2008年9月8日、北京国家体育場。北京パラリンピック第3日、トラックでは陸上車いす女子5000メートル決勝が行なわれていた。激しい先頭争いが繰り広げられる中、アクシデントが起こった。残り500メートル、最後の一周にさしかかる直線で前方を行く2人の選手が接触し、激しく転倒。そのすぐ後ろでスパートのチャンスをうかがっていた土田和歌子に避ける余裕はなかった。気づいた時には体を強く打ちつけられていた。4日後、再レースが行なわれたが、そこに土田の姿はなかった。そしてメインレースとして臨むはずだった最終日のマラソンも土田は棄権を余儀なくされた――。あれから4年。彼女は、北京でかなわなかった5000メートルのゴールとマラソンのスタートラインに今、立とうとしている。
好調時の鈴木雄介はレース中に周りがよく見え、途中の景色を鮮明に覚えているという。2011年の世界陸上テグ大会に至っては「今でも誰がどこで応援してくれていたか、覚えています」と語るほどだ。 「テグではレース当日に自分の一番のパフォーマンスができるようにピークを持って行くことができた」 その言葉通り、鈴木は最高の状態で臨んだ大一番で、周囲を驚かせるレースを展開した。
今や国民的人気となった「なでしこジャパン」に続け、とばかりに世界の舞台での活躍を目指す女子ホッケー日本代表「さくらジャパン」。最後の1枚となったロンドン五輪の切符をかけて行なわれた世界最終予選で見事、3大会連続出場を決めた。今回は初めて五輪出場を果たしたアテネ大会以来、「さくらジャパン」を指揮した安田善治郎ヘッドコーチ(HC)にインタビューを敢行。最終予選の勝因、ロンドン五輪に向けての意気込みを訊いた。
「走っている時よりも、速く感じる」 こう語るのは富士通陸上部に所属し、競歩選手として活躍する鈴木雄介(24歳)だ。100メートルを“歩く”スピードは、調子がいい時には17秒を切るという。ただし、鈴木が専門とするのは20キロ競歩のため、レースでは100メートルを24秒前後、1キロ4分ペースで歩く。 「レースの時は、もうグイグイ進んでいる感じです。自分の体をすごく速く動かせていると実感できるところが、この競技の一番の魅力だと思います」
約3週間に渡って行なわれたバレーボール世界最終予選では、女子が3大会連続となる五輪出場を決めた。ロンドンでは1984年のロサンゼルス大会以来となるメダル獲得が期待されている。その同じロンドンの地で、メダルをかけた、もう一つのバレーボールが行なわれる。1980年アーヘン大会(女子は04年アテネ大会)からパラリンピックの正式種目となった「シッティングバレーボール」だ。北京に続いて2大会連続出場を決めた女子日本代表が、初の表彰台に挑む。
昨年11月、韓国で行なわれたロンドンパラリンピック・アジアオセアニア最終予選、日本は準決勝で韓国にわずか1点差で競り勝ち、パラリンピックの切符をつかんだ。その死闘を制した背景には、2つの“ビッグプレー”があったのだ。
バレーボール世界最終予選最終日、眞鍋政義監督率いる全日本女子は最後のロンドン行きの切符を獲得し、五輪3大会連続出場を決めた。「1位通過」という目標を掲げて臨んだ日本だが、終わってみれば最後の1枚をようやくつかむという苦しい結果となった。「予想以上に厳しかった」と語る選手が多い中、チーム最年長の竹下佳江にはそうした驚きは全くなかった。彼女の鋭い眼光には“覚悟”があった。
日本女子カヌースプリント界の第一人者・北本を評する時、多くの人は「気持ちの強さ」を特徴としてあげる。代表入りした10年ほど前から彼女を見続けている日本カヌー連盟の古谷利彦強化部長はこう語る。 「どんな時にも妥協しない。自分に対して厳しい。最初に会った頃から、将来は楽しみな選手になると感じましたね」
19日、バレーボール女子世界最終予選が東京体育館で開幕する。今夏のロンドン五輪出場への最後のチャンスであり、熾烈な戦いが繰り広げられることは間違いない。全日本女子がアテネ、北京に続いて3大会連続出場を決めるには、3位以内、あるいは4位以下においてアジアトップの成績を収めることが条件となる。果たして眞鍋政義監督率いる“火の鳥NIPPON”はロンドンへの切符を掴むことができるのか。
日本カヌー界悲願のメダルへ、もっとも近い選手がいる。3度目の五輪出場となる北本忍だ。過去の2大会では、アテネでカヤックフォア500メートル9位、北京は同フォア6位、ペア500メートル5位と着実に成績を上げてきた。
野球やサッカー、バスケットボールといった“動”のスポーツとは異なり、“静”のスポーツである射撃において、最大の敵はさまざまな“ズレ”である。ほんのわずかなズレが、勝敗を分ける重要なカギを握っているのだ。そして、その“ズレ”との戦いこそが、射撃の最大の魅力でもある。他のスポーツとはまるで違う競技性をもつ射撃とは――。刈谷洋一ヘッドコーチに聞いた。
パーン! バシン! ミットを叩く乾いた音が体育館に鳴り響く。大東文化大学テコンドー部の笠原江梨香は今、8月のロンドン五輪に向けて、日々特訓を重ねている。5月には大舞台への試金石となる2つの国際大会(アジア選手権、世界大学選手権)が控えており、まずはそこに照準を合わせている。彼女を指導する同大テコンドー部監督の金井洋は、ミットを構えながら、様々な攻守のパターンを要求する。試合における多種多様な場面を想定して、その対処法を体に叩き込ませているのだ。
残り約3カ月に迫ったロンドン五輪。約1カ月後の5月18日には聖火が英国入りする予定だ。現在、“五輪モード”に突入している世界のスポーツ界では激しい代表争いが繰り広げられている。国内では5月5日に選考会を兼ねて行なわれる体操NHK杯、20日にボートロンドン五輪最終予選、そして19日からは女子バレーボール世界最終予選、6月2日からは男子の世界最終予選が行なわれる。4年間の努力を発揮するべく大舞台。そこには笑顔もあれば、悔し涙もある。今月初旬に行なわれた競泳日本選手権でも、さまざまな選手たちの姿があった。
凛とした立ち姿が、ひとり際立っていた。今年2月26日、全日本選手権の開会式を控え、その表情はリラックスしつつも、彼女の背筋はピンと真っすぐ伸びていた。大東文化大学テコンドー部の笠原江梨香。ロンドン五輪の女子49キロ級日本代表に内定し、シドニー以来のメダル獲得が期待されるテコンドー界のニューヒロインである。
今月よりスタートした「キャッチ! The LODNON」では、ロンドンオリンピック・パラリンピックにまつわる情報をお届けします。ロンドンで活躍が期待される注目選手やニューカマー、さらには戦いの舞台裏など幅広く“キャッチ”していきます! 2日に開幕した競泳日本選手権は、ロンドンオリンピックの選考会を兼ねて行なわれ、熱いレースが展開された。なかでも注目は、ロンドンで4大会連続出場、そして3大会連続2冠を狙う北島康介(アクエリアス)。100メートルでは日本新記録で優勝、そして得意の200メートルをも制し、最高のかたちで4大会連続出場を決めた。しかし、ここまでの道のりは決して順風満帆だったわけではない。北京五輪以降、北島は平井伯昌コーチの元を離れ、練習拠点を米国に移した。国際大会の復帰戦となった2010年のパンパシフィック選手権では100メートル、200メートルで2冠を達成し、健在をアピールした北島だったが、昨年の世界選手権では100メートルでまさかの4位。200メートルでは銀メダルを獲得したものの、ロンドンでの2冠達成に黄色信号が灯った。ところが、今回の選考会では北京五輪以来となる自己ベスト更新で100メートルを制したのだ。
格闘技さながらの激しさとスピーディなプレー。それこそがウィルチェアーラグビーの最大の魅力だ。一度、それを体感すると、この競技の虜となる者は少なくない。特に車椅子同士が衝突した時の重厚な音は、観る者の興奮を助長させる。思わず目をつぶってしまうほどの凄まじさこそが、コンタクトプレーが許されているこの競技ならではの見どころだ。そのプレーにとどまらず、ウィルチェアーラグビーの車椅子、通称“ラグ車”にはまった男がいる。2007年から日本代表チームのメカニックを担当している三山慧、26歳だ。ウィルチェアーラグビーとの出合いが、彼の人生の転機となった。
「今の僕があるのは、骨肉腫という病気になったからこそだと思っています」 そう屈託のない笑顔で語るのは、車いすテニスプレーヤー三木拓也だ。若干22歳。まだ、あどけなさの残る表情とは裏腹に、言葉の端々に大人の顔をのぞかせる。 「周囲の人に応援してもらい、支えてもらいながら、今、しっかりと自分で決めた道を歩くことができている。もちろん、そこには責任も伴いますから、プレッシャーもあります。でも、そことしっかりと向き合ってこそ、人としてさらに成長することができるんじゃないかと思うんです」 冷静な言葉の裏側に、生きることへの情熱が垣間見えた。自らの人生と真正面からぶつかっている三木。さまざまな人との出会いが、今の彼の“素”となっている。
2008年の北京パラリンピックで金メダルを獲得するなど、世界の頂点を極めた車いすテニスプレーヤー国枝慎吾。その国枝が発掘した原石が今、ロンドンパラリンピック出場を目指して戦っている。彼の名は「三木拓也」。日本車いすテニス界のホープだ。昨年から大きな躍進を遂げ、日本男子テニス界を牽引する錦織圭とは、奇しくも同じ島根県出身の22歳だ。 「まさに“飛ぶ鳥を落とす勢い”とは、彼のことですよ」 車いすテニス日本代表コーチを務める丸山弘道も、彼の成長速度の度合いには目を見張る。果たして三木拓也とはどんなプレーヤーなのか――。
「ピーーーーッ」 オーブンのタイマーが鳴り響いた。工房にこんがりと焼けたパン独特の甘い匂いが広がる。オーブンを開けると、ふっくらと焼き上がったパンが登場した。「天使のパン」と呼ばれるそのパンを、多以良泉己はそっと両手で持ち上げた。まるで生まれたての赤ん坊のように、大事に大事にテーブルの上に置く。焼きたてのパンを見つめるその目は、まさに天使のような優しさに満ち溢れていた。 「喜んでくれるといいな……」 届けられた先の人たちの笑顔が頭に浮かぶ――。それがそのパンが成功した証である。
“失格による記録無し”――。糸数2度目の世界選手権(2010年、トルコ)はまさかの結果に終わった。ウエイトリフティングは「スナッチ」もしくは「クリーン&ジャーク(略してジャーク)」のどちらかを3回連続で失敗すると失格となる。糸数は後半のジャークを3回連続で失敗してしまった。競技を始めてから、初めての失格だった。
ガシャン! ガシャン! バーベルが床に落ちる音が練習場に響き渡る。声にならない声を出し、シャフトがしなるほどのウエイトをつけたバーベルを頭上に挙げていたのは、157センチの小さな体だった。2011年ウエイトリフティング世界選手権62キロ級日本代表の糸数陽一(20歳)。ロンドン五輪出場を目指す若きリフターだ。
「日本人初の義足パラリンピアン」。それがハイジャンパー鈴木徹だ。1996年のアトランタ大会まで、パラリンピックに出場することができた日本人選手は、車椅子もしくは視覚障害クラスの選手に限られていた。義足で走ったり跳んだりすることは、考えられていなかったのである。その“常識”を覆したのが鈴木だった。高校時代には国体3位になるなど、ハンドボール界で将来を嘱望されていた鈴木が、交通事故で右足を切断したのは、高校の卒業式の1週間前だった。その1年半後、鈴木は走り高跳びでシドニーパラリンピックに出場。その後、アテネ、北京と3大会連続出場を果たした。2006年にはアジア人初の2メートルジャンパーとなった鈴木は、08年北京パラリンピックでは日本選手団の旗手という大役を務めた。今や義足アスリートのパイオニアとして知られる鈴木。彼を世界の舞台へと押し上げたのは、ある2人の人物との出会いがあった。
これまで133試合のキャリアを誇る村田の両拳はナックルの部分が大きく膨らんでいる。これこそが激戦を乗り越えてきた何よりの証だ。よく見ると右手の中指は第一関節は中へ折れ曲がったままになっている。 「2年前に試合で痛めました。腱が切れてしまって指が真っすぐにならなくなってしまったんです」 さらに中指の甲に近い関節は一部が凹んでいた。こちらは高校時代、骨折したことによるものだという。骨が折れたまま試合に出たため、変形してくっついてしまった。
日本のアマチュアボクシング界から届いた久々の朗報だった。 2011年9月26日から10月8日まで、アゼルバイジャンのバクーで開催された世界選手権。ミドル級の村田諒太が日本人初の銀メダルを獲得したのだ。同選手権で日本人が決勝に進むこと自体、史上初の快挙だった。78年の石井幸喜(フライ級)、07年の川内将嗣(ライトウェルター級)が銅メダルに輝いて以来、3人目のメダリストである。
車いすテニスと言えば、北京パラリンピック、シングルスで金メダルに輝いた国枝慎吾を真っ先に思い浮かべる人は少なくないだろう。国枝は男子のオープンクラスで世界の頂点に君臨している。女子では、史上最年少の中学1年で日本マスターズに出場し、国内首位を独走している上地結衣が現在9位にランキングしている。そして、この男女のほか、車いすテニスにはもうひとつ、クラスがある。3肢以上に麻痺がある重度障害のクアードだ。このクアードには、ゲームの中のプレーだけではないさまざまな勝負のポイントがある。クアードの中でも体の状態としては厳しい古賀貴裕。彼だからこそ知り得る、クアードプレーヤーの戦いの裏側に迫る。