J閉幕日を動かさないのはなぜか 金子達仁 2011年4月15日 J閉幕日を動かさないのはなぜか2015-10-05T13:25:26+00:00 金子達仁「春夏シュート」 最も大きな影響を被るであろう当事者が「それでいい」というのだから、これでいいのだろう。 わたしが日本サッカー協会の人間であれば、南米連盟からのオファーにはなんとしても応えたいと考えたに違いない。 か 続きを読む
第43回 ルマンの同郷人・松井大輔<Vol.7> 田崎健太 2011年4月8日 第43回 ルマンの同郷人・松井大輔<Vol.7>2015-10-05T14:48:30+00:00 田崎健太「国境なきフットボール」 2006年11月11日、ぼくはフランスのルマンにいた。 日が沈んで試合時間が迫ると、川沿いのホテルから歩いてスタジアムに向かった。スタジアムに近づくと、ほのかな街灯の中に、ルマンのユニフォームを着た 続きを読む
南米選手権はJの犠牲なしで参加を 金子達仁 2011年4月8日 南米選手権はJの犠牲なしで参加を2015-10-05T13:25:26+00:00 金子達仁「春夏シュート」 CS放送のJスポーツでオンエアされていたマリオン・ジョーンズのドキュメンタリーを見た。シドニー五輪陸上競技で5つのメダルを獲得した彼女は、後にドーピング発覚してすべてのメダルを剥奪されたばかりか、偽 続きを読む
第134回 川尻達也、青木真也、高谷裕之の新天地を求める闘いに期待! 近藤隆夫 2011年4月7日 第134回 川尻達也、青木真也、高谷裕之の新天地を求める闘いに期待!2015-10-05T15:38:34+00:00 近藤隆夫「INSIDE格闘技」 4月に入ったが、「K-1」「DREAM」「SRC」といった日本のメジャー格闘技団体の今年の年間大会開催スケジュールが、まだ発表されていない。次回大会の開催も決まっておらず、ファンは待ち疲れ、選手たち 続きを読む
第170回「ファーストゴール」 〜2011年J2開幕戦、コンサドーレ札幌戦〜 松本晋司 2011年4月6日 第170回「ファーストゴール」 〜2011年J2開幕戦、コンサドーレ札幌戦〜2015-10-05T14:46:53+00:00 松本晋司「愛媛FC、背番号12の視点」 いよいよ2011シーズンの開幕を迎えた愛媛FC。甘え心は通じない、Jリーグ参入6年目。まさに勝負の一年である。 3月5日(土)、J2リーグ2011シーズンの開幕戦(第1節)となる愛媛FC対コンサドー 続きを読む
第193回 2億ドルの“アンダードッグ”、ヤンキースが発進 杉浦大介 2011年4月1日 第193回 2億ドルの“アンダードッグ”、ヤンキースが発進2015-10-05T14:44:55+00:00 杉浦大介「NY摩天楼通信」 「ヤンキースが“アンダードッグ”として開幕を迎えるのはいつ以来かな?」「ジョー・トーレ政権が始まった1996年以来かもしれないな……」2011年シーズン開幕を翌日に控えた3月30日。公開ワークアウトが 続きを読む
茫然と、野球を見る 上田 哲之 2011年4月1日 茫然と、野球を見る2015-10-05T13:32:10+00:00 上田哲之「プロ野球哲学」 東京で生活をし、野球を見る。茫然と、野球を見る。 たとえば、センバツ第4日目、第3試合(3月26日)を見た。国学院久我山−九州学院戦。久我山のエース川口貴都は180センチ、82キロの2年生。しっかり 続きを読む
カズの奇跡の裏にはきっと小笠原がいた 金子達仁 2011年4月1日 カズの奇跡の裏にはきっと小笠原がいた2015-10-05T13:25:26+00:00 金子達仁「春夏シュート」 昭和41年生まれのわたしは、古橋広之進さんの現役時代を知らない。それでも、“フジヤマのトビウオ”と呼ばれ、世界新記録を連発した彼の泳ぎが、敗戦にうちひしがれる日本に大きな勇気をもたらしたことは知って 続きを読む
第6回 アスリートとしての意識改革 伊藤数子 2011年3月31日 第6回 アスリートとしての意識改革2016-12-09T12:47:12+00:00 伊藤数子「障がい者スポーツの現場から」 私が障害者スポーツと出合ってから、選手はもちろん、指導者や競技団体関係者、大会やイベント運営に携わる方々と、実にさまざまな方たちと触れ合ってきました。その中で私はいろいろなことを見聞きし、学び、そし 続きを読む
第54回 新しい日本がみえたチャリティーマッチ 大野俊三 2011年3月31日 第54回 新しい日本がみえたチャリティーマッチ2015-10-05T14:43:20+00:00 大野俊三「ZAGUEIROの眼」 まずは今回の大震災でお亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈りします。そして被災された方々の1日も早い復興を願っています。 地震発生時、私は支配人を務める鹿島ハイツスポーツプラザにいました。春休 続きを読む