「うわぁ、めちゃくちゃ、かっこえぇなぁ」 ある日、何気なくテレビをつけると、ひとりの車いすランナーが気持ちよさそうに風を斬って走っていた。両腕には隆々とした筋肉がついていた。その姿に西田はひと目で憧れを抱いた。交通事故で車いす生活を余儀なくされてから約2年、一時は車椅子バスケットボールにチャンレンジした時もあったが、心躍る感情は湧いてはこなかった。しかし、車いす陸上だけは違っていた。「かっこいいな、楽しそうやな」。まさにひと目ぼれだった。
「このままでえぇんやろか……」 ちょうど1年前、西田宗城はひとしきり悩みを抱えていた。車いす陸上を始めて6年。はじめは趣味の域であったが、徐々に力をつけてきた西田は2010年9月からは「パラリンピック強化指定選手」に選ばれている。自身も、ここ1、2年はパラリンピックへの思いが強まり、競技者としてさらなるレベルアップを目指してきた。だが、世界の舞台で活躍するトップ選手たちとの距離は、なかなか縮まらない。その要因のひとつには、練習量の絶対的な差があった。
「Crying Queen(クライング・クイーン)」――6年前のとある時期、平井美鈴は所属する「東京フリーダイビング倶楽部」のメンバーたちにそう呼ばれていた。きっかけは2006年12月にエジプトで行なわれた世界選手権だった。初めて日本代表として出場した平井は、その大会で「コンスタントウエイトウィズフィン」という種目で日本新記録となる61メートルを達成した。水面に上がると、「おめでとう!」という声とともに拍手が沸き起こった。感極まった平井は、その場で号泣したという。あまりの号泣ぶりに日本のフリーダイビング界の第一人者でもある市川和明に「オマエはCQだ!」と名付けられたのだ。 「そう呼ばれるのは恥ずかしくもありましたけど、嬉しかったりもしたんですよね(笑)」 初めて日本記録保持者となった平井への愛情のこもった“贈り物”だった。
「うわぁ、かっこいいなぁ。私もやってみたい……」――平井美鈴は目の前の映像に目を奪われていた。海外の大会PR用に製作されたフリーダイビングのビデオに映し出されていたのは、それまで見たことのなかった色鮮やかなウエットスーツに身を包んだダイバーたちの美しい姿だった。 「まるでイルカのように優雅に水中に潜っていく姿が、かっこよく見えたんです。『こんなに美しいスポーツってあるんだ……』と思いました」 それからというもの、平井は来る日も来る日もそのビデオを観続けた。いつの間にか、フリーダイビングの世界へと引き込まれていた――。
「チャンピオンになったら人生変わる。クラブで女の子をナンパしまくって、ファイトマネーもめちゃくちゃもらえるものだと思っていたんスよ」 “モテたい”願望でキックボクシングを始めた金髪の若者は、プロデビューから2年半で5つのタイトルを獲得した。バラ色の人生が待っているはずだった。
水面を颯爽と滑る姿に衝撃を受けた。時速60キロは出ていただろうか。モーターはなく、オールなどの人力でもない。動力はセイル(帆)に風を受けて生じる揚力と波の斜面を下る推進力のみ。大西富士子が行っているウインドサーフィンは、まさに自然と一体となったスポーツである。
酷暑が続く夏、水が恋しい季節だ。海、川でのアウトドアスポーツが数多くあるなか、近年、人気を高めているのがラフティングである。空気を入れて膨らませたラフティングボートに乗り、激流を下る。国内でも利根川(群馬県)や長良川(岐阜県)、吉野川(徳島県)などが名所とされ、シーズンになると多くの観光客が訪れる。
「これは自分には向いていないな……」 7年前、高橋靖彦のラートへの印象は、決していいとは言えなかった。大学の授業で初めて体験したものの、とても自分に適している競技とは思えなかったのだ。それもそのはずである。実は高橋は、根っからの野球少年。大学1年時も野球部に所属していた。体育教師を目指すほどスポーツは得意分野の高橋だったが、こと器械体操となると、苦手意識をもっていた。そのため、器械体操の要素をふんだんに含んだ競技であるラートに、好印象をもてなかったのは無理もなかった。その高橋が、今ではラート中心の生活である。将来的にはラートを職業にしたいとさえ考えているのだ。 「人生って面白いですよね。まさか自分がこんなにもラートにどっぷりつかるなんて……(笑)」 野球からラートへ――果たして高橋に何があったのか。
ちょうど1年前の夏、高橋靖彦はひとしきり悩んでいた。ラート協会から届いた1通のメール。それは夢に挑戦するアスリートへの支援プロジェクト「第1回マルハンWorld Challengers」への募集の知らせだった。 「果たして自分のようなラートというマイナースポーツの競技者でも、応募してもいいものだろうか……」 しばらく考えた末、高橋は応募することに決めた。躊躇する彼の背中を押したのは「これをやれるのは、今の日本ラート界では自分しかいない!」という使命感だった。今や世界のトップレベルにある日本ラート界の期待の星・高橋が、新たな一歩を踏み出した瞬間だった。
: 五輪はアテネ以来、2大会ぶりの出場となります。前回の北京大会に出られなかった時は、どんな思いでしたか? : テレビで競技を見ていましたが、「アテネに出たのは奇跡だったのかな」と感じましたね。出るべくして出られる実力が自分になかった。もう少しレベルアップしないと、五輪の代表選手としては戦えないんだなと痛感しましたね。
苦難を乗り越えての大舞台だ。ピストル射撃の小西ゆかりはこの夏、2大会ぶりの五輪に挑む。競技を始めてわずか4年で出場したアテネ大会から8年。結婚と離婚を経験し、就職先が決まらず、アルバイト生活もした。競技を続けることすら困難な状況ながら、それでも彼女は諦めなかった。「ロンドンでは自分らしい射撃をしたい」と語る小西に二宮清純がインタビューを行った。
「ビーチテニスを愛する全ての人たちのために、期待と希望を背負ってこの場に来ました」 高橋は昨年に行われた「第1回マルハンワールドチャレンジャーズ」の最終オーディションの舞台で、こう力強く語った。高橋・中村ペアがこのイベントに参加した理由――それは資金難により、2011年ワールドチャンピオンシップ(WC)の出場を断念したからだ。彼女たちの代わりに出場権を得た日本のペアは、初戦で大会を去った。コートに立つことなく、結果を見ることしかできなかった高橋は「私たちが出場していれば、という思いはありましたね」と悔しそうな表情を浮かべた。その思いがスポンサー獲得活動に本腰を入れるきっかけとなった。
浜辺で行われるスポーツといえばビーチバレー、ビーチサッカーが市民権を得ているといえるだろう。その中に、近い将来仲間入りするであろう競技が「ビーチテニス」だ。1994年にイタリアで産声を上げたビーチテニスが日本で普及し始めたのは2007年のこと。まだまだ歴史は浅く、大会などに参加する国内の競技者も男女合わせて約500人ほどだ。それでも、日本ビーチテニス界には、現時点で世界の頂に届きそうな存在がいる。高橋友美と中村有紀子。日本ビーチテニスツアーランキング3年連続1位の黄金ペアだ。
: 伊藤選手がトランポリンを始めたきっかけは? : 兄が体操、姉がトランポリンと水泳をやっていた影響で、幼稚園の時に体操、水泳、トランポリンを始めました。そのなかで、トランポリンが一番おもしろかったので本格的に続けることになりました。
空中を高く舞い、華麗な技を次々と披露するトランポリン。日本には現在、この競技の有力なメダリスト候補がいる。昨年11月の世界選手権で銅メダルを獲得した伊藤正樹だ。世界トップクラスの高さを武器に、ロンドンではばたこうとしている23歳に、二宮清純が特別インタビューを試みた。 ※このコーナーは、2011年10月に開催された、世界レベルの実力を持ちながら資金難のために競技の継続が難しいマイナースポーツのアスリートを支援する企画『マルハンワールドチャレンジャーズ』の最終オーディションに出場した選手のその後の活躍を紹介するものです。
トライアスロン女子でロンドン五輪の日本人選手の出場枠は現状3枠。そのうちひとつは既に上田藍(シャクリー・グリーンタワー・稲毛インター)が内定している。残る2枠は4月から5月にかけて行われるITU(国際トライアスロン連合)ワールドトライアスロンシリーズの3大会のレース内容などを踏まえて決定する。原則として3位以内に入れば、その時点でロンドン行きの切符が得られる。
※このコーナーは、2011年10月に開催された、世界レベルの実力を持ちながら資金難のために競技の継続が難しいマイナースポーツのアスリートを支援する企画『マルハンワールドチャレンジャーズ』の最終オーディションに出場した選手のその後の活躍を紹介するものです。