第112回 野茂英雄が挑戦し続けるMLB孤高のマウンド<後編>

 メジャーリーグで通用する条件は何か?  野茂がアメリカで成功をおさめてからというもの、こういう質問を受けることが多くなった。 「やはり、三振をとれるフォークボールがあるということですか」 「ストレートも150キロは必要ですね?」 「コースいっぱいに決めることのできるコントロールも必要でしょう」

第309回 生活の変化がもたらした国際大会の興奮

 ハラハラ、ドキドキ、ワクワク――。これがスポーツ中継が高視聴率をマークするための必要条件である。先の北京五輪野球アジア予選にはこの3つの要素が全て含まれていた。その結果が日本対韓国戦23.7%(関東地区)、28.9%(関西地区)、日本対台湾戦27.4%(関東地区)、33.3%(関西地区)――(「ビデオリサーチ」)。きょう負けてもあすがあるレギュラーシーズンでのゲームと違い、国際大会は基本的に「あすなき戦い」である。見る側も緊張を強いられる。日常生活では味わえない狂熱や絶望がそこにはある。

第262回 星野ジャパンの最大の強みは「絆」である 五輪日本代表・星野仙一監督

「うれしいというより、ホッとしたというのが正直なところ。  特に2戦目の韓国戦、みなさんご覧になられたと思いますけど、野球ってこんなに苦しいものなのかと。終わってみて野球ってこんなに楽しいものかと。選手には感謝、感謝、謝謝(シェイシェイ)と言いたい気持ちです」  北京五輪の出場切符を手に入れた野球日本代表・星野仙一監督は帰国記者会見でそう語った。

第261回 “神様、仏様”の元へ――球史に残る伝説の投手逝く

 神様、仏様、稲尾様――。「鉄腕」の異名をほしいままにした元西鉄ライオンズのエース稲尾和久さんが悪性腫瘍のため急死した。享年70。  通算276勝。1961年には日本プロ野球タイとなるシーズン42勝を記録した。15勝もすればエースと呼ばれるこのご時世にあって、42勝などという数字は今じゃ想像もつかない。

第260回 「自ら先頭に立ってガンガンやらないと」 元日本代表監督・松永怜一

「日本の球界は現場の指導者に冷たいところがあるので、(殿堂入りは)私には無縁なものと思っていた。手元から巣立っていった選手たちが、球界と社会に貢献したことが認められたのだと思う。こんな名誉なことはありません」  今年1月、特別表彰として殿堂入りを果たした元野球日本代表監督の松永怜一(76)は一言居士らしく皮肉を交えてそう語った。

第111回 野茂英雄が挑戦し続けるMLB孤高のマウンド<前編>

「近鉄時代のビデオ・テープを取り寄せ、動作解析をするとメカニック的に、ほとんどかわった点はない。強いていえば上半身がブレていることでしょうか……」  受話器の向こうで野茂は言った。  ニューヨーク・メッツを「解雇」になった直後のことだ。  周知のように1997年オフ、野茂は右ヒジにメスを入れた。遊離軟骨、すなわちネズミを取り除いたのだ。  しかし、術後の経過は順調で翌年のスプリング・トレーニング(キャンプ)の前には、もうキャッチボールができるまでに回復していた。

第259回 有能な投手コーチを「解任」した日本ハム球団フロントの不可解

 成果主義という観点で考えれば、ほぼ満点に近い。一軍投手コーチ就任1年目(2006年)のチーム防御率が3.05(リーグ1位)。2年目の今季が3.22(リーグ2位)。しかもチームは2年連続リーグ優勝。投手コーチとしては、およそ考えられる最高の結果を残したと言えるだろう。

第305回 「伝説の日本シリーズ」16年目の告白

 世に「怪腕」や「剛腕」と呼ばれたピッチャーは数多(あまた)いるが、「鉄腕」とうたわれたのは、後にも先にも稲尾和久さんただひとりだ。  稲尾さんと最後にお会いしたのは今年2月。金沢市で行われた食のイベントでご一緒させてもらった。ひとつ頼みごとをした。開幕前の「北信越BCリーグ」に気になる投手がいた。

第258回 無名の大男が来季の秘密兵器となるか 巨人(テスト中) アンディ・シビーロ

 来季の巨人の隠し玉なのか、それともでくの坊なのか?  最速100マイル(約161キロ)を誇るという身長201センチ、体重100キロの大男アンディ・シビーロ(31)が巨人の入団テストを受けるため宮崎キャンプに合流した。  シビーロは今季所属していたメキシカンリーグのティファナではクローザーとして30試合に登板、4勝1敗13セーブ、防御率1.83の好成績を残している。

第110回 「核弾頭の明暗」 〜石井琢朗vs.松井稼頭央〜<後編>

 同じショートでトップバッター。しかもリーグの盗塁王。比べるなと言われても比べないわけにはいかない。  ライオンズの松井稼頭央が、このシリーズではじめて笑みを見せたのは3戦目が終わった後だった。  5回表、1死満塁のチャンスで戸叶尚のストレートを左中間に叩いた。走者一掃のタイムリー2ベース。松井らしく初球を狙ったものだった。 「これだけチャンスが回ってきていながら、今までことごとく僕が潰していたでしょう。だから外野フライでも何でもいいと思っていました。今までの分を取り戻したとは言えないけど、これでやっと仲間入りができました」

第257回 「打てそうで打てない」ダルビッシュ

 日本シリーズ初戦で北海道日本ハムのダルビッシュ有が中日からシリーズ最多タイの13三振を奪った。先発全員からの奪三振はシリーズ初という快挙。  私が注目したのは13奪三振の内訳。このうちの12個が空振りで、見逃しは、わずかにひとつ。  これは何を意味しているのか。ダルビッシュのボールは「打てそうで打てないボール」ということである。

第256回 「メジャーリーグ復帰」の可能性はある! ベネズエラ・野茂英雄

 メジャーリーグのポストシーズンゲームにおいて、日本人初の勝利投手となり、ワールドシリーズ出場を決めたレッドソックスの松坂大輔がこう語った。 「野茂さんの試合結果はネットで確認しました。すべてがすごい。僕なんてまだまだ及びませんよ」

第109回 「核弾頭の明暗」 〜石井琢朗vs.松井稼頭央〜<前編>

「最初の1打席に賭けていました。転がしてしまいさえすれば、あとはヨーイドンの勝負だなと……」  惜しくもシリーズMVPは逃したものの、22打数8安打(打率・364)、1打点、3盗塁、出塁率5割の活躍で優秀選手賞に輝いたベイスターズの石井琢朗は、そう切り出した。

第255回 ヤクルト高田新監督はGMへのつなぎか?

 北海道日本ハムのGM・高田繁氏の東京ヤクルト監督就任が決定的になった。現場の指揮を執るのは20年ぶりだ。  思い出すのが故根本陸夫氏の例だ。根本氏は西武の実質的なGMとして黄金期を築き上げた。その根本氏が福岡ダイエー(現福岡ソフトバンク)の監督に就任した時には驚いた。

第254回  “赤ヘル”一筋の偉大なピッチャーだった 広島・佐々岡真司

 それはひとつの時代の終わりを告げる象徴的なシーンだった。  さる10月7日、本拠地・神宮球場で東京ヤクルトの古田敦也兼任監督が現役に別れを告げた。試合後、古田は、まるで優勝監督のように5度も宙を舞った。  対戦相手の広島マーティ・ブラウン監督は、古田の最後の打席で、粋な演出をした。同期入団で、同じく今季限りでユニホームを脱ぐ佐々岡真司をマウンドに送ったのだ。

第108回 反逆のバンク 〜競輪選手・松本整〜

 松本整が“中年の星”と騒がれたのは一昨年のことだ。  7月の寛仁親王牌に続き、9月のオールスター競輪をも制覇した。自らが打ち立てた最年長G1制覇の記録を再び自らの手で塗りかえた。  この時、松本は43歳だった。  この快挙を目のあたりにした“ミスター競輪”中野浩一は言った。 「驚くべきことだ。あの年になってまだ気持ちが切れないなんて……」

第252回 向こう5年も球団の期待を裏切らないだろう マリナーズ・イチロー

 自らのことを「闘う政治家」と言っておきながら、国会の代表質問前に辞任し、病院に逃げ込んだ。これが戦場なら「敵前逃亡」である。安倍晋三前首相のことだ。  旧知の自衛隊OBの軍事評論家が手厳しい口調でこう言った。 「敵前逃亡は、軍隊なら銃殺。ましてリーダーの敵前逃亡なんて聞いたことがない。もっと芯のしっかりした人物だと思っていたが、もうがっかりだ」

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