルは、Fリーグでも通用するのか。練習で思い通りのプレーができず、開幕戦、第2節はベンチに入ることさえできなかった。第2節終了後、彼は「自分のプレースタイルがわからない」と、監督の相根澄に相談した。すると、相根からあるフットサル選手のプレーが収められたDVDを手渡された。

鍛代元気(湘南ベルマーレフットサルクラブ)<前編>「ベルマーレを愛し、愛される男」

 幼少時代から鍛代元気の生活にはベルマーレがあった。試合の日はサポーターである両親に連れられ、平塚のスタジアムに足を運んだ。 「ものごころついた時から、ベルマーレのユニホームを着て、立見席で跳ねて応援するのが当り前でした」  小学校に入ると、地元のチームでサッカーを始めた。当時の夢はプロサッカー選手になってベルマーレでプレーすること。その“少年”は今年、Fリーグ(日本フットサルリーグ)所属の湘南ベルマーレの一員になった。競技こそサッカーではないものの、彼は今、憧れのクラブでプレーできる幸せを噛みしめている。

梅野源治(キックボクサー)<後編>「日本の格闘技界を変えるために」

「日本のキックボクシングはムエタイのことを分かっていないんですよ」  ムエタイの本場タイで頂点を目指す梅野ははっきりと、そう口にする。  同じムエタイでも日本とタイとでは大きく異なる。日本では純粋なスポーツであるが、タイのムエタイはギャンブルの性格も持つ。観客がどちらが勝つかを賭けて楽しむのだ。

最終回 車いすテニス・三木拓也、4年後への誓い

 今夏、ロンドンパラリンピックで北京に続いて連覇を果たしたのが、車いすテニスの国枝慎吾だ。パラリンピックでの男子シングルスで連覇を成し遂げたのは史上初の快挙である。今や世界が認めるスーパースターとなった国枝。その国枝に素質を買われ、2年前に「一緒に世界を目指してみないか」と声をかけられた選手がいる。三木拓也、23歳だ。現在、世界ランキング17位(24日現在)の三木だが、当時は100位以内にも入っていなかった。その頃は世界の舞台など、夢のまた夢だった。だが、本格的にトレーニングを始めると、メキメキと頭角を現し、恐ろしいほどのスピードで世界に追いついた。そして今夏、初めてのパラリンピックに出場したのだ。だが、シングルスは初戦敗退。試合後は悔しさを押し殺しながら、冷静に自らの試合を分析していた。その姿には4年後のリベンジを予感させるだけのものが、確かに存在していた。

梅野源治(キックボクサー)<前編>「名も実もあるチャンピオンに」

「軽量級のエース候補と期待している」  10月に日本で初めての大会となる「K-1RISING WORLD GP FINAL 16」が開催される新生K-1。そのイベントプロデューサーを務める魔裟斗が熱い視線を送る選手がいる。梅野源治(PHOENIX)、23歳。ムエタイを始めて5年にして、既に4つのタイトルを獲得。本場タイの強豪を次々と倒し、フェザー級では日本人で初めてルンピニースタジアムのランキングに名を連ねた。タイの国技とも言える同競技で頂点を狙える逸材である。今回、梅野はK-1初参戦が決まった。

第10回 高桑早生、リオパラリンピックへの誓い

 12日間に渡って熱戦が繰り広げられたロンドンパラリンピックが幕を閉じた。今回は金5、銀5、銅6の計16個のメダルを獲得。特に競泳での活躍が目立った。世界新記録を更新した田中康大をはじめ、アテネからの8年越しの金メダルに輝いた秋山里奈、開会式では旗手を務めた木村敬一など8個のメダルを量産した。またゴールボール女子が日本としては史上初の団体金メダルに輝き、柔道では正木健人も金メダルを獲得。そして車いすテニスの国枝慎吾は、男子シングルスでは史上初の連覇を成し遂げた。今回は、こうしたメダリストの中には名を連ねることはできなかったが、4年後のリオデジャネイロでの活躍が期待される陸上・高桑早生のロンドンパラリンピックに迫った。

Vol.13 進化した「心技体」 〜車いすテニス・国枝慎吾〜

「コーチ、ヒジが痛い……」――これまでほとんど聞いたことのない悲痛な声に、丸山弘道は驚きを隠せなかった。  2011年9月、全米オープン男子シングルス決勝戦。国枝慎吾はマッチポイントを迎えていた。4連覇まであと1ポイント。ちょうどその時、スタンドの最前列で観戦していた丸山の目の前にボールが転がってきた。そのボールを拾いに来た国枝が、そっと丸山に伝えたのだ。 「試合中、しかもマッチポイントを握ったこのタイミングで『痛い』だなんて……。慎吾の右ヒジは大変なことになっているのかもしれない」 丸山は“不安”と“覚悟”が入り混じった気持ちで国枝を見つめていた。

岸本鷹幸(ロンドン五輪400メートルハードル日本代表)<後編>「世界へ羽ばたく“むつの鷹”」

 トップアスリートには、何かをきっかけにして飛躍的に能力が伸びる、そんな覚醒するターニングポイントがある。高校時代の岸本鷹幸もまた然りであった。大湊高校の顧問・舘岡清人はこう証言する。「“変化率”のケタが違いましたね。同じ練習をしていても、他の子が10伸びるところを、岸本は100伸びました」。そのきっかけは、敗戦にあった。負けることで自分に足りないものを冷静に判断し、補う作業を続けてきた。さらに強い相手、高い壁が立ち塞がる度に、彼の内に秘めた闘志は燃え上がる。幼き頃から変わらぬ性格。これは青森県むつ市で育った“鷹”の本能だ。

第9回 メダルラッシュへの期待! 〜パラリンピック・陸上〜

 いよいよ4年に一度の祭典、ロンドンパラリンピック開幕が2日後に迫っている。29日、ロンドン・オリンピックスタジアムで行なわれる開会式で幕を開け、9月9日までの12日間に渡って熱戦が繰り広げられる。今回は、複数のメダル獲得が期待される陸上競技について、現地にコーチとして帯同する日本身体障害者陸上競技連盟常任理事・競技運営委員会委員長の三井利仁氏に注目の日本人選手について訊いた。

岸本鷹幸(ロンドン五輪400メートルハードル日本代表)<前編>「自然体ハードラー」

 日本が陸上のトラック種目の中で、世界との距離が一番近いとされるのが400メートルハードルだ。現在、同種目の日本のエースは、今夏のロンドン五輪に出場した法政大学陸上部の岸本鷹幸である。これまで苅部俊二、山崎一彦、斎藤嘉彦、為末大、成迫健児ら、数々の日本人ハードラーが世界に挑んできた。世界陸上選手権では山崎がイエテボリ大会(1995年)で7位入賞、為末はエドモントン(2001年)、ヘルシンキ大会(05年)で銅メダルを獲得した。だが、五輪においては、今までファイナルへと辿り着いた者はいなかった。その先輩たちが超えられなかったハードルを、ロンドンで挑んだのが岸本だった。

第8回 2大会ぶりメダル獲得へ 〜ゴールボール〜

 17日間に渡って熱戦が繰り広げられたロンドンオリンピックの幕が閉じ、約2週間後の29日にはパラリンピックの幕が上がる。そのパラリンピックにはオリンピックにはないオリジナルの競技がいくつかある。その中のひとつが「ゴールボール」だ。日本は女子がアテネ、北京に続いて出場する。今回はこの競技に触れてみたい。

Vol.12 ロンドンに導いた恩師の叱咤激励 〜視覚障害者柔道・米田真由美〜

 2010年12月、中国・広州で行なわれたアジアパラ競技大会、米田真由美は銀メダルに輝いた。アテネ、北京とパラリンピックに出場できなかった米田は、北京後は寝技の強化を図ってきた。その寝技に自信をつけたのが、そのアジアパラだった。表彰式では、銀メダルを首に下げ、清々しい笑顔の米田の姿があった。だが、実はこの1カ月前、米田は柔道人生の崖っぷちに立たされていたのである。

木村敬一(ロンドンパラリンピック競泳日本代表)<後編>「募るロンドンへの思い」

「オマエ、すっごいな! えらいよ!」。  2008年9月、北京パラリンピックに出場した木村は、最も苦手としていた100メートル自由形で、予選で自己ベストを4秒更新。決勝でもさらに1秒縮め、合計5秒も更新するという驚異的な泳ぎを見せた。すると、普段はほとんど褒めることのない恩師の寺西真人が涙を流しながら喜びを爆発させていた。 「初めて先生に褒められましたね。記録が更新できたこと以上に、先生が喜んでくれたことに驚きました。でも、それがとても嬉しかったんです」  メダルを狙っていた平泳ぎではトップと5秒差をつけられ、惨敗の5位。悔しさだけが残った。だが、自由形での5位は可能性の大きさを感じさせるものだった。だが、その時の木村はまだ、そのことに気づいていなかった。

第8回 土田主将「最高峰の舞台で最高のパフォーマンスを」 〜パラリンピック結団式・壮行会〜

 23日、都内ホテルでロンドンパラリンピックの結団式・壮行会が行なわれた。今回は17競技135名の選手が出場する。その中には2000年シドニー大会以来3大会ぶりとなる知的障害者の選手も含まれており、陸上3名、水泳3名、卓球1名の計7名が出場する。パラリンピックは五輪閉幕後、8月29日に開幕する。

木村敬一(ロンドンパラリンピック競泳代表)<前編>「“怪物”たちとの出会い」

「パラリンピックに出る人たちって、こんなに速く泳ぐのか……。怪物みたいな人たちだな」  初めて代表合宿に参加した中学2年の木村敬一は、大きな衝撃を受けていた。アテネパラリンピックを控えていた当時、合宿には日本における視覚障害者競泳の第一人者で、1996年アトランタ、2000年シドニーで連続2冠に輝いた河合純一や、数カ月後のアテネで初出場ながら銀メダルを獲得した秋山里奈など、世界で活躍する選手たちが参加していた。 「『この選手たちはパラリンピックを目指しているんだよ』と聞いて、初めてパラリンピックという世界の舞台があることを知ったんです。一緒に練習していて、河合さんたちがどれくらい速いかはわかりましたから、とてもじゃないけど、自分にはパラリンピックは無理だと思いました」  4年後、自分が “怪物”と同じ舞台の上に立つとは、14歳の少年は予想だにしていなかった。

第7回 パラリンピックも注目どころ満載!

 ロンドンオリンピック開幕まで、残り3週間を切った。現在、英国では世界各国から選ばれたランナーたちによって、聖火リレーが行なわれている。日本でもオリンピックに関連するニュースが増えてきており、世界中でオリンピックムードが色濃くなってきている。そのオリンピックの閉幕後、8月29日にはパラリンピックが開幕する。3日には、日本パラリンピック委員会(JPC)から正式に全競技の代表選手が発表された。そこで今回は、パラリンピックにおける注目競技・選手を紹介したい。

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