田崎健太

ノンフィクション作家

第103回 移籍とはタイミングや巡り合わせ ~松原良香Vol.11~

 元ブラジル代表の故・ソクラテスがぼくにこう教えてくれたことがある。「移籍というのは、結婚と同じだよ。選手もそれぞれ個性があり、受け入れる側のクラブにも事情がある。どんなにいい選手であっても、必ず移籍が成功するわけではな […]

第95回 落ちこぼれ寸前の若き日々 〜松原良香Vol.3〜

 プロのサッカー選手は子どもの憧れの職業である――。  とはいえ、本人がどれだけ努力しても、あるいは、親が熱を上げて金や時間をかけたとしても、プロの壁を越えることは簡単ではない。才能はもちろん、運や縁が必要になってくる。サッカー選手に限らず、こうした志望者が多い職業に就く人間は、必ず周囲からの引き立てがあるものだ。

第94回 海外サッカーへの憧憬 〜松原良香Vol.2〜

 2010年10月、ぼくはブラジルのグアラチンゲタという街で松原良香と知り合うことになった。数日後、グアラチンゲタでの練習を切り上げた松原がサンパウロへやってきた。  サンパウロにはリベルダージという東洋人街がある。そこにある居酒屋で松原と食事をすることになった。

第93回 ブラジルの小さなクラブでの出会い 〜松原良香Vol.1〜

 今年は武藤嘉紀がドイツのマインツへと移籍した。欧州の移籍市場が開くたび、日本の有能なサッカー選手が動くことはもはや年中行事となった。UEFA主催のチャンピオンズリーグに繫がった欧州の主要リーグのクラブは、Jリーグと比べてレベルが高いだけでなく、資金も潤沢である。日本以上の好条件を提示されて欧州に向かうことは、プロのアスリートとしては極めて理に適っている。

第92回 日本サッカーのために 〜中村武彦Vol.7〜

 中村武彦がメジャーリーグサッカー(MLS)で働いているとき、物足りなさがひとつだけあった。それは、リーグ全体のために仕事をしているため、クラブチームで働いているのと違い、ひとつひとつの勝敗に一喜一憂できないことだ。選手と一体になり、彼らと一緒に勝利も敗戦も噛みしめる――。

第90回 日本人初のMLS採用 〜中村武彦Vol.5〜

 語学を自分の身体に叩き込む最短かつ最良の方法は、母国語を遮断して、その言語の中に窒息するほど、どっぷりと浸かって生活することである。  その意味で、中村武彦が選んだマサチューセッツ州立大学アムハースト校アイゼンバーグビジネススクールは、最適の環境だった。

第89回 視界が開けた大学院での学び 〜中村武彦Vol.4〜

 2002年の2月――。  中村武彦はマサチューセッツ州立大学アマースト校アイゼンバーグビジネススクール、スポーツマネジメントの大学院入試を受けていた。その面接の中で、将来について聞かれた。 「大学院を卒業した後、将来はどうしたいか?」  予想された質問だった。中村は躊躇なく「メジャーリーグサッカーで働きたいです」と即答した。

第88回 中田英寿に感じた劣等感 〜中村武彦Vol.3〜

 中村武彦は、NEC現地法人立ち上げの研修でアメリカの首都ワシントンDCに滞在していた。  ある日、昼休みに何か食べようとオフィスから出た。すると、ジャージを着た男たちが食事をしているのが目に入った。聞こえてくる話から判断すると、サッカーチームの関係者のようだった。さらに会話を聞くと、DCユナイテッドというメジャーリーグサッカー(MLS)の選手たちだと分かった。

第87回 米国出張で感じた焦り 〜中村武彦vol.2〜

 中村武彦は、町田市立鶴川第二中学校から、青山学院高等部に進んだ。青山学院高等部のサッカー部は、後に日本代表に選ばれる山田卓也たちがいた鶴川第二中学と比べると、かなりレベルは落ちた。中村は仲間とボールを追うことは楽しくて仕方が無かったが、物足りなくなった。そこで、高校3年のときに三菱養和クラブのトライアウトを受けた。合格したのは二人だけ、中村はその一人だった。

第85回 Jリーグ草創期を彩ったトニーニョが抱く希望

 監督はチームの中で最も結果を求められる立場だ。  チームの成績がはかばかしくないときに選手を交換することは、財政的に大きなリスクがある。不甲斐ない大敗、負けが込めば、最初にすげ替えられるのは監督の首だ。だからこそ、監督には大きな権限が与えられてきた。

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