権力の座に固執するとロクなことはない。人間、引き際が大切である。反面教師として、そのことを如実に示したのが、現在「機能性胃腸障害」で入院中の安倍晋三首相である。
プロ野球の世界には、いわゆる“当たり年”というものがある。 古くは“江川世代”。高校時代から“怪物”の異名をほしいままにした江川卓を筆頭に、掛布雅之、山倉和博、達川光男、大野豊、袴田英利らがプロ野球でも大活躍した。 近年では“松坂世代”か。
44日間に渡ってオーストラリアで行われた第5回ラグビーW杯はルーツ国イングランドの優勝で幕を閉じた。5回目のW杯にして初めて、エリス杯が北半球にもたらされた。 決勝の対オーストラリア戦は劇的な幕切れとなった。延長残り1分のところでイングランドSOのウィルキンソンが芸術的なDG(ドロップ・ゴール)を決めた。穏やかな楕円球の軌道が2本のポールの間を通過した瞬間、全ては終わった。歴史に残る100分間の死闘だった。
優勝争いをしている最中での日本ハム・トレイ・ヒルマン監督の唐突な退任発表。他の球団なら「サプライズ!」となるところだが、日本ハムは違った。「異例かもしれないけれど、日本ハムじゃあり得ない話じゃない」と大社啓二オーナー。現場レベルも落ち着いたもので動揺の色はほとんど見られない。
1990年代から2000年代にかけて、日本プロ野球には3人の「天才打者」がいた。イチロー(マリナーズ)と松井秀喜(ヤンキース)、そして1日に球界史上36人目の2000本安打を達成した前田智徳(広島)だ。
終戦の日、たまたま私は広島市民球場で広島対巨人17回戦をゲスト解説していた。 7回表、1対1と同点の場面。巨人は代打・清水隆行の送りバントが決まり一死二、三塁。 ここで三塁ベースコーチの伊原春樹は、三塁走者の李承に「敬遠もあるぞ」と告げた。一塁ベースコーチの西岡良洋もボールから目を切っていた。
28日に開かれた緊急理事会で横綱・朝青龍のモンゴル帰国が決定した。これにより約1カ月間にわたって繰り広げられた朝青龍騒動は新たな局面に入ることになる。
ジャイアンツのバリー・ボンズが日本時間8月8日、通算756本塁打を記録し、ハンク・アーロンが保持していたメジャーリーグ通算最多本塁打記録を31年ぶりに更新した。 記念すべきインタビューでボンズは興味深いことを言った。 「父がよく言っていた言葉を思い出した。重心を後ろに乗せろ、と言っていたのをね」
日本代表監督に就任したオフトが、真っ先に衝突したのがラモスだった。 当時のラモスは選手たちのボス的存在であり、誰からも一目置かれていた。もっといえば不動の10番ラモスを抜きにして、チーム構成など描けないというのが日本サッカーの現実だった。
もし新渡戸稲造が今の時代に生きていて、スタンドからこのプレーを目撃したら、どんな反応を示したことだろう。やはりダメなものはダメというだろうか。
カープの前田智徳が8月12日、プロ野球史上31人目の通算1000打点を達成した。 「2000本安打を達成した方(35人)より(1000打点を達成した方のほうが)少ないので驚いた。ありがとうの気持ちでいっぱいです。チャンスをくれた皆さんに感謝したい」 無口な男が珍しく表情をほころばせて答えた。
44歳の工藤公康(横浜)が7月24日、古巣の巨人から勝ち星をあげ、プロ野球6人目の全球団勝利を達成した。 その工藤よりも一足先に全球団勝利を達成していたのが42歳の吉井理人(千葉ロッテ)である。
アトランタ五輪でのブラジル撃破、悲願のワールドカップ(フランス大会)初出場、そしてワールドユース選手権準優勝と、目覚しい進歩をとげる日本サッカー。その礎を築いたのは誰か、と問われれば、私は迷うことなくハンス・オフトというオランダ人の名前をあげる。 今じゃ日本サッカーにおける慣用句となっている「アイコンタクト」「トライアングル」「「サポート」「スモール・フィールド」「コンパクト」「タスク」「ピクチャー」といった用語は、いずれもオフトが持ち込んだものだ。
「日本経済新聞」朝刊の名物コラム「私の履歴書」で読売巨人軍終身名誉監督・長嶋茂雄氏の連載が始まったのは7月1日のことだ。 選手、監督時代を通じて劇的なエピソードには事欠かない長嶋氏だが、最大のハイライトシーンは1980年オフの「解任」事件である。
「私と小沢さん、どちらが総理にふさわしいか、国民の考えをうかがう」。自らの信任を問う素晴らしい決意表明に映った。参院選での結果は与党惨敗。直後の会見。「国民に約束した新しい国づくりに向けて、改革を続行していくことが、私に課せられた使命だ」
レッドソックスの松坂大輔には及ばないが、移籍金2600万ドル(約30億円)、年俸総額2千万ドル(約23億6千万円=5年)ながら7月17日(現地時間)現在、10試合に登板して2勝2敗、防御率6.97。ヤンキースの井川慶が苦しんでいる。
「頭が真っ白になりました」 金メダルの感想を、鈴木桂治はこう述べた。 「長い4年間だったか?」と問うと、「今考えると短かったですね」と答えた。 忘れられないのは4年前のシドニーでのワンシーンだ。鈴木桂治は井上康生の練習パートナーとして同行を許された。
都市対抗野球には独特の制度がある。各地区予選で敗退したチームから選手をレンタルできる補強選手制度だ。最大で5人まで借り受けることができる。この制度が存在することでチームは地域色を帯びる。文字どおり「都市の代表」となるわけだ。同一チーム同士の対戦では単なる「企業対抗野球」になってしまう。
37歳の斎藤隆(ドジャース)と31歳の岡島秀樹(レッドソックス)がミッドサマー・クラシック――米オールスターメンバーに選出された。 岡島は登板機会に恵まれなかったが、斎藤は1回を三者凡退に封じた。気合が乗っていたのか、MAXは96マイル(約155キロ)を計測した。その投球はとても37歳には見えなかった。
シアトルの市民は喜んでいるだろう。イチローの残留が決定した。2012年まで、セーフコ・フィールドに足を運べば世界最高峰のバッティング技術やレーザービームを目の当たりにすることができる。
クローザー永川勝浩の1軍登録抹消(12日に再登録)とともに、広島カープのクライマックス・シリーズ出場の可能性も消えてしまったように感じられる。 7月1日の巨人戦、永川は6−4と2点リードの9回表、クローザーとしてマウンドに上がった。ところが、味方のエラーでリズムを崩し、一挙に5点も奪われてしまう。“ガラスの抑え”を象徴するようなシーンだった。
「自然体でやりますよ」 アテネに出発する前、鈴木桂治は私にこう言った。相手を過度に意識しない。秘策に頼らない。そのことを自らに言い聞かせて決戦の地に向かった。 24歳がこうした境地に至ったのには理由がある。福岡での敗北が“良薬”の役割を果たした。不必要な“斜眼帯”を取り払ったと言うこともできる。
サッカー日本代表監督のイビチャ・オシムはペシミスティックな預言者である。 先頃、上梓した『日本人よ!』(新潮社)という自著のエピローグの部分で、あえてアジア杯について言及し、こう結んでいる。<だから、この言葉だけは、絶対に忘れないでほしい。「終わるまではすべてが起こりうる」。人生はだいたいそうだし、サッカーでは常にそうだ>
球団創設初年度の勝率は打率程度の2割8分1厘。2年目は3割5分6厘。「パ・リーグのお荷物」と呼ばれていた楽天が今季は大健闘だ。7月1日現在、31勝39敗2分、勝率4割4分3厘で4位西武から3.5ゲーム差の5位。クライマックスシリーズ(3位以内)出場も夢ではない。
広島カープは5勝18敗1分の戦績で交流戦最下位に終わった。交流戦開幕前は3位につけていたが、交流戦で13も負け越したことにより、現在(6月28日)は3位と8.5ゲーム差の5位。クライマックスシリーズに出場するためには3位以内を確保しなければならないが、きわめて厳しい状況になってきた。