大学野球
2011年秋、石橋良太はそれまで抱いていたモヤモヤ感がなくなっていくのを感じていた。投手として生きる覚悟を決め、気持ちを切り替えて本気で取り組んでいこうと腹を据えたのである。石橋は、高校2年まで内野手として活躍し、甲子園にも出場した。拓殖大学入学後も自らは内野手としてやっていくつもりだった。だが1年春、打率1割台と不振にあえいだ石橋は高校3年時にエースとして活躍したピッチングを買われ、投手に転向した。だが、内心では野手としての道を捨て切れずにいた。そんな中途半端な気持ちを払拭させたのが、中央大学との1部・2部入れ替え戦だった。
「バッター1本でやっていきたいんですけど……」 高校卒業後、杉本裕太郎は青山学院大学に進学し、野球部に入部した。大学側はピッチャーとして期待を寄せていたが、杉本の心は違っていた。既にピッチャーとしての自分の限界を感じ、逆にバッターとしての可能性を感じていたのだ。入部するとすぐに、杉本は監督に直訴し、バッターに転向した。そして、この勇断こそが今、彼を次なるステージへと引き上げようとしているのだ。
2008年12月1日。徳島商業高校の野球部グラウンドでは、翌シーズンに向けての練習が始まろうとしていた。新人戦、秋季大会と満足のいく結果を残すことができず、最終学年となった杉本裕太郎たちにとっては、甲子園へのチャンスは残り1度限りとなっていた。ミーティングを終え、いつものようにランニングを始めようとした、その時だった。 「監督、ちょっと目の調子が悪いんです」 そう訴えたのは、杉本の無二の親友であり、バッテリーを組んでいた原一輝だった。 「どうしたんだろう……」 杉本は心配になったが、それほど大事には考えていなかった。原はすぐに病院へと向かった。そして、翌日から原はグラウンドではなく、病院のベッドの上で過ごすことになったのである。
県内最多となる春夏合わせて甲子園出場42回を誇る徳島商業高校。甲子園では1947年の春に優勝、58年の夏には準優勝している。過去、プロ野球選手も数多く輩出した県内随一の名門だ。中学3年時に主力のひとりとしてチームを県総体優勝に導いた杉本裕太郎は、その徳島商を当然のように選んだ……のではなかった。当初、彼は実家に程近い小松島高校に進学しようと思っていたという。小松島はその年(2006)の春、01年春、03年夏に続いての甲子園出場を果たしており、21世紀に入って力をつけてきていた。練習を見学した際に感じた明るいチームの雰囲気も、杉本の心をくすぐった。一緒に見学した親友の高島佑も同じ気持ちだった。2人は小松島への進学を決めた。ところが――。
その存在は、グラウンドの中でもひときわ目立つ。身長189センチの長身スラッガー杉本裕太郎、今年のプロ野球ドラフト候補の一人だ。杉本自身、最も自信があり、こだわっているのがホームランだ。実は彼には、伝説となったホームランがある。小学校から無二の親友であり、高校までチームメイトだった原一輝は、高校2年の秋、杉本が描いた放物線を忘れることができない。
「高木、オマエがキャプテンだ」 「えっ……!?」 あまりの突然のことに、高木悠貴は驚きを隠せなかった。その日、高知高校は全国高等学校野球選手権の初戦で敗れていた。センバツに続いてラスタバッターとなってしまった高木は、3年生への申し訳ない気持ちで野球を辞めようと考えていた。そんな矢先のことだった。高木の気持ちを知ってか知らぬか、島田達二監督はその日の夜、宿泊先のホテルでキャプテン就任を告げたのだ。 「そんなこと言われたら、もう続けるしかないですよね(笑)」 高校野球最後の1年がスタートした。
2007年3月、第79回選抜高校野球大会。6年ぶり14回目の出場を果たした高知高校の初戦の相手は関西高校(岡山)と決まった。実はこの7カ月前、新チーム発足直後の8月に関西と練習試合をしており、その時は14−2と高知が快勝していた。それだけに高知ナインは皆、意気揚々と試合に臨んだ。ところが――。
「あの人、かっこいいなぁ……」 高知中学3年生の高木悠貴の目に留まったのは、ある1人のピッチャーだった。当時、附属の高知高校のエースで、後に法政大学の先輩となる二神一人である。高知の練習は厳しいことで有名だ。だが、二神はその練習後に必ず一人、走り込みをしていた。高木が中学の練習を終え、自転車で帰ろうとすると、いつも黙々と走る二神の姿があった。 「あんなきつい練習の後に走れるなんてすごいなぁと思いました。それに、僕らが『お疲れ様です』と挨拶をすると、きちんと返してくれたんです。その姿がかっこよくて、憧れましたね」 翌年の春、二神の卒業と同時に、高木は高知高校野球部に入った。
「打倒・東海大学」――帝京大学野球部にとって、悲願のリーグ優勝を達成するには破らなければならない壁がある。首都大学野球リーグで63度の優勝を誇る東海大学だ。多くのプロ野球選手を輩出している名門に、帝京大は何度も悔しい思いさせられてきた。だが、勝てない相手だという印象は選手たちには全くない。「今年こそ」の思いを胸に、帝京大学野球部の挑戦は続いている。
高知高校では3度の甲子園出場を果たした高木悠貴が、さらなる高みを目指して進学先に選らんだのは六大学野球リーグの一つ、法政大学だ。ところが、そこで待ち受けていたのはケガによる野球人生初の長期離脱だった。2年時の1年間はほとんどボールに触ることなく、走り込みを繰り返す毎日だったという。 「入学当初から最終的には4年生になって試合に出られるようになればいいなと思っていたので、焦りはありませんでした」 涼しげな表情でそう語る高木だが、人知れず悩みはあったに違いない。何よりも野球ができないことへの苦しさがあったことは想像に難くない。それでも高木は一度も野球を辞めようとは思わなかった。言葉には表さないが、彼はやはり根っからの“野球少年”なのだろう。
第60回全日本大学野球選手権が7日、開幕する。優勝候補の筆頭は連覇を狙う東洋大、2季ぶりに東京六大学を制した慶應大だ。さらに就任4年目にして東京国際大を初優勝に導いた古葉竹識監督の采配も注目される。全国から26の代表校が出場し、神宮球場と東京ドームで6日間にわたる熱戦が行なわれる。