プロ野球の速球王、前人未踏の160キロへの挑戦 ヤクルトスワローズ・五十嵐亮太<後編>

 高校3年夏の千葉県大会1回戦、五十嵐は稲毛高を前に12奪三振の完封劇を演じた。この試合の2回、彼は自己最高の144キロを記録した。ヒットこそ4本許したものの、打球はいずれも球威に押されて詰まっていた。  ネット裏には10球団、13人のスカウトが集結していた。当時のスポーツ紙にはスカウトの次のようなコメントが紹介されている。 「腕の振りの速さは天性のもの。真っすぐが速いのが魅力だね」(日本ハム・田中スカウト)、「球の離し方とヒジの使い方がうまいから手元でボールが伸びる」(広島・苑田スカウト)。

第114回 プロ野球の速球王、前人未踏の160キロへの挑戦 ヤクルトスワローズ・五十嵐亮太<前編>

 誰よりも速いボールを投げたい。  誰よりもボールを遠くへ飛ばしたい。  野球を始めた少年が、最初に思うことは、このどちらかである。  前者の方に魅力を感じた少年はピッチャーへの道を選び、やがてエースとして甲子園を目指し、その先のプロ野球のマウンドに夢をはせる。一方、後者の方により深い魅力を感じた少年は、ホームランに飽くなき憧れを抱き続ける。

第113回 リベンジの冬へ 武蔵

「立ち技最強」と呼ばれるK−1は、これまで12回のワールドグランプリを行っているが、日本人王者はまだ誕生していない。  ナチュラルなヘビーウェイト揃いの外国人勢に比べ、日本人選手は体格的に見劣りする。一日で3試合を戦うワンナイト・トーナメントで頂上を極めるのは至難の業だ。

第112回 野茂英雄が挑戦し続けるMLB孤高のマウンド<後編>

 メジャーリーグで通用する条件は何か?  野茂がアメリカで成功をおさめてからというもの、こういう質問を受けることが多くなった。 「やはり、三振をとれるフォークボールがあるということですか」 「ストレートも150キロは必要ですね?」 「コースいっぱいに決めることのできるコントロールも必要でしょう」

第111回 野茂英雄が挑戦し続けるMLB孤高のマウンド<前編>

「近鉄時代のビデオ・テープを取り寄せ、動作解析をするとメカニック的に、ほとんどかわった点はない。強いていえば上半身がブレていることでしょうか……」  受話器の向こうで野茂は言った。  ニューヨーク・メッツを「解雇」になった直後のことだ。  周知のように1997年オフ、野茂は右ヒジにメスを入れた。遊離軟骨、すなわちネズミを取り除いたのだ。  しかし、術後の経過は順調で翌年のスプリング・トレーニング(キャンプ)の前には、もうキャッチボールができるまでに回復していた。

第110回 「核弾頭の明暗」 〜石井琢朗vs.松井稼頭央〜<後編>

 同じショートでトップバッター。しかもリーグの盗塁王。比べるなと言われても比べないわけにはいかない。  ライオンズの松井稼頭央が、このシリーズではじめて笑みを見せたのは3戦目が終わった後だった。  5回表、1死満塁のチャンスで戸叶尚のストレートを左中間に叩いた。走者一掃のタイムリー2ベース。松井らしく初球を狙ったものだった。 「これだけチャンスが回ってきていながら、今までことごとく僕が潰していたでしょう。だから外野フライでも何でもいいと思っていました。今までの分を取り戻したとは言えないけど、これでやっと仲間入りができました」

第109回 「核弾頭の明暗」 〜石井琢朗vs.松井稼頭央〜<前編>

「最初の1打席に賭けていました。転がしてしまいさえすれば、あとはヨーイドンの勝負だなと……」  惜しくもシリーズMVPは逃したものの、22打数8安打(打率・364)、1打点、3盗塁、出塁率5割の活躍で優秀選手賞に輝いたベイスターズの石井琢朗は、そう切り出した。

第108回 反逆のバンク 〜競輪選手・松本整〜

 松本整が“中年の星”と騒がれたのは一昨年のことだ。  7月の寛仁親王牌に続き、9月のオールスター競輪をも制覇した。自らが打ち立てた最年長G1制覇の記録を再び自らの手で塗りかえた。  この時、松本は43歳だった。  この快挙を目のあたりにした“ミスター競輪”中野浩一は言った。 「驚くべきことだ。あの年になってまだ気持ちが切れないなんて……」

第106回 主将の熱い日々 〜ラグビー選手 箕内拓郎〜

 44日間に渡ってオーストラリアで行われた第5回ラグビーW杯はルーツ国イングランドの優勝で幕を閉じた。5回目のW杯にして初めて、エリス杯が北半球にもたらされた。  決勝の対オーストラリア戦は劇的な幕切れとなった。延長残り1分のところでイングランドSOのウィルキンソンが芸術的なDG(ドロップ・ゴール)を決めた。穏やかな楕円球の軌道が2本のポールの間を通過した瞬間、全ては終わった。歴史に残る100分間の死闘だった。

第106回 残り10秒で勝負師失格のハンス・オフトの教訓<後編>

 日本代表監督に就任したオフトが、真っ先に衝突したのがラモスだった。  当時のラモスは選手たちのボス的存在であり、誰からも一目置かれていた。もっといえば不動の10番ラモスを抜きにして、チーム構成など描けないというのが日本サッカーの現実だった。

第105回 残り10秒で勝負師失格のハンス・オフトの教訓<前編>

 アトランタ五輪でのブラジル撃破、悲願のワールドカップ(フランス大会)初出場、そしてワールドユース選手権準優勝と、目覚しい進歩をとげる日本サッカー。その礎を築いたのは誰か、と問われれば、私は迷うことなくハンス・オフトというオランダ人の名前をあげる。  今じゃ日本サッカーにおける慣用句となっている「アイコンタクト」「トライアングル」「「サポート」「スモール・フィールド」「コンパクト」「タスク」「ピクチャー」といった用語は、いずれもオフトが持ち込んだものだ。

第104回 自然体の歓喜、求道者の苦悶(後編)

「頭が真っ白になりました」  金メダルの感想を、鈴木桂治はこう述べた。 「長い4年間だったか?」と問うと、「今考えると短かったですね」と答えた。  忘れられないのは4年前のシドニーでのワンシーンだ。鈴木桂治は井上康生の練習パートナーとして同行を許された。

第103回 自然体の歓喜、求道者の苦悶(中編)

「自然体でやりますよ」  アテネに出発する前、鈴木桂治は私にこう言った。相手を過度に意識しない。秘策に頼らない。そのことを自らに言い聞かせて決戦の地に向かった。  24歳がこうした境地に至ったのには理由がある。福岡での敗北が“良薬”の役割を果たした。不必要な“斜眼帯”を取り払ったと言うこともできる。

第102回 自然体の歓喜、求道者の苦悶(前編)

 金メダルを無造作にズボンのポケットに突っ込んだままベッドに横たわった。翌朝、目が覚めて不安になった。 「昨日のことは夢だったんじゃないか……」  慌ててズボンのポケットをまさぐった。ひんやりとした手触りとともに黄金色の輝きが目に飛び込んできた。 「……ああ、オレは本当に勝ったんだ」  金メダルを掌にのせて、しばしの間、昨夕の感激の余韻に浸った。宿舎に差し込む日射しが、心なしかいつもより眩しく感じられた。

第101回 甦ったワールドリーグ戦<後編>

 第3回ワールドリーグ戦には、カール・クラウザーやミスターXに混じって、もうひとり実力派のアイク・アーキンスも参加していた。当時を知る関係者によるとアーキンスは本物のギャングであり、気心の知れた日本人レスラーには、ハリウッドのトップ女優であるバージニア・メイヨとのツーショット写真を見せびらかしていたという。当時、ギャングでも、ハリウッドの女優と付き合える者は、幹部クラスに限られていた。

第100回 甦ったワールドリーグ戦<中編>

 さて、リングスに目を移してみよう。<メガバトル>の参加外国人はクリス・ドールマン(オランダ)、ディック・フライ(同前)、ヘルマン・レンティング(同前)、ハンス・ナイマン(同前)、ウィリー・ピータース(同前)、ディミータ・ペトコフ(ブルガリア)、ソテル・ゴチェフ(同前)、アンドレィ・コビィロフ(ロシア)、ヴォルク・ハン(同前)、ウラジミール・クラブチェック(同前)、グロム・ザザ(グルジア)、ゲオルギー・カンダラッキー(同前)の12名。オランダ、ブルガリア、ロシア、グルジアの4カ国からの参加ながら、国際色豊かなトーナメントに見えたのは、これら4カ国には格闘技王国のイメージがあると同時に、プロレスからは疎遠のニュアンスが強く、ために他団体のプロレス会場では味わうことのできないテイストを存分に提示することができたからに違いない。

第99回 甦ったワールドリーグ戦<前編>

 リングス初のトーナメント戦である<メガバトルトーナメント>はリングス・オランダのボスであるクリス・ドールマンが子分のディック・レオン・フライをレッグロックで破り初代の覇者となった。ドールマンをして“泣く子も黙る赤鬼”とはよく言ったもので、その武骨な面構えからは、いかにもアムステルダムの夜の暗がりを取りしきる用心棒の元締めの威厳がにじみ出ていた。加えて溶岩が冷却してできたような体付きも、相手を威嚇するには充分だった。

第98回 メジャーへの扉 〜マイナーリーガー 清野真志〜

 野球のマイナーリーグを舞台にしたケビン・コスナー主演の映画がある。  題名も『マイナーリーグ』。  ハンバーガーをかじりながら街から街へとバスで移動し、球場に着いても観客はパラパラ。実力次第でメジャーリーグに昇格できるものの、結果を残せなかったものには「クビ」の宣告が待ち受ける。この作品は、そうしたマイナーリーガーの悲哀を描いた秀作である。

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